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工場直売vol.3(地域貢献)

何故、工場で直売を始めたか。

嘘でもなんでもなく、少しでも地域に貢献したかった。

学生の頃から働くなら自分が育った水島がいいと思っていた。なんとなく地元が好きだったんだと思う。大学生の時に就活で地域密着の仕事を探し、たどりついた信用金庫の仕事。面接を受けた時に「とにかく地域に貢献したい」と言ったのを覚えている。(なんとか採用していただきました!)

個人的には信用金庫の仕事が好きで「地域のための仕事」という実感があり一生の仕事として考えていた。就職して3年目、卵屋の創業者である父親に「戻ってきてほしい」と言われた。当時の父は毎日出勤はしていたが、会社のソファーでずっと横になっていたくらい体調を崩していたみたいで。(今は元気です!笑)

その状態を聞くまでは、いわゆる敷かれたレールに乗るのが嫌で反発していた。単純に『家業を継ぐ』という事に対してびびっていたのだと思う。
でも、その時思ったのは『卵』で大きくしてもらった自分の恩返しは『卵』でするしか無いということ。好きだった信用金庫の仕事を途中で放り出すのはとても心苦しかったが、家業は自分がやるしか無いという使命感から信用金庫を退職させていただき卵屋の道へ進むことに。

信用金庫時代と同様、卵屋になっても地域に貢献できるような仕事をしたいという思いは変わらなかったが、右も左も分からない状態で最初は正直それどころでは無く…。

卵屋の仕事をしながら、地元水島の街が衰退していく様子を目の当たりにする事もあり、地域のために何とかしたいというボヤっとした思いだけで実際はそのような力も無く、、、。

28歳の時に井原市美星町に自社で初めての養鶏場を開設させていただき生産から加工までの一貫生産体制を確立する。(それまでは卵の卸売りと加工品製造のみ)

この美星町には美星牛乳やヨーグルト、新鮮野菜を子供のころからよく買い物に来ていた思い出がある。

この地域で生産活動をさせていただくからには自分が出来る地域貢献はしなければいけないという思いがあり、自社生産の卵には【星の里たまご】という名前を付けた。卵を通してこの地域、美星町の良さを知っていただければ嬉しい。

今、自分は「卵」で地域に貢献するしかない。


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