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【シルクロード12】ウルムチ(三) 馬で湖一周、ガイドは子供

 とても寝心地の悪い一夜を過ごした翌朝。
「馬で天池を一周してみないか」
 カザフ族のオヤジさんが勧めてきたそのツアーは、とても魅力的だった。
 見た目はうさんくさいおっさんだけど。

 ということで、朝日が湖畔に照り輝く中、二頭の馬が用意された。
「こいつらがガイドするからな」
 その馬の手綱を引いているのは、どうみても二人とも10歳くらいの子供なのだが……。
 不安だらけの馬の旅が始まった。

 陳舜臣の〔新西遊記〕では、カザフ族は生まれながらにして乗馬の天才らしい。
 まるで鞍の方から尻に吸い付くがごとく、自由自在に馬を乗りこなすらしい。
 その話を読んでいたので、子供がガイド役であっても、きっと頼りになるのだろうと納得し、いざ出発。
 相棒のプチ子は、とても浮かない顔をしていた。

 馬は、乗り手を見透かすらしい。
『こいつ、大したことない奴だ』
 と少しでも思われてしまうと、まったく言うことを聞いてくれなくなる。
 実際、わたしが試しに乗ってみたら、四本ある脚の一本とて動かしてはくれなかった。
「動いて、歩いて、できれば走って」
 とお願いしても、馬耳東風とはまさしくこのこと。
 カザフ族の子供が、横から馬へ何か命令したところで、やっとお義理程度に歩いてくれたものだった。
 そんな馬に、まず子供が乗って、その背中にわたしたちがそれぞれくっついて分乗する、というスタイル。
 これなら動いてくれる。

 湖を一周、とは言っても、その湖畔はけっして平坦ではなく、手付かずの森がわんさか茂っていて、高低差も地味に激しい。
 いや、最初はよかった。岩場と草原がまじっている大地をてくてくと進んで、風がとても気持ちよかった。
 このペースだと、夕方ごろにはぐるり一周して帰ってこられそうだな、と思った。
 でも……木の根がうねって地を這い、枝がぐねぐねと天を覆い、うっそうと茂る森の中へ突っ込んだとたん、事態はとても怪しくなってきた。
 ちょっとした高低差のある場所へ出くわすと、馬が足をすくませ、すぐ止まってしまう。
 馬はとても臆病な動物だと聞いたけれど、そりゃあ、1メートル以上ほどの落差をぽんと飛び降りるなんて、馬じゃなくても怖くてできないと思う。
 ましてや、うちらと子供、それぞれ1.5人分の体重を背中に乗せているのだし。
 でも大丈夫。
 カザフ族は、生まれながらにして馬を操る天才なのだから……。
「てめ、この、さっさと行けや、おら!」
 子供は罵詈雑言をあびせ、足で馬の首筋を容赦無く蹴り飛ばす。
 え、馬を操る天才……思ったより激しく暴力的だった!
 このくらい激しく接しないと、言うことなんて聞いてくれないのだろう。たぶんね。
 わたしのように、なるべく優しく接しようとすると、すっかり舐められてしまうものらしい。
 で……しばらく躊躇っていた馬は、わたしにも伝わるくらいの『いやいや』な気持ちをあからさまに醸しつつ、ようやく段差を飛び降りてくれた。
 時には、逆に飛び上がらないと行けない高低差もある訳で、またもや、
「行けっつーてんだろ、てめ!」
 またも、蹴りが炸裂する。
 ぶるぶるぶる、と不満そうに鼻を鳴らしたところで、その場で少しだけ足踏みすると、ひょい、とジャンプに近い勢いで登ってくれた。
 その時の、馬の筋肉の躍動がすごかった。
 わたしの脚は馬腹に密着させているので、それがダイレクトに伝わってくれる。

 やがて……。
 正午も近い頃あいだったか。
「だめだこりゃ、帰るぞ」
 ガイド役の子供が、唐突に宣言した。
「えええ?」
 と困惑しつつも、そりゃそうだと納得もする。何しろ行程、湖外周の4分の1ほどでしかない。このペースだと、一周を終える頃には真夜中を迎える羽目になるだろうことは、容易に推測できた。森の中は闇夜に閉ざされるし、生命の危険に直結する。

 もう一頭の馬に乗っているプチ子は、たいへん不服そうな顔を隠そうともしていなかった。
 そっちの馬に乗ってたガイド役の子供が、笑顔でこう言う。
「この馬、根性なしだったな」

          ◯

 帰りついて午後3時。
「よう、楽しかったかい?」
 カザフのおっさんが、混じりっ気のない笑顔で迎えてくれた。
 あまりにも悪びれないその様子に、腹が立つどころか、むしろ感心させられたくらいの笑顔だった。
「もうここを発つのか。じゃあこの帳面に感想を書いてってくれよ」
 おっさんが差し出したノートは、宿帳、というかおっさんのパオ宿泊の感想が列記された代物だった。そういえば昨夜、これを自慢げに見せて『うちはこんなに評判いいんだぜ』としきりに勧誘してたっけな。
 しぶしぶペンを取って、さて何を書いてやろうかと、昨日から今日までのはらわたが煮えくりかえるような、あれやこれやを想起していると、
「悪いこと書くんじゃねえぞ。いいことだけ書いてくれよ」
 おっさん、どうやら少しは自覚があるらしい。
 日本語が読めないだけに、なおのこと執拗に念を押してきた。
 他の人たちは具体的に何を書いていたのかと、ぱらぱらめくると……60代の日本人のおばあちゃん二人組の感想が目に止まった。
『素晴らしい一週間をここで過ごしました。みなさん親切で、居心地がよかったです』
 いや、嘘でしょ!?
 若いうちらでも、随分と辟易したのに、そんなお年寄りが『居心地良く過ごした』って、しかもそれが一週間だなんて、とても信じられないんだけど!

 午後4時すぎ、バスはウルムチへ。
 二人とも、むっつり黙っていた。
 あの宿帳に、二人して何を書き殴ってあげたのか、それはまあ、内緒ということで。とくに、あのおっさんには。

          ◯

 翌日。
 お互い、しばらく別行動を決めたわたし達は、ここでひとまずお別れとなる。
 わたしはもっとシルクロードを西へ西へと西遊記の旅を続けたいし、プチ子はそろそろ三国志の旅をしてみたい。
 午後8時出発予定のバスは、9時になってようやく、わたしを乗せて走り出す。
 バスターミナルで手を振るプチ子が、
「保重(BaoZhong:元気でね)」
 と中国語を使って手を振る。
 わたしも、
「保重身体〜(お達者で〜)」
 とぶんぶん激しく手を振る。
 さ、これからは、たった一人で沙漠の旅が本格化するのだ。

 ひとまず今回のシルクロード編は、ここでキリよく中断。
 次回からまた、別のお話で。

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