つまりそれはどういうことだろう。
「つまりこれはどういうことだろう」
と考えてみると、欲しいもの(状況・こと)
が分かったりする場合がある。
僕は近年、
とある折り畳み自転車がほしかった。
今は次女を失った事もあり何も欲しくない
嬉しくない自分になってしまったので、
そうでもないけれども。
で、なんで欲しかったんだろうと思えば、
自転車なら色々もっと気軽に
徒歩より少し遠い距離でもあちこち
出かけられて発見があって、色々と
あとあと役立つかも知れない
↓
気楽なフットワークの軽い自分に戻りたい
↓
ほんとにそれか?
↓
いや、無駄な時間を使いたい。
なぜならあれをやらないとこれをやらないと
これもやってあげないと、これも段取りして
おかないと面倒にな事になる、色々言われる、
無駄が多い事になる、あの人達が機会損失する…
↓
色々やれてる自分で居ることが、まだ
不要じゃないよね、役立ってるよね、
まだ居てもいいよね、お金だけが僕の
存在理由じゃないよね、と担保したい。
↓
じゃ、そんなの全部捨てて手放して、
自分の人生生きたらいいじゃん。
↓
ずっとずっとこうして生きてきたから、
"生きるリハビリ活動"もしてきてみたが、
その期間が長すぎてもう何がどうしたい、
生きたいのかボケすぎて不明で解明できない
状態になった。
↓
もういいや。じゃ、自転車いらない。
↓
それよりももう何もいらないけれど、
(ここから言葉で矛盾するが)
好きな車でただどこか用事もないのに
用事を作ってそこに向かってる(前進)風を
感じている間は「さぞ何かしている気分」に
なれて現実を忘れられて色々言われなくて済む
からそんな空間時間は欲しい
↓
その要因は何?
↓
妻を喜ばせる人生にしたかったが、
その逆ばかりにしてしまい、色々試みるが
もう取り返しがつかない(あらゆる事を講じて)
人生の砂時計帯(時間帯)にきちゃってて、
現実に耐えられないから、そうやって前進している
錯覚を欲しているのだろう、きっと。
↓
せめて目の前の暮らしぐらいは、ささやかにでも
支えてあげられたらというのが精一杯で、でも
その中でもガス抜きと、一人で誰もいない所で
泣いてもいい場所まで人知れず"気楽に"
出かけられたら…と思っているのかも。
もしくは、新しい道具で何かが変わってくれないだろうか
と願っているあらわれなのかも。
…とまぁ、棚卸し(仮説)すると
色々一人でやっても出てくる。
ただ、その行動行為が何かの逃げから
起こしているものの場合、
報われない・満足しない・虚しい
などの症状に見舞われるだろう。
だってそれは、何かの「代わり」だから。
どんなに無理でも拒否されても、
無限に方法を編み出して食い下がろう。
でないと、欲しいのはそれではないからだ。
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