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短編『明日は明日の雨が降る』

明日は明日の雨が降る

覚(さと)は早起きだった。朝の退屈を楽しむのが好きなのだ。
PODD(時間律隔離寝台)は過保護で、いつでも二度寝していいのよとベッドを暖めつつ、コーヒーのためのお湯も沸かし始める。
「わたしの意思なんて」
知ってるくせにね。そう思いながら、朝ごはんのメニューを頭の中で考える。考えた内容が意識に上ったときにはすでに、PODDはフライパンにエクストラバージンを引いていた。今日は目玉焼きみたい。たくたくと卵を溶く音が聴こえないので、覚はそう思った。
いったい、わたしとPODDと、どっちがわたしのことをよくわかっているんだろう。その問いも、求めればPODDが与えてくれることを覚は知っていた。
〈……んはつばい!没入型分散知覚で、4亜次元の極彩色トリップ!難しいことはわからない!んじゃ、やってみ〜ちょ! 4NEVARA さいっこ〜!〉
メディアが点いた。レトロCMチャンネルはわたしの趣味だ。イータと出会う前の素朴な人類の、牧歌的な風景。
〈大人なら、これだろう。(渋い男性がジョッキを傾ける。)……っく。さあ、未来を見ようか。フォータ・ライト。(未来視は二十歳になってから。)〉
〈古代、王は高みから民を見下ろした。美しい構造物の上で。さあ成功者よ、重力から逃れよう。ステーション至近、大規模メディア星設置、金含有量レベル3。これが、銀河の桃源郷。アステロイド・レジデンス。〉
〈戦況報告:τ時間493820〜22におけるセロトニンレベルは、把握派62、記憶派56、行動派は78です。行動派の単位時間到来率は0.41。未開星系にジュー・ロジックを配置したことで、局所的に自己言及ホールを生成しました。これを受けて記憶派は文明模倣検討の最終段階に入る模様です。続いて今日の我が軍のハッピー……〉
切れた。どうやらわたしはメディアに飽きたようだ。そして目の前には素敵な朝ごはんが運ばれてくる。幸せになったわたしの気持ちは、今日も戦争の前線へ送り込まれる。

S-War。Space Warだったはずのそれは、すぐにSerotonin Warとなった。
イータと出会う前、人類は数々の戦争を繰り返しながら少しずつその足を伸ばし、やがて太陽系に広がる巨大な生活圏を作り出した。とにかく速い宇宙船、とにかく速い掘削機、とにかく大きなステーション、とにかく大きな夢。撃ったミサイルが届くのに1年かかるほど散らばれば、戦争はなくなった。起こるのはステーション内での小さないざこざだ。このようないざこざを人類は、農耕をはじめて以来の部族制で難なく乗り越えることができた。
しかしやがて、太陽系も人類には狭くなってくる。生殖に特別な行為を伴っていた頃に比べると、人類は圧倒的に殖えやすくなっていた。それに宇宙はスカスカなので、空間を広く取っていても資源は過剰というほどではない。お隣さんがちょっと取っていっても、お裾分けと笑うことはできないのだ。争いの火種はあちこちにあった。
そして、演算爆弾が登場する。これはハッキングのような生やさしいものではない。素粒子を最小単位として有限空間を丸々、演算のリソースにする。すると、負荷がかかった素粒子は急速にエネルギー量を増し、信じられないほどの高熱になる。演算を媒介する重力子は時間5次元を迂回するので、物理的な距離は関係ない。
はじめは理論上可能というだけで、実際に人間への攻撃に用いられることはなかった。小惑星を熱膨張させ、研究室で拍手していた程度だったのだ。ある日、当たり前のように、緊張関係にあったステーションの優勢な方が、その優勢を決定づけようと演算爆弾を使用する。結果、標的となったステーションは瞬時に蒸発した。このときに、攻撃を行なった方のステーションで多くの人がキノコ雲の悪夢を見た。攻撃そのものはなんら爆発のような現象は起きないのに、爆弾と呼ばれるのはそのためだ。付け加えておくなら、人類史において爆弾という言葉が教科書に載るのは29年ぶりであった。
演算爆弾は当然、計算量が多いほど威力が高い。そこで副産物として、凄まじい計算量を必要とする理論が大量に開発された。一般市民は自らの脳を提供することで、知らず知らずのうちにその手助けをしていた。すなわち、自律駆動する数百億のニューラル・エンジンを同時接続して処理するような計算体系。そのように市民を参画させるため、上質な娯楽が無数に作られた。
そしてなんと、この巧妙な軍拡は15日後には全くの無意味になる。
イータの登場によって。

