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土の音を新しく聞け1 "世界の秘密"

 「大学なんて入ったところで何になる?お前の人生は中途半端だ」
 「うるせえ、オレの人生はオレが決める。行きたいと思ったから行くことにした、ただそれだけのことだぜ。」
 2016年3月、オレは地元の進学校を卒業し、実家から通える距離にある国立大学に入学することになった。親友のTには、一緒に世界中を旅して歩こう、オレが料理は作ってやるから、と誘われていたのだが、オレは断った。一度切りの短い人生、そんな馬鹿げたことをしているヒマはない。オレは結婚したいし、子どもも欲しい。特別なことなんて何も望んじゃいない。平凡で良い。普通に会社に勤めて、愛する妻と、子ども達の成長に寄り添うことができたなら、オレにとってこんなに幸せなことはない。だから今からそのために着々と準備を進めていく必要があるんだ。
 Tとは、高校生活の3年間でずっと同じクラスで、放課後も休み時間も、暇さえあれば一緒にいて、そしてよくしゃべっていた。Tは、夢見がちな瞳を持った、典型的なロマンチストだった。口だけは本当によく回る男で、オレはあの子に明日デートに誘われる、なんてひと言もしゃべったこともない別のクラスの女子を、廊下ですれちがって、ほんの一瞬目が合っただけで、そんなことを本気で思ってしまうようなやつだった。ドラマの見過ぎだろうとも思ったのだが、意外や意外、Tの家にはテレビがないらしい。おまけにスマホも持っておらず、ガラケーだ。
 クラスでスマホを持っていないのはTくらいなものだろう。Tはそのことについては全く気にしていないようだった。何でも、Tの家は、自営の農家で、その野菜づくりの仕事を一緒にやるのが楽しくて仕方ないらしい。畑で出会うことのできるいのち、それは虫や鳥や野菜や微生物、光や風や水や土の感触、生態系の仕組み、そのつながりの中で呼吸すること、時に残酷なほどの自然の厳しさも含めてその全てが、Tにとってはおもしろくて仕方ないみたいだ。おかげでTは、世間、というかクラスの中の話題にはほとんどついていけず、少しクラスの中で孤立しがちではあった。もちろんTも、世間、というかクラスの中の話題に全く興味がなかった訳でもないし、コミュニケーションを拒否している訳でもないのだが、やはり畑のおもしろさと比べればそれは天と地程も差があるようで、ついつい、それはTの中の態度にも出てしまい、あまり会話が弾まない。ものごとの本当のおもしろさを知ってしまうということは、ものごとの本当のつまらなさを知ってしまうということでもある。それは一方で幸福なことだけれど、一方では不幸なことであるということもできるかもしれない。
 そんなTではあるが、オレとだけはなぜか気が合った。それはオレが、人の話を聞くことが好きだった、ということと、実際、Tの話は聞いていておもしろかった、ということに尽きると思う。こんなおもしろい話、何で皆もっと興味持たないのか、不思議に思うくらいだった。
 「お前にひとつ、世界の秘密を教えてやるよ。」
 「なんだよ、T、言ってみろよ。それを知ったらオレの人生狂っちまうとかってことはねえよな?」
 「バカかお前、スマホの見過ぎだぜ。まあ、お前次第では、その可能性もあるけどな。」
 「上等じゃねえか。どんな秘密でもかかってこいよ。オレの人生を狂わせてみろ。」
 「言ったな?知らねえぞ。後であの時やっぱり世界の秘密なんて聞くんじゃなかったーなんて後悔してオレを憎むのはなしだからな。お前が知りたいと思ったから、オレは教えた、そのことを絶対忘れるなよ。」
 「くどいな、T。お前が教えてやるよってはじめ言ってきたんじゃねえか。だがまあ、約束するよ。オレが世界の秘密を知りたいと思ったから、Tに教えてもらうことにした。そのことを絶対忘れないと。」
 「さすがお前はものわかりが良いな。そんなお前にだからこそ、オレは教えてやりたいんだ。オレが知ってるたったひとつのこの世界の秘密、それは、"有機農業は一番新しい21世紀の農業であり、やがて世界を席巻する"ってこと。どうだ?おどろきだろ?」
 「…よく分かんねえ。そもそも、有機農業って何なんだよ。」
 「うちの畑に来いよ。お前なら、もしかして土の音を新しく聞けるかもしれねえ。」

 2024年1月18日

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