私にとっての平成とは?~変化する教育と共に生きた17年~
平成から令和へと時代へと変わるということで、よい機会だと思い、私にとっての平成(平成14年以降)を振り返ることにしました。
私にとっての平成とは 一言で言うと「変化と翻弄」です。
「平成は変化の時代だ」と言われれば多くの人が納得することでしょう。
1995年のWindows95が先駆けとなった大衆へのコンピュータの普及、iモードや絵文字を搭載し のちにカメラも搭載されるようになった一人一台の携帯電話、iPhoneを代表とするスマートフォンの登場、そしてSNSの普及など 私が生まれる少し前から遡っても急速な社会システムや文化の変化が起こっていることは見てとれます。
そんな大きな社会変革が起こる中、私は主に社会変革そのものではなく、“大人の空気”に翻弄されてきました。
社会変革そのものには特に無理なく適応できたのではないかと思います。
生まれた時からコンピュータはあり、ある程度普及して扱っていたデジタルネーティブ世代ですから、のちにスマートフォンが登場したりSNSが普及しても自然と対応できました。
しかし 世の“大人”は その時代時代の空気で 随分と身勝手に違ったことを言い、その時々で教育しようとしてきました。
つい1年前まではスマホは害だと言わんばかりに 「勉強しろ! 」と言ってきたと思ったら、今度は 「スマホやパソコンからスタディサプリの映像授業を使って勉強しよう」と言い出す訳ですから、いくら時代が変化しているとはいえ、教育活動の一貫性の無さにはほとほと困り果てたものです。
そんな時代や空気に影響されて 育って 強く感じたことは「いかにして自分の価値観を強く持ちながら、変化に対応していくか」ということです。
時代が変わっても自分の価値観をしっかりと持ち また時代の変化にも柔軟に対応する、そんな人になるにはどうすればいいのか、これは 私の令和初期 の最も重要な課題となるでしょう。
〜平成の「変化と翻弄」から 令和の「変化と対応」へ〜
このような人となり、やがてはより良い令和の時代を築けるようこれからも精進していきたいと決意します。
サポートいただけると、作者の書籍代とイベント参加費・運営費となりますので、ぜひサポートお願いします!