覚は今日、はじめて地球に降り立つ。人類が宇宙に進出するSFでは決まって地球が母星として特別視されるが、実際に進出してみると素朴な古い星として、好きな人も見下す人もいる、そんなポジションにおさまった。昔は森を見て心安らいでいたそうだが、なるほどたしかにたかが光合成生物の集合と侮れない、不思議な落ち着きを感じた。
PODDが覚を目的地まで運ぶ。そこは森の中の一軒家。まさに遺跡と呼ぶにふさわしい歴史的な建築様式だ。なんでもこの家に残留したDNAが覚のそれと血縁関係を示したらしい。そしてご丁寧にも、子孫に向けた遺品を倉庫に隠していたのが、遺跡の公開によって見つかったのだ。何代前のものかわからず、すなわち血縁関係だけ考えればそれこそステーションひとつぶんくらいの人口がいてもおかしくないのに自分に連絡がきたのは運命なのだろう。そう思って覚は旅に出た。
遺品はどれもボロボロで、箱を開けたときの風圧で半分が塵になった。咳き込みながら中身を手に取っていく。金属部分だけはなかなか残っていて、サビを取れば昔らしい奇抜なデザインのものが出てくるかもしれない。覚はいくつかをPODDに持ち込んで、あとは遺跡の運営者に寄贈した。
PODDがそれらをスキャンしている様子を見ていると、奇妙に心をくすぐるデザインのものがあることに気づいた。
「これは太古の記録媒体ですよ。この干渉色の面に音声データが記録されていたようです。」
言いながらPODDはCDという記録媒体の情報を脳に入れてくれた。レトログッズの趣味がある覚は、そのかわいらしい形と色になんとも愛おしさを覚えた。
「PODD、」
「はい、解析を試みています。解析が終了しました。復元が終了しました。再生します。」
PODDは何かに急かされたように、覚の願いを叶えていく。曲が始まった。
「へーえ、21世紀のロックね。」
ギターとベースとドラムによる音楽がPODDの中に鳴り響く。感性工学により最適化されていない頃の、生物的な芸術。好きな人は熱中するのに、そうでもない人には響かない不思議な表現体系。覚の心を、唯一揺さぶるもの……。
覚は、自分と同い年のころの先祖がこのバンドに熱中していたことを、思い出すかのような奇妙な感覚に襲われながら、音楽の世界に耽っていった。

イータ。人の脳に寄生し、多次元資源を3次元空間に現出させる生物。同時に、宇宙の法則そのものであるとも言える。
戦略上の要請から四六時中娯楽にアクセスした人類のセロトニン量は、宇宙中かき集めたら大型PODDがいっぱいになるほどにまで増えた。セロトニンは、イータの生存の条件である。神にも等しいイータだが、これまではほんのわずかな偶然の産物としてのセロトニンにしかアクセスできていなかった。それが、人類の生存圏の拡大によって、無尽蔵となったのだ。イータは私たちの三次元空間に尻尾の影をちょこっとだけだしている巨大な生物だと言われている。巨大すぎてあちこちの次元にはみ出しており、それぞれの次元にアクセスができるのだ。そのように存在するためには、セロトニンと尻尾の結合が不可欠である。イータは人類との共存を決めた。
そのファーストコンタクトに人類は困惑すらできなかった。突如、すべてが起こるし、認識できないことも、これまで認識できないと思っていたこともすべて起きた。翻弄されながら、人類は徐々にイータを自らの脳に飼い慣らす。イータの尻尾はセロトニンと結びつくが、セロトニンそのものは脳の中で代謝されている。だから住処とすべきは脳神経なのだ。神経細胞のいくつかのシナプスに自身を嵌め込み、脳全体をモニタしながら、安定したセロトニン供給のために必要な物資を多次元から調達する。
こうして戦争は終わったかに思えた。だが、結局イータも個体数は有限なのだ。さらに、その存在は人類の思想に影響を与えすぎた。イータと共存する人類のあり方について、人々はいくつかのイデオロギーに分かれ、対立することになった。対立すればするほど、セロトニン量は減る。また、命を奪うような手段をイータは許さなかった。一方で命を守るためにはどんなことでもしてくれた。神は、長生きと幸せを善としたのだ。
イデオロギーは現在、3つに大別される。集合意識により快の巨大な蓄積回路を構築したい記憶派。分散意識により美の発生を遍く捉えたい把握派。イータに脳を差し出し、多次元を物理的に手中に収めたい行動派。いずれも、他を屈服させなければ自らの願いは実現しないため、争っている。その争いにおける勝利とは、ただ自らの構成員の総セロトニン量を増やし、十分な量に至ったところで論理上密集して、イータに人類の融合を錯覚させることである。ゆえに、人類はセロトニン量を増やすこと、すなわちハッピーになることのみをただただ追求しているのである。
行動派はもはや、誰一人として四肢を残していない。

最後の曲が終わった。
覚の脳にはもちろん聴覚感性理論がインプットされており、いま聴いた曲が達成度1.00でないこともわかる。わかるのに、涙が止まらなかった。
余韻に浸りつつ、何杯目かのコーヒーを飲む。久々に、セロトニンブーストを外した、特殊なコーヒーを飲んでみた。いつもは美味しいと思わないのに、今日はなぜか。なぜか……。
雨の音が流れてくる。そういえば地球は自然に雨が降るのだったな、と覚は気づいた。しかし、窓の外は綺麗にはれていた。なんだろう、と思っていると、ギターの音が始まった。
Base Ball Bear『(WHAT IS THE)LOVE & POP』は、2009年にリリースされた。17歳、ちょうど覚と同い年の頃に結成したバンドの、3枚目のアルバム。その最後の曲『ラブ&ポップ』には、シークレットトラックが収録されている。雨の音が流れたあとに。
『明日は明日の雨が降る』というその曲は、満たされた日々の、満たされない心を歌っている。その雨は覚の心にも降っていた。「悲しくも寂しくもないが空しい 満たされた明るい毎日なのに。」そんな歌詞。
「そうなんだ。」
こうやって、ずっと何か違う気がしながら、幸せになってもダメなんだ。
覚は思って、すぐに心のうちで自分の言葉を否定した。これは、そんな単純な気持ちじゃない。
突然差し出されて、自分が人生で初めて鏡を見たくなったことに気づく。これは、と思った。存外にかわいいじゃないか。
そんなことを理由に、覚はPODDを飛び出した。
音声プレイヤーを握りしめて。


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