【小説】うつせみの代わりに 第5話 現場へ
メガネと連絡が取れなくなって1週間が経った頃、店長から「住所を教えるから見てきてくれないか」と打診された。
哲学カフェの予約時に参加者は住所と連絡先を記載していたのだ。メガネは「哲学ゾンビ」という名前で予約したらしい。ちなみに僕はそのまま「朝陽」で予約した。
メガネが嘘の情報を書いていたら意味は無いが、住所を検索すると実在する建物だった。メガネは東武東上線の朝霞駅付近に住んでいるらしく、行くのはそれほど苦じゃない。
あごひげはJR埼京線の北赤羽駅付近に住んでいるとのことで、店長の申し出にサンリオキャラクターのOKスタンプで即答していた。
あごひげといつにするかスケジュールを合わせていると「彼女も連れて行くことになった」とチャットが届いた。「連れて行っても良いか?」ではなく「連れて行くことになった」という言葉から、おそらく彼女に怪しまれているのだろうと少し同情した。
だがそれ以上に僕に彼女がいないのにあごひげには彼女がいるのかと思うと意味も無く腹が立った。
でも冷静になってみると「顔と名前が同じ奴が3人集まって、その内1人と連絡が付かなくなったから2人で家まで行く」という説明で納得する彼女がこの世にいるわけがないよな、とも思った。
それで納得するような彼女は、異常に理解があるか、すでに恋人に対し興味を持ってないかだろう。
あごひげの彼女を見てみたいという興味もあり僕はサンリオキャラクターのOKスタンプを返した。あごひげと同じスタンプを昔僕も買っていたのだった。
メガネ宅へ行く当日、池袋駅西口で朝10時に待ち合わせをした。
9時50分にはお互い到着しており、あごひげの彼女に軽く自己紹介をする。
「霜月朝陽です。この度はご足労いただきありがとうございます」
なんと言っていいかわからず丁寧に挨拶をした。
「いえいえ!勝手についてきただけなので!ほんと同じ顔ですね!」
あまりの元気さに圧倒される。
「声も一緒だー。ねぇ」
僕ではない霜月朝陽(あごひげ)の手を握り楽しそうだ。女性の名前は星河ひかる。
身長は160㎝くらいで肩ぐらいまである髪を後ろで一つに結っている。年齢は25歳で同い年。その割に幼く見えるのははつらつとした元気さと飾り気のない髪形のせいだろう。
涼し気な目元が印象的で、笑うと目が線になるところが愛嬌があって年齢性別問わず誰からも好かれそうな印象だ。
この2人と仲良くなっておけば女友達を紹介してくれるかも知れない、というセカンドミッションを自分に課しながらメガネ宅へと向かった。達成したら伊藤先輩に自慢しよう。
メガネの生活圏に入るということで、あごひげにはサングラスとニット帽を用意してもらった。僕はそのままの恰好をして歩く。メガネの知り合いが勘違いして僕に声を掛けてきたら何か情報を聞き出せるかも知れない、という店長の発案だった。同じ顔が二人いたら声を掛けづらいかも知れないので、あごひげには顔を隠してもらったのだ。だが特に声を掛けられる事もなくメガネ宅へ到着した。
郵便受けには「霜月」と書かれていた。メガネの家でほぼ間違い無いだろう。家族と暮らしていたらと不安だったが見た感じ単身者向けアパートのようだ。
部屋の前に立つと僕たちの緊張感はピークに達していた。これまで誰も口にはしていないが、もしメガネが孤独死していたとしたら。もちろん通報をしなければならないが、諸々を説明し切れる気がしない。それに、自分と同じ顔と名前の男の死体を見たくはない。
電気メーターを見るとわずかに動いており、中に人が居ないであろうと予想できた。あごひげも同じ考えらしく電気メーターをチェックしていた。
インターホンを鳴らすと主の不在を知らせるかのように渇いた音が響いた。生命の雰囲気が一切感じられないような反射音がずっと部屋の中にこもり、そして段々音が小さくなっていった。
ドアノブに手を掛けると施錠されておらずあっさりドアが開いた。
「入ろう」
あごひげが小さく、だがみぞおちに響く声で言った。ひかるは身体を縮こまらせてあごひげの手を強く握っている。
僕は小さくうなずくとすばやく扉を開け玄関に足を踏み入れた。泥棒ではないが誰かに見つかったらもう言い訳が立たない。そもそもメガネが在宅中で鉢合わせしたらかなり気持ち悪がられそうだ。もし僕らのことが嫌になり連絡を断っていたいたとしたら。でもだったら一言くらい何か言って欲しかった。などとわずか数秒の間にいろんな思考が駆け巡った。
