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性のダイバーシティがダイバーシティしていくだけホッとする人がいる

自分はXジェンダーである。

Xジェンダーとは、総じて「性自認が男でも女でもない」人のことを指す。
その中でも「両性(男女どちらでもあると感じる)」「無性(男女どちらでもないと感じる)」などいろいろな分類はあれども一括りに「自分の心は男と女の2分類では分けにくいと思っている人」と理解していただければOKかなと自分は思っている。
ちなみに海外ではノンバイナリー(nonbinary)という言葉のほうがメジャーらしい。

昨今、性のダイバーシティの界隈では山のように言葉が生まれ、境界は引かれ、カテゴリが発生している。
言葉の数だけ区分けができることと同義なので、「ややこしい」「めんどくさい」「○も▲も☆も同じように見える」という言葉も散見されているけれど、まあごもっともと思う。

一応当事者圏内にいる自分さえ、知らないワードにぶちあたっては、Google検索する日々。

そんなに言葉が増えてどうするんだ、区分けができてどうするんだ
ぶっちゃけ全部覚えている人は誰もいないだろう。
だが「カテゴライズされる」ことの意味や価値を、自分たちはよく知っている。誰よりも。

たとえば、自分が初めてXジェンダーという概念を知った時の感動たるや。

「自分は純度100%の女じゃないように感じる」
「かといって男かと言われるとそれも何だか違う気がする」
「手術したいかと言われればなんとなくNO」
「女の子扱いされるのが嫌、でも男でもないのは自分が一番よくわかっている」

このあたりは全て自分のわがままだと思っていた。
こんなふうに思う自分が変なのだと思っていた。

なのに、この世では既に概念化されてカテゴライズされるほど勢力(?)を持っていたんだよなあと
わがままというよりは、「そういう『属性』を持った人類」として生きていいんだなあと
多分この世でXジェンダーを自認している人間はだいたい似たような心境を通ってきたのではなかろうか。

Xジェンダーが他の性的マイノリティと違うのは、「ボーイッシュ系女子」「可愛い系男子」という、既に世間でファッションとして確立しているジャンルを隠れ蓑として生きることがある程度可能な点にある。と自分は感じている。

それは思うままに表現をしても割と受け入れられやすい側面を持っている一方自分達Xジェンダーが根本的に抱えている「心と身体の違和感」の話を一旦脇に置いている。一番ナイーブな部分にはノータッチなのだ。

自分は身体的には女であることが物凄く嫌だ。
今でも結構嫌になる時がある。

生理が来るたびに、見ないようにしてきた現実を突きつけられる気がするし、胸があるせいで「この服をこんなふうに着たかった」ができないこともしばしば。
声が高いのも、背が低いのも、顔が女顔なのも、全部嫌。
この器まるごと嫌いだから捨ててやろうかな〜〜〜と思うことだって未だにある。
そんなふうに死にたくなるくらいは女の身体が嫌なのに、男ではないことを自分が一番よく知っている。

こんなこと誰に相談したらいいのよ? 友達に相談するにしても相談された方が可哀想だわ〜〜〜と思っていた当時の自分が、インターネットで見つけた「Xジェンダー」の概念に救われたのはいうまでもない。

地球上に、自分みたいなのは他にもいるらしいぞと。

だから新しい言葉を見かけても、どうかダルがらないで欲しい。
その場で調べろとは言わない。
新しい言葉が生まれるのを許していくだけでいい。
必要な機会がきたら、調べてくれたらいい。

その新種のワードひとつで、思考の迷路やネットの海を脱出してほんのちょっと前向きに生きられる人がいるかもしれないので。

ぼくがハッピーに生きる糧になります