咽び泣く時と、有り難い時と。
いま目の前の事が人生のそして今後の全てではない。
仏壇前にいる時に
次女の麻衣ちゃんが
僕の左頬に寄ってきた
気がした。
それは寂しそうで
不安そうで、
離れるのではないか
という誤解から
生まれたものだったのか
僕が作った虚像なのか。
とある本に
「あなたと出会えて良かった」
と言葉にしてみよう(故人に対して)、そうあってやってみた数日後だ。
別にここで
切り離すわけでも
過去のものに
するわけでもない。
僕もこの言葉で
寂しさを感じたが、
これまでと変わらず
共に居て、
いつでも心の中で
仮想かも知れない
けれど会話がたぶん
できていて、
これからもずっと
一緒に居るのは確かなのだ。
そういう痛みを日夜抱きながら、そのまま今後を生きると決める言動なのであって。
そして全く別の時間に今度は登壇すると、目の前で異様にメモをとって、とてつもなく熱心で熱中している参加者が居てくださる。
とてもとても有り難い。
こういう人が一人いるだけで、その登壇内容はまるで周り更に"よいもの"に
変身してしまう。
僕は頭脳活動を土台に人に影響を与えたい。
今まで僕は、誰かを温めるために
自分に火をつけていた半世紀だった。
その場を楽しんでもらうために意図的に笑っていく名俳優だったが、自分が結果楽しめるために笑うように
今朝からスタンスを変えようと考える。
壁打ち相手
(1on1,coaching)
も皆さん上手くいってる
との声を聞き、そして
一人ずつまた依頼が
増えている。
キャンセル調整も
出てきた。
そしてその全てが
法人依頼。
ずっと控えていたけれど、
表に出ていこう。
そうする事が次女が安心することであり、
親族がストレスフルにならない確率を上げる事であり、
「あの時」あれだけ応援してくださった方々(がいらした
ので今日、生きることができているわけで)に
個別でなくとも報いることに結果、なるかも
知れないから。
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