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「沖縄戦争孤児」BS1スペシャル

  • 2022年8月某日

    「沖縄戦争孤児」
    BS1スペシャル 前編・後編

    今日は映画に行ける日だからと楽しみにしてたのだけど、
    低気圧で調子が悪くモタモタしてたらこの番組をTVでやっていて、
    初めをいくらか見逃した様だったけど、
    途中から前、後編ずっと観ました。
    (今日の映画は諦めました🎞)

    80代、90代の方が
    気持ちと体力を振り絞って過去を語る貴重な証言の数々。

    みな当時は幼かった中で、
    目の前で親や家族が死に、
    幼いながら妹や弟を守り、
    それでも守れずに餓死したり殺されたりした経験、
    やむを得ずとはいえ自分を捨てた親や家族への思い、
    結果的に自分だけ助かってしまった、
    死なせてしまった家族への思い。
    アメリカ軍に助けられたものの
    自分がどこの誰であるか分からぬまま、
    運命に翻弄され続ける人生、
    様々な方のストーリーが語られる。

    敵は米軍であり、沖縄を見殺しに戦場にした日本軍司令部であり、
    赤ん坊が泣けば米軍に見つかるからと、
    赤ん坊を殺せと迫る周囲の大人達だった。

    今でも、突然殺された母の夢を見る人、
    自分の赤ん坊の泣き声に、
    死んだ妹の泣き声を思い出して耐えられなかった人、

    人の数だけ様々な痛みが今も続いてる事が語られる。
    今もそれぞれの心の中に当時の子供の自分がいて、
    ずっと啜り泣いているのを感じる。

    中年になった息子に初めて戦争経験を語る母親に、
    理解を示しながらも不快感を表す息子の姿に、
    ぁぁ、この心理、私もやってしまったと悲しくも共感する。

    年寄りが語る過去の話を疎ましくかわしてきた事の残酷さと思い返す。
    そして当人達が死んでしまった後で、
    こうしてTVで他人の姿を見て涙を流す自分がいる。

    当時を語ることに、
    耳に心地の良い明るい口調で話せる人がどの位いるものか。
    やっと話せても、眉をひそめて恨み節の様相で語るのは当然の心理なのに、
    思いを子に託したかった老人を疎ましくあしらって来た。
    (母はいつか観て欲しいと言って、
    この手の番組を大量のVHSに録画していた。VHS〜泣!)
    (同じ話を繰り返すんだもん!
    100回聞いた!
    とか言って冷たくした。)

    どんなに孤独だったろう。
    このドキュの中でも想像し得ない深い孤独を感じた。

    77年経っても、
    孤児院でいなくなった2歳だった妹を探す父に
    心から寄り添って協力している姉妹の姿も登場する。

    私はあの姉妹の様な人間にはなれなかったなぁ。
    懺悔の様に今になって戦争の勉強をする。

    多くの戦争体験者が語らぬまま死んでいった。
    先日観た #ゆきゆきて神軍 ではそれをこじ開けていた。
    無理にでもこじ開けられていたのはお互いが経験者だったからなんだろう。
    戦争犯罪の天罰が下ったのだと罵りながら見舞いにゆく #奥崎謙三 と、病床の彼の柔らかな表情が印象的だった。

    だからせめて映像や文書の記録は大切に繋がないと行けないですね…

    恨むべくは戦争。
    そして私達のくに日本がどれだけ戦争を「したがった」かという現実も直視したい。
    国やメディアはどれだけ戦争を煽り、
    国民は熱狂したか、
    (もちろん反対の気持ちもあれども)
    ひとつだけの答えに辿り着かなくても、
    今の私達が学ばないと、
    近くにまた、世界も日本も愚かしい道へ邁進しかねないと、怖い。

    先日観た #金子文子と朴烈 の感想がまだ書けない。
    大正時代の、社会主義者の在日朝鮮人と日本人女性の愛、
    #関東大震災 と、官と民とで罪を犯した #朝鮮人虐殺
    天皇制と日本人への問いと同時に
    日本人への信頼と友好を感じられる名作。
    明治から大正の話とはいえ
    天皇制の否定を持ち出されると、
    やはり私たちは発言を憚ってしまう。
    天皇を崇拝するのも否定するのも
    公に発言することに忌避感がある。
    これって日本、大丈夫なのか。
    私はどこに向かうのか。

    ささっと感想が書けなくて、
    いま日清戦争や日露戦争で日本が何をしたのか、
    それ以降もずっと、昭和も平成も今も、
    当時の朝鮮をはじめどんな残酷な事をして来たのかを知りたくて、
    読んだりしていて、苦しいです。

    ドキュメントの中の
    #沖縄地上戦 を生き抜いた方
    今も苦しみの中にいながら、
    憎むべくは人ではない、
    この悲しみを恨んでいるんだと言った。

    今も沖縄は基地問題に翻弄される。
    私は関東ですが米軍基地のある街で幼少期を過ごしました。
    頭の上を米軍機が日々飛び交う生活はきっと想像では分からない。
    高〜い所を飛ぶ旅客機とは違う爆音。
    今にも爆弾が落ちてくるのかと思いながら育ちました。
    実際兄が赤ん坊の頃は近所に米軍機が落ちて、民間人が犠牲になっています。
    調べるとそういった事故は沢山あったようです。
    戦後何十年も経っての話です。

    沖縄出身の女性ラッパー #Awich の #TSUBASA は、
    普天間の小学校に米軍ヘリの窓が落下(2017)した時に書いた歌だそうなのですが、
    それがとても素晴らしくて、
    ぜひYouTubeで観て欲しい。
    エイウィッチの娘さんも歌ってます。
    とても素敵な歌。

    アメリカの文化が入り混じった、
    私達が大好きな、魅力的な文化を紡いできた沖縄の声を聴く気がします。

    #沖縄戦争孤児#BS1スペシャル
    #太平洋戦争#沖縄本土復帰50周年

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