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【京都】おいしい水 九頭竜弁財天

 京都は〔水のおいしさ〕を抜きにしては語れない気がする。

 京都へは、中学生以来、何度も行った。
 小学校卒業前に亡くなった祖母が、よく京都のとある神社へ参拝しに行っていた縁で、その後を受け継ぐように、今度は家族全員で参拝するようになったから。

 年に一度、晩秋の頃。
 父の運転する車で、真夜中に出発した後、真っ暗な高速道路をひたすら走り続ける。
 京都市街へいざ入らんとする高架道路を走っていると、右手に何やら異様に目立つ、ものものしい宗教施設が出現し、これを見るたびに、
(ああ、京都に来たんだな……)
 妙にわくわくした気分となったものだ。
 後で調べてわかったが、それは〔大谷本廟〕というらしい。

 目的地は〔九頭竜弁財天〕といって、京都の中心地から離れた、北東の山中の、高野川沿いにある。
 郊外も郊外、さほど規模が大きい訳ではない神社だが、どのような縁で祖母が熱心に参拝するようになったのかは、知らない。

 車がここへ到着するのは、あまりに早朝すぎるので、神社の駐車場へ入り、車の中で束の間の仮眠をとる。
 地形のこともあり、時には濃い朝霧に包まれていることもあり、見事に神秘的で、妙にかしこまった気分になる。

 九時になって参拝客を受け入れる時間となれば、家族そろって社のまわりをぐるぐる回ることになる。
 このくらいの頃になれば、さすがに、霧は跡形もない。

京都・九頭竜大社

 竹簡を九本わし掴みにし、何かが祀られているらしい、小さな祠の数カ所や本殿を含めて、とにかく順々にお祈りし、一周まわるごとに、手にした竹簡を置いてゆく。
 九回ぐるぐる回れば、それで完了。
 いざ、おみくじ。
 わたしがよく引いたのは、
「まだまだ念が足りぬ」
「油断せず神を信じよ」
 何かもう……本当にごめんなさい。

 さて、京都の水。
 それがとても美味しいってことは、よく言われていて、京都で食べて初めて豆腐を美味しいと思えたのも、やはり、
、なんだなあ、きっと)
 納得した。
 この、九頭竜弁財天では、好きなだけ汲んで持ち帰ってよいことになっている。

 大学時代。
 旅行で九頭竜大社へ立ち寄ってみた折、一緒にいた友達が、唐突に叫んだ。
「ちょ、待って、んまい。何この水!
 中学生の頃から毎年、普通に味わっていたわたしは、このリアクションに驚いた。
 しかし、改めて味わうと、確かに、
「あ……ほんと、美味美味だよね」
 清冽なものが、すっと身体の中を通り抜ける感覚が走り抜ける。

 いや待て。
 今までちゃんと味わおうともしていなかったし、レベルの差こそあれ、水が普通に美味しいのは、ごく当たり前のことだと思っていたから、格別の注意も払っていなかったが、
「今更だけど、この水って、コンビニとか通販とかでも、なかなか巡り会えないよね」
 本当に、今更なもんだ。

 早速、わたし達は容器を確保、せっせと中身を詰める。
 一人につき二本、二人分で四本を汲み上げたところで、はたと、困った。
「これ、どうやって持ち帰るん?」
 何と言う思慮の足りなさだろう。これで一応、大学生なのだ。
 すると、社務所から出てきたおじさんが、
「お嬢ちゃん達、それ、持ち帰りたいんやろ?」
 親切にも、不要な段ボール箱を提供してくれた。
 一通りの礼を述べると、高野川沿いの坂道を、てくてくと下る。
 ついでに、土産などの余分な荷物も箱へ移し、自分のアパートへ送った。

 ところで。
 今回、マップで九頭竜弁財天の位置を確かめたのだが、そのすぐ近くに、妙なものを発見した。
〔猫猫寺〕と書いて、どうやら「にゃんにゃん寺」と読むらしいが……。
 宗派は、招喜猫宗と云って、その総本山らしい。
 日本人の良いところは、何でも神様に仕立て上げることで、例えばエジソンなどの外国人ですら、それを祀る神社があるくらいだ。
 なので、猫に祈る寺院があってもよいし、むしろ是非とも行きたい。
 しかし……こんなの、あったかな。
 全然知らなかった。

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