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役割を脱ぐ時間を持つこと

年齢を重ねるごとに、何かしらの役割を持つようになり、その役割を脱いで言葉を話す時間が少ないなって、自分自身の経験でもよく思ってる。

僕自身は、年齢を重ねる前から、子供の頃から勝手に自分は話を聞くことが役割だと思って、話をするより、話を聞くということを多くしてきた。
好きや得意でやってきたことでも、実は我慢していたんだなと今は思う。

他の人も実はたくさん我慢しているのだということに、もともと精神科の病院で働いていたのだけど、その時に、とても強く思った。

いろんな年齢、仕事、環境の患者さんがいた。
けど、話を聞いていると、それぞれが生きている中での役割を持っていて、その中で誰に話せていない我慢や辛さがあることがわかった。

その我慢は、本人にとっては小さいことだったりする。
けど、その小さな我慢が長年積み重なって、積み重なる中でちょっとしたコミュニケーションのズレが起きたり、どんどん悪循環になっていくという状況であることが多かった。

今、僕は仕事で、組織やプロジェクトのリーダー、経営者、管理者、敎育者、医療者など、何かの役割を担っている人と関わることが多い。

仕事だから、自分のやりたいことだから、関わる人のため、いろんな理由から役割がどんどん増えている。仕事上でも、社会的にもとても必要なことだし、すごく頑張っているのが伝わってくる。

仕事の成果、チームメンバー、同僚や部下や上司に対して、いろんなことを感じたり、思ったりしても、それを素直に相手に言うことは難しいことが多い。


しかも、話を聞いていると、仕事だけでなく、プライベートでも、役割が多くあることがわかる。

家庭での役割、地域での役割、趣味の場での役割。

どれも自分が求めて、関わって始めたことなんだけど、いつの間にか、自分の気持ちというより、役割としてどんな言動が必要かを考えてしまっているのを聞く。

小さなことだけど、我慢していることがあるんだけど、もうすでに無意識でやっているから、我慢していることすら気づいていない状態のことも多い。


僕も、妻や娘がいるが、家の中で自分の気持ちというより、夫として、父親として、家族の一員として、そんな風にその役割だとすると何が必要かなって考えていることが多い。

家族を維持していくため、日々の生活を維持していくためには、どんなことが必要だろうって考えて行動している。もともと苦手で、ちょっと頑張ってやっているから、家事なんかは抜けばかりだ。

頑張ってやっているというのは、実は我慢していることで、我慢してやっているから、家事が抜けたりして、妻から何かを言われると、イラッとしたり、ムスッとしたり、感情的になってしまったりする。

小さなことなんだけど、溜まっていくと、溢れて言動が強くなったり、相手のことを嫌に感じたりしてしまうこともある。

あんなに大好きだった相手に、嫌って思っている自分に気づいて、自分を責めてみたり、いい夫だったらそんな風に思わないはずだって思ってみたりするけど

自分の感情を見ないで、隠しているともっと溜まってしまい悪循環になるということも多く経験している。


そんな時に、信頼する人に、妻とこんなことがあってね。と話すと、少しスッキリして、妻との関係は変わってないのに、状況は変わってないのに、自分の気持ちが変わることで、言葉や相手への気持ちも良い循環になっていくことが多い。

仕事のことも、信頼する人に思っていること、感じていることを話をすると、状況は変わっていないのに、同じ状況の見え方が変わる。知らないうちにたくさんのものが溜まっていて、そのせいで見え方が悪い方へといっていたことに気づく。

話をするだけのようなのに、見え方が変わる。


精神科での経験、実体験からも、仕事のこと、プライベートのこと、役割が多い人ほど、知らない間に溜まっている気持ちがあるかもしれない。
役割を脱いで自分の気持ちを、信頼して話せる場が人には必要なんだと思っている。

仕事での役割、プライベートでの役割は、とても大事。
人と関わっていくときに、自分の気持ちばかりでは一緒に進めないこともあるから、ちょっとした我慢、一時できな我慢は必要だと思う。

ただ、その我慢を自分の中だけに留めていると、濁ってくることがあるから、誰か信頼できる人に話ができるとずいぶん違ってくると思う。

誰か信頼できる人に話をしてみる機会をとってみるといいかもしれません。

もし、近くに役割を脱げる適切な相手がいないって人は、その相手に自分がなれたらいいな、そんな風に思っています。


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