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『3年間不登校だった娘と、自分が好きじゃなかった私が、前へ一歩踏み出すまで』③
🍀現在小学6年生の娘が、3年間の不登校生活から、この春、自分の意志で転校し、学校というフィールドへ踏み出し、同時に中学生の姉と2人で四国八十八ヶ所歩き遍路巡りの旅へ挑戦することに🚶🚶
そんな娘と母である私と家族のストーリーの記録です。🍀
3、そして事件は起こる
3年前の冬のある日、小学2年生の娘の「今日は学校休む」から始まった、我が家の不登校。
それは、自分自身の弟を不登校、ひきこもりによって失っていた私にとって、最も恐れていた出来事でした。
3月末生まれで学年で1番体格も小さかった娘。
小学1年生の頃から学習の遅れを指摘され、焦っていた私は
「みんなとおんなじようにしなさい」
「ちゃんとしないと」
と口だけ口うるさく言いながら、
3人目の子という、どこか勝手な安心感もあって彼女の内面を見つめることなく過ごしてきたのかもしれません。
当時、私はフルタイムで仕事をし、
頭の中は仕事のことと、自分のことで精一杯。
どうすれば、より効率的に、より早く日々のタスクをこなせるか、
そんなことばかり考えていたように思います。
そんな中、娘の学校への行きしぶりという思わぬ事態に直面し、
慌て、焦り、学校の担任の先生はもとより、学校のスクールカウンセラー、
総合教育センターの教育相談、
民間のカウンセリングなど、思いつくかぎりの相談機関に行きまくりました。
でも結果は、ただ話を聴いてくれるだけで、当時の私の欲しかった
「この先娘はどうなるのか」
「どうすれば学校にまた行けるようになるのか」
の解答は得られませんでした。
そう。
私は焦っていたのです。
早く私がなんとかしなければ。
娘が、ダメになってしまう。
今から思えば、本当に呆れてしまうその想いにとりつかれ、全く周りが見えなくなっていました。
そしてそんな日々に疲れ果てていたある日。
事件は起こるのです。
それは、娘が不登校になり、春休みを迎え、3年生の新学期が始まって少しした頃のこと。
「3年生になったら行く!」の娘の言葉に望みをかけていた私の期待は、
わずか3日間であっさり裏切られ、
その日もまた、布団にくるまる娘を見ながら失意と絶望感にさいなやまれていた私。
暗い気持ちのまま、仕事にでかけ、家に帰ると、洗濯物と洗い物が残ったままの散らかった我が家。
ため息をつきながら、いつものように洗い物をし始めた私。
と、何かがプツッと私の中で弾ける音がしました。
気がつくと、私は、車のキーだけをつかみ、家族に何も言わず、家を飛び出していました。
流れる涙が止まらないままに、泣きながらひたすら西へ、西へ。
気がつけば海の近くまで車を走らせていました。
それから何時間そこにいたか。
瀬戸内海の波の音を聴きながら
ひたすら泣いて泣いて数時間。
疲れ果てて家にたどり着いたのは明け方近く。
毛布を握りしめたまま、不安そうに部屋から出てきた娘の姿を見たとき。
「ああ、もう悲劇のヒロインはやめよう。この子のためにも。私のためにも。」
と心の底から思ったのです。
俗にいう、「底を打つ」この体験が
振り返れば私のその後のターニングポイントになった気がします。
(④へ続く)
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