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【小説】うつせみの代わりに 第2話 霜月朝陽2

 不思議な夢を見た。起きてからも夢の内容を忘れることが無かった。
 それは僕が2人の男と「AIについて」というテーマで話し合っている夢だ。3人はそれぞれ知り合いという感じではなく、初対面同士という感覚まで覚えている。
 2人とはすごく話が合うので、友達になって欲しいとすら思ったが、そこで目が覚めた。
 AIについては物申したい部分が少なからずある。恐怖をあおる記事が閲覧数を稼ぎ、AIに職を奪われることが絶対であるかのように騒がれていて、それに対して反対したい気持ちがずっとある。
 AIが人間の仕事を代わりに実行してくれるのであれば、人間は他のことに時間と労力を費やせばいいのではないか、と楽観的に考えている。例えば大切な人を笑顔にしたり、友達と会う時間を作ったり、地域に自身の能力を提供して、同じように他の誰かから能力を提供してもらうような、そんな環境を作ったり。そんなことに時間と労力を費やせば良い。そこにAIが居ても良いんだし。
 メディアは仮想敵を次から次へと吊し上げ、僕らに「これが次の標的ですよ」と提示することで儲ける組織なのだろう。それが芸能人だったり、どこかの市長だったり、巨額の税金が投入された建物だったりするだけだ。
 AIで便利になったあとで問題になるのは、かつて洗濯機や掃除機を獲得した人間がその後さらに忙しく新たな仕事をしているというこの歪さの方だろう。特に日本人は時間を空けてはならないという強迫観念に縛られているのかも知れない。楽になるために道具を使うのに、空いた時間でさらに苦労をする。現代人の皮肉な姿だ。

 今日は仕事が休みなので誕生日プレゼントに彼女からもらったニット帽を被って散歩にでも行こう。喫茶店で本でも読もうか。それともあてもなく一駅くらい歩こうか。段々寒くなってきたのもあり、天気が良い時は太陽を浴びに外に出たくなる。
 そういえばと思い、哲学カフェについて検索する。夢のこともあったのでAIについて気軽に語り合える場が無いか調べる。池袋駅の近くの喫茶店で定期的に哲学カフェが開催されているものを見つけた。残念ながらAIがテーマの回はやってない。気になるテーマがあったら是非行ってみたいと思った。
 あごひげを軽く整えて寝ぐせ頭にニット帽を被り外に出た。
 少し寒いが不快じゃない。陽が出ていると無条件に「今日は良い日だ」と言ってしまう。
 ふと川が見たくなったので荒川まで歩こうかと思い立つ。その後は赤羽駅まで行って何か食べて喫茶店で本を読もう。そしてぶらぶらして帰ろうか。川まで歩いて30分くらい。僕は意味もなく歩くのが好きだ。目的もなく歩くのが好きだ。彼女のひかると初めてデートに行った時も散歩をした。散歩好きなところも彼女に惹かれたポイントだ。僕に合わせてくれているのかも知れないけれど。

 荒川に着いた。晴れた日の川はほんと綺麗で、近くを歩いている人たちも心なしか穏やかそうな表情を浮かべている。
 川の流れは一度たりとも同じ姿はなく、次の瞬間にはもう下流へと進んでいる。上流から流れてくる水はまだ目の前には存在していない。川を人生に例える人が無数にいるのは、それだけ川や水が大いなる存在であるということなのか。「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。」というフレーズは誰が言ったんだっけ。
 川の写真を撮る。なんてことはない、ただの川の流れ。そしてなんてことはない人生を過ごす僕。それに彼女も居てくれる。十分過ぎるほどだなと思う。ひかるにLINEで今撮った写真を送った。すぐにスタンプが返ってくる。柴犬が笑顔のスタンプ。
 河川敷でサッカーをしている高校生を眺めるが、点数もどっちが勝ってるかもわからない。そもそも僕はサッカーをよく知らないし楽しいと思ったこともない。ただ高校生が一生懸命動いたり腹の底から笑っているのを眺めるのは楽しい。サッカーは好きではないが、サッカーに全力な彼らのことは好きだ。僕はたぶん人が好きなんだろう。
 もし大雨が降ったら、などと考える。川が氾濫し、河川敷は茶色い圧倒的質量の大水に飲み込まれてしまうだろう。増水した川を眺めるのが好きだ。水量が増した落差の大きい滝を眺めるのも、轟々と心地良い音を放ち続ける渓谷を眺めるのも好きだ。山頂に降った雨が何年も掛けて僕の目の前に辿り着いているという奇跡に想いを馳せる。僕は川を人生なんかに例えたくはない。人生ごときの枠に収まり切らないほどの奇跡が川には溶け込んでいる。その水をすくい上げてみても何も分からない。人間とは生きる年数も、言語も、この世界をどのように感じているかも、何もかも違う。川は人よりもむしろ神に近いと思っている。

 気付くと赤羽駅に着いていた。
 散歩をすると思考が止めどない。AIや川についての僕の考えは誰にも言ったことが無い。ひかるにも。理解されるわけがない、などという傲慢な考えではなく、ただ、誰かに理解して欲しいというものではないからだった。僕の世界観は僕だけのもので、誰かが賛同しようが拒絶しようがどうでもいいしどっちでもいい。
 カレーライスが食べたいとふと思った。赤羽駅は他の駅と同様にチェーン店が多い。味が想像できるチェーン店ではなく、行ったことがない店が良い。スマホに頼らず歩きながら少し遅くなった昼食を食べられるお店を探す。
「霜月さん?」
 急に声を掛けられて驚いて立ち止まる。知らない男が微妙な表情で僕を見ている。人の顔を覚えるのは得意な方ではないとは言え、絶対に関わりがないような男だ。会ったことはないはずだ。それとも整形とか体重増加で変貌してしまった元同級生とかだろうか。黙っているとその男は「あれ?違うか。すみません」と照れながら去ってしまった。
 僕の苗字をなぜ知っていたのかはわからないままで、のどの辺りに気持ち悪さがずっと残ってしまった。カレーライスの気分でも無くなった。歩いて帰るのも面倒になったのでパンを買って電車に乗って帰った。

 今日あったことをひかるにLINEする。
 名前を呼ばれたのは怖いね、と僕と同じことを思ってくれた。
 かと言って今更あの男を見つけ出して問いただすことなどできないわけで、また声を掛けられたらその時に質問してみようという結論に至った。もう会うことも無いだろうけど。赤羽駅の1日の利用者数を考えれば無理もない。今日すれ違った知らない人とは一生会うことはない。僕が上京して学んだことの1つだ。

 僕があの男のことを思い出したのは、僕がもうどうしようもなくなった時だった。

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