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【小説】うつせみの代わりに 第9話 文月と霜月

「霜月朝陽さんですか?」
 50歳くらいの男が話掛けてきた。家の前で待ち伏せされ、名前までバレている。逃れられないだろう。店長側の人間か。
 僕が警戒しているのを悟ってか、その男は名乗る。
「失礼しました。私は文月源太郎と言います。君と同じ境遇の者です」
 先ほどサンセットムーンライズでチャーミーが言っていた名前だ。
「今君はとても危険な状態なのではないですか?弾丸が込められ、トリガーが弾かれようとしているのでは?」
 それを聞き僕は足の力が抜けそうになった。この人は僕の事を理解してくれる。そう思った。メガネもあごひげも消えた今、僕の事を理解してくれる人など居ないと思っていたが、文月は僕と同じ恐怖を抱え、しっかりと生きている。その事実がとても嬉しく、緊張が解けて力が抜けたのだ。

 なぜ文月が僕の家で待ち伏せしていたのか聞いてみると、店長が差し向けたとのことだ。
「数時間前に店長から「家からすぐ出てくだしあ」とLINEが届いてね」
 そう言いながら文月はLINEの画面を見せてくれた。本当に「くだしあ」と書いてあった。この送信時間は多分チャーミーが「ご自宅が消失のポイントになっていると考えられます」と言っていた時だろう。店長は青ざめていたが、それは文月の身を案じての事だったのか。
「探偵と助手に君の話を聞いてから私は自宅に帰ってないんだよ。警告が来たからね」
 店長はただの良い人だったのか。文月の身を案じ、そして僕の事も心配してくれていた。それなのに僕はかなり失礼な態度を取っていたのではないか。疑っていたことをバレないように振る舞っていたつもりだが、余裕が無くなっていた僕の事だから、きっと不穏さは伝わってしまった気がする。
 文月が話し始めようとしていたが、それを制した。
「3分待っていただけますか。色々お礼を送信しないと」
 そう言ってLINEを開くと店長とひかるからメッセージが大量に届いていた。店長に無事であることと文月と会っている事をLINEした。ひかるにも無事であることと店長は黒幕じゃなかったとLINEした。伊藤先輩にも無事であることをLINEした。3人からすぐに返事が来たがOKスタンプを送って済ませた。

「助手の女についてどう感じた?」
 唐突に文月が質問してきた。
「どうって。名探偵だと思いましたけど」
「怖くなかったかい?」
「怖い?」
「例えば、我々のことを観察対象としか思ってないような」
 そう言われて数時間前の状況を思い出した。あの時は店長を疑っていたため冷静な判断が出来なかったが、今にして思えば確かにチャーミーの妖しさを感じた。それに「自宅がトリガー」と言っておいて自宅に帰すのを引き止めないのはおかしくないか。あの女が恐ろしくなってきた。あいつこそが僕を消そうとしているのではないか。自身の推理が正しかったと証明するために僕には消えて欲しいのだろうか。
 黙ったままの僕を見て文月は「やはりあの女は怖いよね」と言って軽く微笑んだ。

 家の前で話し込むのも忍びないため、文月と近くのサイゼリアに行った。
 チャーミーからLINEが届く。「まだ無事ですか?」と。「まだ」と聞くということは僕が消えることを見越しているのではないか。そして、僕がチャーミーを疑っていることも踏まえてあえて恐怖を煽るように「まだ」と付けているのではないか。この一行にそれだけの事を込めて送る女。恐ろしい。
 チャーミーのLINEは無視して文月と話し込んだ。
 うわばみとの思い出や、その後恐ろしくなって全てから逃げ続けてきたこと。僕の事を知り、今会わなければうわばみに合わせる顔が無いと思ったということ。そして、自分のようになって欲しく無いということを言われた。文月の顔にはこの数年で刻まれた深い皺があり、それが彼の中から消えてしまったものや発生してしまったものを物語っているように感じた。
 僕の話も聞いてもらった。「生きている感じがしない」というこの感覚について話すと、すごく共感してもらえた。哲学カフェで自分と同じ顔をした男2人と会った時の驚きや、メガネが居なくなってしまった切なさと不謹慎なワクワク感。あごひげがなんでひかるを残して消えてしまったのかというやるせなさ。店長を疑っていたことへの申し訳なさもなぜか文月に対して謝罪した。文月はこれらのことをうんうんと言いながら聞き続けてくれた。
 文月は自身のことを「もう魂も心も抜け落ちてしまった、形骸化した存在だ」と表現した。だが僕にはそうは思えなかった。見ず知らずの僕の家にまで駆け付けて危険を伝えようとしてくれた人だ。うわばみとの出会いや思い出がそうさせたのかも知れないが、行動したのは紛れもなく文月自身だ。
 僕も25年しか生きていないがいろんな人に助けられてきたなと思った。最後が文月で良かったと思った。
 サイゼリヤの閉店時間が迫っている。

