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第二回「絵から小説」:B 『花弁の城』


またまた参加させていただきます。



築き上げられた花弁の城は、四月の香りを多分に含んだそよ風に撫でられながらも、君の足元に毅然とそびえていた。足元に広がる無数のなりそこないたちが、城に羨望の眼差しを向けているようだった。七歳の子供が持てるすべてを使って作り上げたその城に、僕は君の強さを見出していたのかもしれない。
城は崩れた。自分を作り上げてくれた主に、喜びと感謝の意を込めて、その姿を誇らしげに披露していた時の事だった。自分で作り上げたその城を、君の裸のつま先はいとも簡単に壊してしまった。
時間の問題だったのは分かっていた。城は毅然とした美しさを持っていたけれど、それはあまりに脆く儚い存在だからこそ纏えた気品だったのだろう。期限付きの栄光。数時間の寿命。城はきっと、明日まで存在することはできない。許されない。でも少なくとも、それが終わりを迎えるのは今ではないことだけは分かっていた。
君に変わってもう一度城を作り上げようと必死になっていた僕を、君はただひたすらに見つめていたね。

「なんで?」

何で壊した。愚問なのはわかっていた。彼女が足を振り上げた時、僕は城がそのために築かれたものだということをどこかで理解していたのだと思う。でも、聞かずにはいられなかった。

「なんで?」

「え?」

僕が放った『なんで』の意味を、きっと彼女は理解していた。でも彼女からかぶせるようにして投げかけられた『なんで』の意味を、僕は理解することができなかった。彼女の問いから逃れるように、僕はただひたすらに花びらを積み上げた。僕のそれが、彼女の築いたあの城にはならないことは分かっていた。けれど僕はどうしたって、これを完成させなければいけないように感じていた。

 

 

あの日から九年後、君の家が燃えた。君は高校生になったばかりだったね。その日、君以外の家族は全員死んだ。
桜のたもとで過ごしたあの日、新しい両親に引き取られこの町に来た君は、それから九年間で溢れるくらいの幸福と愛情を彼らから受け取った。部外者の僕がそう言えるのは、君がいろいろ話してくれたおかげ。なぜ君が僕を選んでくれたのかはわからなかった。ただ、君は自分の置かれた状況を、恐れることなく僕に打ち明けてくれたね。過去の両親の事も、施設の事も。中学校で受けた一時的ないじめのことも、初めてできた彼氏のことも、新しい町での高校のことも。僕が変な正義感から突拍子もない行動に出ずにすんだのは、君から聞いた幸せな家庭生活のおかげだった。そこに嘘はなかっただろう。僕はただ聞くことだけに徹することにしていたし、君もそれを望んでいたんだよね。守ってくれる人、支えになってくれる人、そんな大切な人たちを、君はすでに手に入れている。僕が下手に割り込む必要はなかった。
だから葬式の日、僕は決心した。死んでしまった君の両親の後を継げるのは、僕しかいないと思った。君のそばにいつでもいる。何があっても守る。あまりにありきたりで理想主義じみた考えだったけれど、僕は大まじめにそう思って、棺の前で一人佇む君に近づいた。
君の瞳は、あの日と同じだった。自ら築き上げた花弁の城を踏み壊した、あの日の君と。僕の脳裏に、何度も踏み抜かれすりつぶされた花びらたちの姿が鮮明に思い出された。

 

 


僕はもうすぐ殺される。
春の訪れを告げる朝陽の香りをたっぷりはらんだ風がカーテンを膨らませる。電気ケトルのスイッチが切れる音がした。今日のラッキーカラーは赤色で、窓際のサボテンは一カ月ぶりの水分にきらめいている。何の気なしに受け入れて来たこれらすべての光景がもうすぐ見れなくなるのだと思うと、何だか胸が締め付けられた。悲しいわけではない。ただ、もうすぐこの時間ともさよならをしなくてはいけないのが、ほんの少しだけ寂しかった。
「おまたせ」
ことん。湯気の立つコーヒーカップ。
「ありがと」
何故そう思ったのか。しいて理由をつけるのなら、君と僕が幼馴染みだからだろう。僕は多分、永遠に君を恋人とは思えない。僕たちはあまりにお互いを知り過ぎている。
「何時に帰って来る?」
「いつもと同じ」
そっか、といって君はカップに口をつける。恋人とは思えないけれど、僕は確かに君を愛している。張り裂けそうになるくらいに、激しく。そうして君も、僕を本当に愛してくれているだろう。その気持ちに偽りがないのは、痛いくらいにわかってる。だから僕は、君に殺されるだろう。そうして僕は、君への愛ゆえに、それを受け入れるつもりでいる。