部屋に上がると床の上にスマホが置いてあるのが目についた。その横に彼が掛けていたメガネも置かれている。懸念していた不快な匂いは、無い。
整理された部屋で、掃除も行き届いている。それゆえに床に落ちているスマホとメガネが強烈な違和感となっている。
「スマホを置いて出かけるか?」
「メガネまで外してね」
あごひげとひかるが推理を始めたようだ。僕は他に手がかりがないか部屋の中を物色する。サイン本『哲学カフェを哲学する』が置いてある。何気なくパラパラとページをめくる。
同じ顔と名前同士、何か通じ合う物があるかと思ったが、僕の直感が働くことは無かった。僕と趣味が合う物があったり、全然興味が無い物が飾ってあったりする。
念のためユニットバスの中も確認したが何も違和感は無かった。
「あ」
あごひげが何か気付いたのか小さな声を上げた。
「何かわかった?」
なかなか切り出さないので話を向けると「何が?」という顔をしている。
「あっ、て言ったからさ」
「昼ごはん何食べようかなと思って」
「まぎらわしいな!」
一応突っ込んでおいたが、なんとなくあごひげが嘘をついているように感じた。それはひかるも同じようで、様子をうかがうようにあごひげの顔をチラチラ見ている。
僕は会話中にあごひげが意識的に顔を向けていない箇所があったので、そこに何かがありそうな気がした。
その後20分ほど部屋の中を調べたが失踪の手がかりになるようなものは何も無かった。僕らは収穫が無いままメガネ宅をあとにした。玄関から出る時は入る時以上に緊張した。誰と鉢合わせしても怪しまれる気がした。そんな心配は杞憂に終わり玄関を出て、少し急ぎ足で駅に戻った。気温が低い予報だったはずだが、身体が内側から熱くなっているのを感じる。足の裏も燃えるように熱い。
店長に収穫が無かったことをLINEで報告し、そのままお店へ向かった。
再び池袋駅へ。ポムの樹でオムライスを食べたかったが店長がオムライスを作ってくれるということなのでしばし我慢をする。ひかるは店長の申し出に対してにこにこの笑顔で喜びを表現している。
お店に着くと店長が「おつかれー」と言いつつ僕らにオムライスとスープを振る舞ってくれた。
オムライスは少し固めの卵で包まれていてケチャップが掛けられている。中はチキンライスになっていて、思わずほほが緩みそうになるほど美味しかった。一口食べた瞬間に僕たち3人は美味しさのあまり顔を見合わせたほどだ。
おなかがすいていた僕たちはあっという間にすべて平らげた。その間に店長からの質問に短く返事をした。
あごひげが食べ終わると「店長お店出せますよ」と真面目な顔で言うので、僕は「もう出してっから」と間髪入れずに言う。
僕はもうあごひげのボケスピードを掌握したと言っても良いだろう。そのやりとりを見てひかるが髪を揺らしてけらけら笑う。
あごひげとひかるは先に帰り、僕はメガネ宅から拝借してきた『哲学カフェを哲学する』を取り出しページをめくる。メガネは本に直接書き込むタイプらしく、本を綺麗な状態で保管しておきたい僕とは正反対なタイプだとこの時知った。そもそも僕はメガネのことをほとんど知らないのだが。
さらにページをめくると「自分は本当に自分か?」と殴り書きされた紙が挟まっていた。僕らが参加した哲学カフェのテーマと似た言葉だ。メガネが書いたのだろう。
考えたくも無かったが、メガネは自殺してしまったのだろうか。特に哲学的なものへの好奇心が強い彼は、僕らとの出会いを契機に生きる活力を失ってしまったのだろうか。
だけど、とも思う。僕自身自殺しようと思っていないし、きっとあごひげも自殺する気など無いだろう。あの日丸久悠が目を輝かせていたように、僕らに訪れた奇跡的で奇妙な出会いはメガネを魅了したはずだ。好奇心が刺激され日常が打ち壊されたはずだ。自殺なんてもったいないことを、彼が選ぶとはとてもじゃないが思えないのだ。
そう。不謹慎ながら僕は今の状況にわくわくしている。メガネがひょっこり現れたら、あごひげも交えて3人でとことん話し合いたい。「お前は本当にお前なのか?僕ではなく」と。メガネはなんと返してくるだろうか。LINEをチェックしたが、メガネからの反応はいまだに一切無かった。漠然と、メガネから返事が来ることはもう二度と無い気がした。
そして、さらに最悪な事態に陥るとはこの時は思いもしなかった。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?