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技術を伝えるイズムを伝える

他所の肉を食べることがある。外食で。生産者から頼まれて。あとは、たまに同業者から送られてきたり。そしていつも同じことを思う。

もっとおいしくなるのに。

普通においしいとは思いますが、僕が求めているおいしさとは違います。品種、血統、格付け、僕が求めるおいしさにこれらはあまり関係がありません。

牛肉は大きくわけて2つ。
①屠畜から枝肉になり、骨を外して部位ごとに真空パックにするやり方。
②枝肉から骨を外しながら使っていくやり方。

みなさんが食べてる牛肉のほとんどが①です。僕が修行していた40年とか50年前は②しかなかった。①については散々いままで言ってきたので省くとして、②について。

枝肉を吊るしておけば水分が減って肉が枯れます。時間の経過とともに味も変化するので30日程度経てば微生物の影響で「それらしく」なります。

ここを勘違いしている人が多いのですが、これくらいなら誰だってできます。骨付きの肉を吊るしとけばいいんですから。いわゆる熟成です。あまり好きな言葉ではないので使いたくないのですが。僕の仕事は、偶然とかたまたまおいしくなったとか、個体差云々とかではなく、技術であり化学なんです。このあたりは死ぬまでにまとめて本にしたいと思っています。

サカエヤのスタッフたち。20代前半の子たちばかり。よく頑張ってます。僕の仕事を見様見真似でやらせているけど、普通においしいですよ。お客様から嬉しい感想もいただきます。でも、僕が求めているのはこのレベルじゃない。

僕と親しい方なら体験しているのでわかると思うが、僕がスライスした肉とスタッフがスライスした肉はまったくの別物になる。同じ肉、同じ条件でスライスしているのにだ。

鮨でもそうだろう。大将が握るのと若いのが握るのが同じなわけがない。経験とかコツではどうにもならないものがある。そのうちわかるというものでもない。わからないまま人生を終える人が大半だろう。

僕がやっていることは人様に伝承するものではなく、ましてや自慢するものでもないと思っていた。ある人に、それはあかん。そこを否定したらあかん。伝えて残していかないとダメだと言われた。そうかなと思いつつも、僕にしかできないのであれば、それで誰かが幸せになれるのであれば伝えていこうと思った。

牛で商売させてもらっている人が言いがちな、命と向き合うとか、感謝とか、僕はあまり使いたくないし、いままで口にしてこなかったが、生き物を商品にしている責任として最大限においしくして敬意を払いたいと思う。

先月59歳になりました。体はかなりガタがきてますが、還暦を前にしてようやく後継者を育てるという気持ちになってきました。来年は丑年ですしね。

僕が扱う牛たちは訳ありが多い。市場に出せば価値が低いかも知れない。そういう牛たちをおいしくするのが僕の仕事。めっちゃ楽しい仕事です。

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写真は、この秋2頭目のあか牛「草原牛」南重23.4ヶ月齢去勢牛です。お母さんが「みなみ」父さんが「光晴重」で「みなみしげ」です。フレームが大きくて晩熟の体型の牛なので24ヶ月齢では未熟な状態かと。41kgで草原で生まれた時は、ナックルと言うのですが、足首の関節が曲がった状態で上手く立てませんでした。介護の甲斐あっておかげさまで元気に育ちました。

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あとは僕がシェフの好みに合わせて手当てするだけ。どこかで見かけたらこの投稿思い出しながら食べていただけると嬉しいです。


ありがとうございます!