 

 

確信を得たのは、僕たちが中学二年の時だった。はるなたちが君をいじめはじめたときだよ。君はあれを自ら望み、仕組んだんだよね。君はあの時点ではまだ、自分がそう望んでいることに気づいていなかっただろう。君がその厄介な癖を自覚し、そうして何よりもかけがえのないものとして受け入れるのは、もう少しだけ後の話だからね。でも僕はこの時はっきりと確信したよ。

君は不幸を望んでいる。

もっと正確言えば、自らの手で努力して築き上げたものに自ら手を下し、そうして苦しみの渦に飲まれることに快感を覚えている。そうだよね?
小学校の頃仲の良かったさやかちゃんにぶつかるふりをして滑り台から突き落としてけがをさせたのも、可愛がっていたもーちゃんが行方不明になったのも、担任の先生のボールペンを盗んだのも、きっと全部。でも幼い僕には君がなんでそんなことをするのかわからなかったし、君もわかっていなかった。
はるなはクラスで誰よりも目立ってたね。中学生にして『可愛い』ではなく『美人』なんて言葉が似合う彼女が人気者にならないわけがないね。君は努力してはるなに近づいた。君は優しく、気が利いて、かわいくて。だから君の周りには、それまでだって友達がいたはずだ。なんでわざわざはるななんかに近づいたのか、最初は理解不能だった。あの時の君は、まるで人が変わったみたいに、はるなに受け入れてもらうためだけに生活の全てを捧げてるみたいだった。少し怖かったのを覚えているよ。そうして君は彼女の仲良しグループの中の中心人物にまでなった。君は、はれてはるなの親友の座を獲得した。
でも君は、一年と経たないうちにその座を捨てた。はるなの悪口を誰かれ構わず吹聴するようになった君を見て、僕はようやく気づくことが出来た。そんなことをすれば、はるなが君に報復するのは目に見えていた。それどころか、影ではるなのことを嫌ってる人間がいかに多かったとしても、あんなふうに理不尽で何の根拠もない悪口をばらまき続けていれば、クラスで君の立場がなくなってしまうのはわかりきったことだった。
君の両親は、君の相談に本当に真摯に向き合ってくれたね。でもあれほどまでに君を愛してた彼らが学校側に最後まで相談しなかったのは、君が上手く言いくるめたからだよね。もしいじめの正式な調査が始まってしまったら、君が先にはるなを傷つけたことがばれてしまうからね。君は、そんな器用なことを無意識のうちにやってのけた。君は演じていたんじゃない。まるで取り憑かれたみたいだったよ。君が描いた悲劇のヒロイン像に。しょうがないよ。取り憑かれていたんだから、気づくことはできないよね。
君の両親は君のために新しい家を借り、新しい町に引っ越した。二十四年と少し。たったそれだけしか生きたことのない僕にはまだわからないけれど、同じ一軒家でも、自分で建てた家と借家じゃきっと雲泥の差があると思う。そんなものを捨ててまで君を守ろうとした彼らの愛と覚悟を、僕は本当に尊敬してる。引っ越しの日、君と連絡先を交換しなければ僕の人生も少しは変わっていたのかもしれない。でもいいんだ。君のいない人生は想像できない。したくない。
君は、はれて高校生になった。君は受験勉強を本当に頑張ったね。同じところにいくのに死ぬほど苦労したよ。県内有数の進学校に入学した君を、君の両親は本当に誇らしく思っていたと思う。君が制服を着て二人の元に駆け寄った時、二人は人目もはばからずに涙を流していたね。
そんな二人は、あっけなく死んだ。家と一緒に、燃えた。入学式から三カ月後のことだったね。眠ったまま煙にまかれたことは、せめてもの救いだったのかな。たばこの不始末が原因だったね。キッチンのテーブルの上に灰皿が置かれていて、テーブルクロスにこぼれた灰が原因で出火したって。母からそう聞いたとき、違和感はあったよ。君のお父さんは煙草こそついに辞めることはできなかったけれど、君たちの前では絶対に吸わなかった。彼はいつだって家の外で煙草を吸ったし、灰皿だっていつも玄関の外に置いてあった。それに彼らは出火元からかなり離れた寝室にいたのに、なぜ最後まで火事に気付かなかったのかな。
思うところは色々あったけど、僕はなにより君が心配だった。だから知らせを聞いた僕はすぐに君に電話をかけたね。君は思ったほど動揺してはなかったように感じたけれど、声は確かに震えていたね。軽い状況確認の後に訪れた静寂。そうして君は、言ったんだ。

