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解決策よりも、解決すべき課題はそれでいいのか?について考えた

「イシューからはじめよ」という本があるじゃないですか。(数年前に途中まで読んで諦めた派ですが) この本に限らず、解決策(答え)の出し方に関する方法とか考え方はいっぱいあるけど、「本当に解決すべき課題は何なのか」のほうが大事だよね、という主張。解決したい課題がわかれば、それに対する対策や解法はいろいろ考えられるけど、そもそもその課題を解決して本当に意味があるの?みたいな。

で、「本当に解決したい課題なのか」という問いって、解決策に比べてフワっとしていると思うんです。私とあなたで認識が合いにくい、みたいな。これが自己完結するんだったらいいんですよね。自分で「これが本当に解決すべき課題なのか?」「うん、そうだ。だからこうやって解決しよう」とか、「こうやって解決しよう」が先に思い浮かんじゃったけど、「これより先に解決すべき問題があるんじゃない?」と自分で気づく、みたいな。

現実問題でやっかいなのが「他人が思ってる課題や対策に対して、それほんとに(優先して)解決すべき課題なの?」って思っちゃった時。

私は仕事として業務自動化を行っているので「こういうツールを作って欲しい」「ここを自動化してほしい」みたいな依頼があるのだけれど、それは「課題を解決する方法のうちの1つ」だと思うのです。

でも依頼する側の気持ちは「これができれば課題が解決する!もうこれしか無い!」みたいなモードになってると思うので、その依頼に対して「本当にこれ、やるべきなの?」とか「何を解決したいの?」(言い方にもよるけど)っていう返しって、「解決策よりも課題設定のほうが大事である」という考え方を知らない人には「なんでそんなこと聞かれるんだろう?」とか、「非協力的な人だ」とか「依頼してるんだからそれをそのままやってくれればいいだよ」という印象を与える可能性大だと思ってる。考え方を知っている人とだって、認識が合わない可能性もある。

かといって「課題設定するところから私も一緒に関わる」ことができればいいかというと、私が関わるかどうかじゃなくて「課題設定ができてるかどうか」だし、私が関わったところで、私の納得度が上がるだけかもしれないし、「それは本当に解決すべき課題なのか」に対する私の納得度はそんなに大事なのか?とも思う。何に納得するかなんて主観的なものだと思うし、現に困っている人が目の前にいるわけだし。

かくいう私も、プログラミングという手段が目の前にあるがゆえに「それはすぐできる」とか「(技術的興味や解決手段を多く持っておきたいという気持ちから)やってみたい」って感じで、課題の重要性に関わらず解決策を実行したくなっちゃう傾向があることは自覚してるのと、「本当に解決すべき課題なのか」についての認識って、全員が揃うとも思わないし、どこまで考えたらいいのかもわからない。すり合わせるのに時間をかけるくらいなら、(解決策がすぐ実現できるなら)やってみたらいいじゃないか、とも思う。

のようなことを考えながら、日々生きてます。

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