「行くのかい?」
「……はい」
 僕の表情を見て文月は少し寂しそうな顔をする。
「ここで話した時間は私の人生にとってものすごく有意義な時間だったよ。こう感じたのはうわばみと話した時以来だ」
 そう言ってにこやかに笑った。きっと僕が躊躇しないよう明るく笑ってくれているのだろう。文月はそういう人だ。僕の倍の年齢の文月だが、僕はもう親友のように感じていた。伊藤先輩も好きだが文月も好きだ。
 僕と文月には弾丸が装填されている。あとはトリガーを引くだけ。
 「同姓同名同顔の存在だと認識すること」「その謎を追うこと」「自宅に居ること」
 これらが全て揃うと消失する。先ほど僕の家の前で文月と会った瞬間に全てを理解した。あごひげもメガネの家でこれが起こったのだということも理解した。自分が消失する。あごひげはきっと店長がメガネ宅に向かわせたことなどから推理し店長のことを僕らに警戒させたのだろう。確信は無いが怪しいと。今の僕にはあごひげの優しさも店長の優しさも分かる。
 とても穏やかな気持ちだった。数時間前にサンセットムーンライズに居た時と今とでは精神状態が正反対だ。あの時は何も分からないから疑心暗鬼になっていて怯えていた。文月と会ってからは状況を把握できた。だから落ち着いている。
 僕に残された選択肢は2つ。この世界に残るか。それともこの世界を去るか。
 メガネもあごひげも居るのならばそちらに行ってみようと思った。会えたら連れ戻してくるつもりだ。この世界に戻って来ることが可能であればだが。

「もしうわばみに会えたらよろしく言っておいてください」
 文月は笑顔で、大粒の涙を流しながら僕の手を握って言った。
 僕も泣いていた。悲しさではないが、悲しさなのかも知れない。年の離れた親友との別れがそうさせたのかも知れない。解放された事で心が不安定になっているのかも知れない。

 23時。
 冬が近付いているせいか寒さが身に沁みる。
 月は大きく輝いている。
 サイゼリヤ板橋東口店の前で文月と別れた。

 再び家に帰ると、玄関の前にひかるが立っていた。
「なんでよ!」
 彼女も文月みたく大粒の涙を流しながら僕に駆け寄ってくる。そして僕の胸を叩いた。何度も。何度も。
 ひかるは僕が送ったLINEで何か察したのだろう。店長から住所を聞いて駆け付けてくれたのだ。
「行くの?なんで?」
「あごひげに会ったら連れ戻してくるよ」
 笑顔で言ったつもりだったが涙声になってしまう。僕も泣いていた。男女が二人して大泣きしていても、近隣住民は気にも留めない。都会のありがたい所だ。
「嘘でしょ」
 嘘は言ったつもりは無いが、あごひげに会える保証は無かった。人体が消失するのだ。どこに行くのかわからない。その後どうなるのかも。ただ、行かなければと思った。文月の話を聞いて強くそう思った。どちらが正しいとか間違っているとかではなく、僕には文月が過ごしたように空洞になって数年間を生き続けるのは無理だと思った。
「生きている感じがしないんだ」
「え?」
 ひかるが泣きながら聞き返す。泣いてるひかるはまるで子どものようでとても可愛らしい。
「ずっと生きてる感じがしなかった。でも弾丸が装填されて。メガネやあごひげと同じ条件になって、こっちじゃなくてあっちなんだと実感したんだよ」
 我ながら意味不明な説明だが、こうとしか言えなかった。
「じゃあ私も家に入れて」
 キリッとした目で強く言われると断れない。彼女も覚悟を決めたのだろう。あごひげが居なくなり、同じ顔をした僕も目の前で消える。
 文月のようにひかるも残された者として苦しみを背負うかも知れない。でもきっとひかるにとって、このまま何も見ずに帰ってしまう後悔の方が、ずっと重い苦しみの人生となるのだろう。

 ドアの鍵を開け、玄関にあがると、眼前にログアウトするかどうかウインドが表示された。

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