『排水溝からね、目が離せなかったの』

この時僕は違和感を確信に変えたよ。君のそれは、自白であり、懺悔だった。同時に君も、その時ようやく自分のどうしようもない癖を自覚したんだね。

 

 


「仕事休もうかなあ」
「ええ、なんで~」
そう言って君は困ったように笑うけど、もたれかかる僕にぽんぽんと膝を提供する。僕は遠慮なく君の膝に包まれる。
『こうして君に甘えられるのも、あと少しだからね』
そう言ってみたい気もしたけれど、君の築き上げてきたシナリオを台無しにするようなことはしたくなかったので飲みこんだ。
火事の後、施設に逆戻りした君を、僕は精一杯支えたつもりだった。おかげでかどうかはわからないけれど、僕たちは恋人同士になった。苦楽を共にし、ここまできた。専門学校を卒業した僕は、君を支えられるよう必死で働いた。おかげで一年後には一緒に生活できるようになった。あとはもう、僕がプロポーズをすれば完璧だった。
君は家に火をつけた日、自分の中にある不幸への渇望をはっきりと自覚した。そして君は、受け入れた。何よりも大切なものとして。でも君はそのことをすぐに忘れてしまう。だって最初から結末を頭の隅で常に意識していたら、面白くないから。君はあくまで悲劇のヒロインそのものでなければいけない。君は役者であることを望まない。だから君は、気づいていないふりをする。でも君の「ふり」は、君自身をもだます。そしていつしか君の中で真実とかす。だから君は、それにきづいているし、きづいていない。だからあとは、君の中で眠ったふりをする不幸への渇望が、全てのピースが揃ったことを嗅ぎつけるのを待つだけだ。きっかけはなんだっていいのだろう。垂れ流された水道水を飲みこみ続ける排水溝。洗濯機の横でカチカチと音を立てながら揺れる柔軟剤。深夜の静寂を突如として破壊する冷蔵庫の作動音。きっかけは、いくらでもある。
プロポーズだ。それで全てが揃うはずだ。でもなかなか勇気がでなかった。死にたくないわけじゃない。君のために死ぬ覚悟は、葬式の日に決意した。君のその生き方を肯定することを、君のその願いをかなえてあげることを。僕は、僕が寄り添えるわずかな期限の間、君の全てを守ると誓ったんだ。
これは恩返しでもある。僕は君に救われていた。君の笑顔にも、君の優しさにも。でも何より、不幸でどうしようもない君と言う存在自体が、僕を救ってくれたんだ。
君と深く関われば関わるほど、僕のちんけな不幸や絶望を、君のどうしようもなく深い不幸や絶望が包み込み、飲みこんでくれた。君なしの人生なんて考えられなかった。君のそばから離れてしまえば、僕はいよいよ破滅の道に向かっていくことだろう。
僕は君を愛してる。張り裂けそうになるくらい、激しく。だから僕は、君への感謝も込めて、君に割り振られた役どころを全力でこなすつもりだ。ただあと少しだけ、ほんの少しだけ待ってほしい。今はまだ、君の膝の上でまどろむ幸福を、かみしめさせてほしい。


今回はBで参加させていただきました。
この企画ほんと楽しいです。
ありがとございました!

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