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【中国・黄山】その3 想像力てんこもりの伝奇的風景

 黄山の、けわしい山道を日がなずっと歩いていたせいで、21時にはベッドへもぐりこんでしまった。
 もっとも、この早すぎる就寝には、目的がある。

 4時半。
 あたりが真っ暗な中で、もぞもぞと起きて、夏とはいえとても冷える中を、むにゃむにゃと着替え、ホテルの外へ。
 この北海賓館には遠望台がある。
 そこに立てば、見事な日の出が見えるそうだ。

 凛と冷えた空気の中、東の空がじわじわ白みはじめる。
 他にも多くの観光客が群れをなし、その時を待つ。
 隣のグループに欧米人の女性がいて、英語でずっとぶつくさ文句を垂れている。
「サンライズなんか見て、何が楽しいの? さむっ!」
 多神教の文化が残るアジアでは、太陽も崇拝の対象で、個人的に信仰心なんかこれっぽっちもなくとも、どういうわけだか日の出にはテンションがあがる。
 つまり、わたしはアジア人の典型。
 でも欧米人にとっては、日の出は日の出。あくまで太陽がのぼる自然現象のひとつにすぎない。
 その女性の、グループ仲間の日本人が、もうちょっとだから、となだめている。

 やがて。
 雲海がたなびく山嶺に、朝日がまぶしい光とともに、その姿を現した。
 しずかな歓声が、あたりを支配する。
 わたしも、ためいきをもらす。
 人生の中で、これほど見事な日の出は、他にない。

「やっと昇ったのね。でもこれのどこが良いの?」
 欧米人女性も、別の意味でためいきをついていた。
 感性は、人によってさまざま。
 本人にとって、こんな眠くて寒い中つきあわされたのは、さぞかし災難だったろうけれど、
(なるほど、世界のすべての人が、日の出に感動できるわけではないんだなあ……)
 勉強になった。

雲海から姿をあらわす、黄山の日の出

 ホテルへ戻って、二度寝。
 9時になり、まだ前日の疲れが残る中で出発。
 せっかくの快晴だ、めぐれるだけめぐっておきたい。
 黄山には、想像力を刺激する名称が、あちらこちらの奇観につけられている。
 行けた場所もあれば、行く余裕がとれず断念した場所もある。
 地図から、いくつか抜き書きしてみると……。

飛来石:前日行った場所。長細い巨岩が、峰に突き刺さってる。
武松打虎:水滸伝の武松が、虎退治している様子っぽい岩、かな? 行けなかった。
練丹峰:仙人になれる薬を練るための炉……っぽい峰かな?
双猫捕鼠:二匹の猫がネズミを狙ってる姿……なのかな?
石猴観海:石猿、つまり生まれたての孫悟空が、雲海を眺めてる姿。
猪八戒吃西瓜:猪八戒がスイカを食べてる姿。そう……なのかな……と首を捻りながら見た気がする。
達磨面壁:だるまさんが、壁に向かって瞑想してる姿。
夢筆生花:とがった峰の先っぽに、ぽつんと松が生えてる。まるで筆みたいに。

石猴観海:生まれたての孫悟空が雲海を見下ろしてる

 この中の〔夢筆生花〕は、松がとっくの昔に枯れてて、人造のレプリカを据えた時期があったらしい。
 そりゃま、樹木にも寿命ってものがあるしね。
 その後、がんばって黄山松を移植し、元の景観を取り戻したそうだ。

夢筆生花:筆の先っぽっぽい岩と松

 全域をまわるのは、無理。
 一週間かけても、たぶん無理。
 お金が無限にあるなら、割高すぎるホテルを起点に、悠々と長逗留することもできるだろうけれど。
 そもそも、体力が続かない気がする。
 すくなくとも、相棒のぷち子は、すっかりへばってる様子。
 わたしも好奇心で元気に歩き回ってるけど、たぶん、自覚するよりずっと疲労がたまっているはず。

 なので、
(そろそろ、頃合いかなあ……)
 この仙境に、別れを告げることにした。
 でも、ロープウェイなんか使わない。
 ぜんぶ、自分の足だけで踏破してやる。

百丈泉

 麓の入り口的な雲谷寺を通過し、ついにアスファルト道へ降り立つ。
 途中、バスやタクシーが声をかけてくるも、ぜんぶ無視。
 夕方、ついに黄山温泉口にある安宿へ帰着した。

 計算してみると、40キロにもおよぶ道のりだった。
 しかも、アップダウンの激しい40キロ。
 なかなかの達成感だった。

 数日後……充分にからだを安め、黄山を去る。
 来た時と同じ、どしゃぶりの中、バスに乗って。
 次の目的地を、洛陽とさだめて。

 なお、後日端的に。
 北京っ子の友達もまた、黄山へ行ってきたそうだ。
 しかも、ほぼ日帰りの強行軍で。
 わたしが2日間かけた道のりを、たった1日で踏破し、そのまま北京へとんぼ帰り。
 中国人の脚力とスタミナ、どんだけすごいん?

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