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料理の基礎を学んだ、湘南のフレンチレストラン【酒井英彰と酒井商会の歩み #02】

酒井です。酒井商会で働くみんなに私の考えをしっかりと伝えたいと思い、私自身と酒井商会の歩みを書いていきます。今回は、オーストラリアから帰国した私が、フレンチの基礎を学ぶために働いた湘南のフレンチレストランでの日々について書いていきます。

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伝統的なフレンチを大切にする『三笠会館』

いつかは自分の店を持ちたいと思い、フレンチの基礎を学ぶためにオーストラリアから帰国してきた私ですが、職場選びは料理一色というわけではありませんでした。

私にとってサーフィンは欠かせないものです。サーフィンをしながら働ける職場が望ましいと考え、サーフポイントがある土地のレストンを調べていきました。

そして辿り着いたのが、湘南にある『三笠会館 鵠沼店』です。

鵠沼海岸通りにある三笠会館は、1973年の開店以来の老舗フレンチレストランです。昨今では「モダンフレンチ」と呼ばれるようなスタイリッシュなスタイルのフレンチが数多く登場していますが、ここは伝統的なフレンチを大切にしていました。

レストランの外観も内装も落ち着いた雰囲気で、家族の記念日やお祝いなどで利用される方も多く、湘南フレンチとして長年愛されてきたお店です。21年9月に惜しまれながら閉館しましたが、私も閉館前には足を運ばせてもらいました。

当時の私はオーストラリアのフレンチレストランで働いていたといっても、アルバイトの範疇なので、料理に関しては大したことはできません。そんなゼロからのスタートでしたが、料理人として採用してもらいました。


まかない料理は新人にとって絶好の修行の場

三笠会館での日々を思い出すと、人に恵まれていたと感じます。シェフやスーシェフをはじめとした先輩方が、何もできなかった私を信頼してくれて、料理の様々なことを教えてくれました。

特に記憶に残っているのは、新人の頃のまかない料理です。

多くの新人料理人と同様に、私もまかないを任せてもらうことからはじまりました。三笠会館は大きなレストランだったので、料理人とホールをあわせて20人くらいのまかないを作る必要があります。また、昼晩と1日2回のまかないがありました。

何もできなかった新人の私も、まかない料理を毎日作っていると、さすがに料理の腕が少しずつ上がっていきます。はじめは時間通りに出せなかったり、熱々の状態で出せなかったりしましたが、それも段々と調整できるようになりました。

加えて、先輩の料理人たちが、私の作ったまかないに色々とアドバイスを与えてくれます。自分の料理の世界が広がっていく感覚がして、料理の楽しさを感じていました。

いま、酒井商会でも毎日のまかないを大切にするようにと伝えています。自分で献立を考えて、栄養バランスも踏まえたうえで、必ず一汁三菜をつくってほしいと。

料理の世界で、まかないは新人にとって絶好の修行の場と言われますが、それは真実だと私も思います。その人がどれだけ料理が好きなのか。自分のつくった料理で周囲の人にどれだけ喜んでもらいたいか。そういった料理への想いも、まかないから伝わってきます。

こうした私のまかない料理への考え方は、この三笠会館での経験が原体験にあります。

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(▲)三笠会館で働いていた当時の写真。真ん中が私です。


厨房の外を全く知らないという焦りと不安

料理人としてゼロからのスタートでしたので、とにかく自分のできることを増やしたいと思い、三笠会館では日々働いていました。

ただ、働きはじめて2年くらい経ってくると、「このままでいいのだろうか」と将来に不安を覚えるようになりました。

三笠会館はそれぞれの役割が明確で、厨房は厨房、ホールはホールと持ち場が決まっています。お客様の顔をほとんど見たことがなく、いつか自分の店を持ちたいと考えていた私ですが、厨房以外のことを全く知らないと気づきました。

そんななか、たまたま縁があり、料理人であり飲食店のコンサルタントもしている方と話をさせていただく機会を得ました。東京のレストランシーンがどう移り変わっているのか。これからの飲食店の経営において求められるものは何か。その方が話す内容はどれも刺激的で、私はずっとメモをとり続けていました。

興奮を感じると同時に、「自分は何も知らないのだな」と焦燥感を感じました。それまで家とレストランを往復する毎日で、外の料理人や飲食関係者との交流は全くありませんでした。もしかすると、自分はとても狭い世界に生きているのではないと感じたのです。

なんとかして自分の現状を変えたい。その想いを相手に伝えると、コンサルタントとしての取引先の会社が積極的に事業拡大しようとしていて、採用を強化していることを教えてくれました。そして、「そこなら自分が紹介できるので、その会社で働いてみたら」と紹介いただけることになったのです。

その会社が、様々な業態の飲食店を経営する株式会社ゼットンでした。

食のビジネスに関わる人であれば誰もが知っているであろう稲本健一さんが代表をしていて、その頃は上場したばかり。新業態のハワイアンレストラン『アロハテーブル』の店舗を増やしていく計画で、その店舗で働く料理人を募集していました。

当時の私は、稲本健一さんのことも、『アロハテーブル』も全く知りませんでした。それでも、「これはチャンスだ」と直感的に思い、転職を決めました。


改めて振り返る『三笠会館』での日々

三笠会館では結果的に2年ほど働いて退職しましたが、フレンチの料理人としての腕前はまだまだ下っ端でした。ソーシエ、ポワソニエまで。フレンチのシェフに憧れ、フレンチを学びたいと思って働きはじめた結果としては、中途半端なものでした。

それでも、三笠会館での日々を改めて振り返ると、本当にいい経験をさせてもらえたと感じます。

料理人の世界は離職率は高く、まだ何もできない新人の頃に、長時間の労働や先輩料理人たちからの厳しい指導に耐えきれず、料理の道を諦めてしまう人が少なくありません。

ただ、三笠会館は先輩料理人たちがよくしてくれたことに加え、会社としてのコンプライアンスもしっかりとしていて、残業もほとんどなく、無理なく仕事を覚えていくができました。

ハードな職場のほうが自分の成長のためにいいという人もいると思いますが、社員として働いた経験もなく、料理を覚えたての私には、三笠会館での働き方はあっていたと感じます。オーストラリアから帰国して、いきなりハードな職場で働きはじめていたら、料理の世界に嫌気がさしていたかもしれません。

今でも、三笠会館で働いていた時の縁は大切にしています。当時スーシェフを務めていた方が、現在は湘南のダイニングレストランで料理長をしているのですが、家族で定期的に食べに行ったりしています。

この後、アットホームな雰囲気を大切にしている三笠会館から、上場企業でもあり、貪欲に次々と新しいことを挑戦をしていくゼットンへと移った私は驚きの連続でした。この続きは、次回のnoteに書くことにします。

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出会う人との「縁」を大切にしたい

最後に、私の記事を読んでもらうと、転機となるのは人の縁が多いことがわかると思います。

料理で身を立てたいと思うようになったのは、オーストラリアで出会ったシェフですし、ゼットンで働くことになったのも、たまたま知り合うことのできた料理人かつコンサルタントの方との縁でした。

こうした縁がなければ、私の歩みは全く違ったものになっていたでしょう。

料理人として成功するためには何が必要か。料理の腕を磨くことは不可欠ですが、そのほかに必要なものが「運」と「縁」だと思います。酒井商会を開業してからの歩みを振り返ってみても、多くの人の縁に支えられていると感じます。

だからこそ、酒井商会で働くみんなにも、「縁」を大切にできる人になってほしいと考えています。


<編集協力:井手桂司>