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「そんなにボカロ好きなら曲作ったりしないの?」

こんばんは。エモいさかじょんです。(何に?→人生に)

大人になってくるにつれて、VOCALOIDを始めとする合成音声音楽が好きだよ〜ってことをリアル関係でも隠さないで済むようになってきたなぁと思います。それは世間からのボカロの評価が変わってきたというのと、私が生きる環境が変わってきたというのと両方あると思いますが。

そんな中、「そんなにボカロ好きなら曲作ったりしないの?」と言われることがありました。今回はそれにまつわるお話です。

初音ミク「あのね早くパソコンに入れてよ」
私 > <

ボカロリスナーへの質問

そもそも、今となっては社会人の私も、ボカロ曲を聴き始めたのは中学生の頃でした。気づけば十数年VOCALOIDを聴いているということです。

そんな中で、さまざまな変化がありました。私がデカくなったのもありますし、VOCALOID(をはじめとする合成音声)が社会に少しずつ認知され、「初音ミク」はオタク向けのアングラカルチャーから、若年層を中心にして比較的自然に受け容れられる大衆寄りの文化になってきました。そこにはもちろんプロセカという肝入りコンテンツの勃興も影響していると思います。

そんな合成音声音楽という文化も、さまざまな側面がある中、文化の原動力はやはり楽曲を作るクリエイターにあると思います。ありがとうございます。

そうやって私は10年以上ボカロ曲を享受してきて、VOCALOIDの好きな側面は語るに尽きません(それをいままでちくちく記事にしてきました)。おかげで、自分がなぜVOCALOIDが好きかという言語化はかなりできるようになりました。

んで、それを飲み会とかで友達とかに朗々と語って聞かせることもあるんですが、そんなときに聞かれたのがタイトルの質問です。

「そんなにボカロ好きなら曲作ったりしないの?」

自分は「普通にしないな」って思ったし言ったのですが、さてこれはなぜなのでしょう。

先ほど述べたように、合成音声音楽という文化のエンジンとなるのはやはり曲であるように思います。それも在野の、たくさんのクリエイターが生み出す。

もちろん、それ以外の創作活動も合成音声文化の一翼を担っています。絵だったり、動画だったり、文章だったり等々。でもそれらも、曲というパワフルなエンジンがあって、さらに魅力的な推進力を持つものかと感じます(これは賛否あってもいいと思いますが)。

今や、パソコン1台あってちょっとがんばれば、最低限の楽曲制作の環境を整えることはできるんじゃないかと思いますし、やろうと思ったらできるんです。きっと。

でもやんない。なんで?

ボカロリスナーとしての生

この「ちょっと頑張ればできるのにやんない」というのは、以前に書いた「マジミラに行かない理由」と似ている気がします。

結局、「VOCALOIDと私」、それも「VOCALOIDの声にうずもれて、存在感を薄れさせてもらっている私」の世界にいる時が、私にとって一番心地いいと思ってしまうから、ということでしょうか。(中略)

結局のところ、私はボカロが私の心の中に勢いよく踏み込んで来ないでいてくれているような、つかず離れずの距離感に心地よさを感じていて、それ以上に「まるで肉感があるかのように存在するボカロに近寄る」ことや、「ライブに来るほどボカロが好きな人間と一体となって楽しむ」ことに、ちょっとだけ引け目を感じているということなのかもしれませんね。

https://note.com/sakajohn7/n/n2cb7557ca28f

この10年来VOCALOIDを聴いてきて、私は自分にとって最も心地よいVOCALOIDとの距離感や、享受のあり方を掴んできたように思います。

自分にとっては、それの圧倒的中核が「いっぱい聴く」であり、今の私にとってはそれが一番心地よい時間を感じさせてくれるということなのかもしれません。

初音ミクのことが本当に好きなら、ライブに行ってお金を落として初音ミクの発展にさらに寄与すべきという主張もあるかもしれませんし、言い分としてはよくわかります。

でも私はそのハードルを越えることをなかなかしません。コストを払いたくないというわけではないのですが……(実際、即売会や通販で初音ミク関連のグッズやCDなどには結構な額をつぎ込んできました)。

私はそんな「不誠実な」ファンですが、初音ミクは音声合成ソフトウェアであり、生きていないので、初音ミクはそれに対してマイナスの感情を抱くことはありません(と私は信じています)。

それと同じで、私は「曲を作る」というチャレンジも、目下のところするつもりがありません。ともするとそんな消極性を、初音ミクはきっと何も思わないのでしょう。生きてないもんね。

結局、合成音声音楽は何となく、享受の在り方に関する自由度が高い文化なのかもしれません。

おわりです

今回は、曲が作れないし作らないリスナーのお気持ち文書でした。

私は、愛する合成音声音楽という文化のメインエンジンとはならないちっぽけなリスナーとも言えます。でも、リスナーがいないとクリエイターもいなくなってしまうのもまた事実。

多くのボカロリスナー同志におかれましては、これからもお好きなように、合成音声音楽を聴いていっていただければと思います。
ボカロリスナーとしてのプライドともに、自信を持って聴くのも一つ。私のように、時々クリエイター側に回れない(´・ω・`)顔を心の中にのぞかせながら聴くのも一つ。そんなこと考えずに聴くのも一つです。

私は比較的「文章を書く」のは好きですしやる気があります。こうして記事をちくちく書くのはこれからもやっていく気がします。私の考えていることや書いたことが、愛する合成音声音楽という文化を3mmくらい深めることができていれば本当にこの上ないことです。

リスナーにもたくさん楽しみがありますし、それが合成音声音楽の文化の今後につながっていくとも言えます。

再生数を回せ、シェアをしろ、好きを語ろう、ボカロリスナー。

ではでは、最後まで読んでいただきありがとうございました。

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