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心の片端

 YouTubeのおすすめに表示された動画を眺めていたら、若い女の子が、自身の抱える「生きづらさ」について語る動画に出くわしてしまい、結構長い(20分ほど)の動画だったのだが、思わず見入ってしまった。そして、かつて若かった頃の私も同じように抱えていた「生きづらさ」について、久しぶりに記憶から取り出して色々と考え込んでしまった。

 学生時代を終えて、社会人になった頃から、私はある一つの「生きづらさ」を強く意識して生きるようになっていた。
 その「生きづらさ」とは、一言で言ってしまうと、「周囲の人間とうまく関わってやっていくことができない」というものだった。
 大学を卒業して新卒で入った会社では、私は同僚からも先輩からも上司からも、等しく嫌われていた。私が何か言葉を発する度に、彼らは非難の言葉を浴びせてきて、私が何か行動する度に、彼らは私を叱責してくるのだった。私の何が彼らをそこまで苛立たせるのか、当時はよくわかっていなかったのだが、とにかくそのような調子で日々過ごしていた私は、徐々に会社の中で居場所を失っていき、入社して半年ほどたったある日、とうとう会社に出勤できなくなってしまったのだ。まさか社会人になってから、不登校の学生みたいな状態に陥ってしまうなんて思っていなかったから自分でも驚いた。結局いろいろあって、その会社は辞めてしまった。

 そして私は、そうなってしまった原因は、職場環境が自分に合っていなかっただけの話で、周囲の環境を変えてしまえば普通にうまくやれるのではないかと考えるようになった。そして、すぐに別の会社に転職したが、やはりそこでも結果は同じで、周囲の人間とうまく関わってやっていくことはとても難しかった。
 笑ってはいけないタイミングで笑ってしまって、周囲から反感を買ってしまう。伝えなければいけない相手に必要なことを伝えることをせず、業務がうまく回らなくなってしまう。一般的に少し落ち着いて考えれば当たり前のようにできるようなことでも、私にとってはそれを行うことがとても難しかった。周囲の空気を呼んで、適宜適切な行動を取るということが絶望的にできなかったのだ。
 こういうことは、学生時代にはあまり問題にならなかったのだろうと思う。学生時代には、とにかく自分の成績のことだけを考えて行動していればよかった。部活なども、陸上や水泳などの、個人プレイでやるものだけをうまくこなしていたように思う。チームを組んで何かのプロジェクトをやり遂げるというタイプの仕事に必要な適正が、私には絶望的に欠けていたのだ。
 つらかった。とてもとてもつらかった。ぼやかさずに言うなら、死にたいと思いながら、当時の私は毎日会社に向かっていたように思う。

 当時の私の一番の疑問は、「どうして周囲の人々は、当たり前のようにうまく周りの人間と協調して仕事をこなしていけるのか」というものだった。そして、こういう「他の人は当たり前にできているのに、自分にはできない」という状態のことを、いつの頃からか私は「心の片端」と密かに呼んでいた。「片端」というのは差別用語で、身体に障害のある人のことを指す。私は、身体的には健常者だが、精神的には障害者なのではないかと当時は疑っていたのだ。心の中に障害を抱えているから、それが原因で周囲を苛立たせるような態度をとってしまう。私は、「心の片端」なのだが、それは心の中の問題なので、周囲からは何の助けも受けることができないのだと、そう考えた私は、ただただ絶望していた。
 そこからどうやって立ち直ったのかはよく覚えていない。自分的には、「こういうケースでは普通の人ならこういう行動を取る」という「パターン」を日常生活の中でたくさん作り込んでおき、自分の意志を完全に無視してそのパターン通りに行動するということを繰り返していたように思う。そうやって私なりに、必死でこの世界に適合するように、自分の性格を歪にねじ曲げて、生きてきたのだ。

 私がかつて「心の片端」と呼んでいた状態には、現在では「発達障害」という言葉が与えられていて、それなりに社会的な認知が進んでいるようだ。私が悩んでいた当時(25年ほど前)は、そういう精神障害を表す言葉が、世の中にまだ普及していなかった。なので仕方なく私は、その概念に「心の片端」というネーミングを与えて、もうこれはどうしようもないなと、ひっそりと諦めていたのだ。誰も救ってくれないという孤独や絶望感と共に。
 現在では「発達障害」は流行語のようになってしまっていて、SNSのプロフィール欄を覗くと至るところで「発達障害です」というアピールに出くわす。まさに犬も歩けば発達障害に当たるというぐらい一般的になってしまった。そして、発達障害であることを周囲に公言すれば、適切な配慮を得られることもあったりするらしい。なるほどそうやって世の中が自分の方に合わせてきてくれる感覚というのは、とても快適だろうと思う。世界はそうやって少しづつ、よくなってきているのだ。

 あなた達はいい時代に生まれたね、と心の底から思う。
 そして私はたまにこうやって、「心の片端」に苦しんでいた過去の自分を懐から取り出してきて、そっと大切にいたわってあげるのだ。

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