仕事のこと『病院時代:組織で自由期』(noteでおしゃべり):98/100
僕は、働き始めて最初の頃は、愚痴だけを言って、人の批判ばかりしていた↓↓
その次は、違う場所に行けばもっと自分が輝けるのではないか、そう思って隣の芝を探していた↓↓
けど、
どこにいっても、変わるのは自分だし、自分が変わることでその場所も変わっていくことを、大学時代の先生から教えられた。
ビジネスや自己啓発の分野に行っても、病院で患者さんにやっていることと、似ていることばかりだった。
他のところにいっても変わらない、それならば、今いる場所で自分がどうやっていくかなんだと、3年ほどしてようやく気づけたのだ。
それに気づいてからは、自分の今いる場所はどこなんだろう?と問い
当時は、記録委員会という、組織内のカルテの書き方などを検討する委員会に入らされていたので
この書き方からもわかるように、やらされだったのだが、
その委員会からできることはないかと自分に問い
僕の目指したい医療の形はなんだろうと考え、その目指したい形につながる、小さな一歩をカルテの書き方を統一することからできないだろうかと考えて、勉強会などを開くようになった。
自分が今までたくさんの研究会やセミナーに行っていたから、教育が好きなのはわかっていたので、上司にお願いをして教育委員会に入らせてもらって
その委員会から、1年目の教育、3年目の教育、病院内全体の研修企画など、自分から動くようになったのだ。
組織全体だけでなく、部署内でも、強制ではなく来たい人だけが来る勉強会を年間30ほど企画して、毎月開いていた。
ビジネスや自己啓発の分野で気づいた、『感情』『思考』『行動』の話は、まさに部署内で始めようとしていた認知行動療法の話と一緒だったので
日本の第一人者の元に学びに行ったり、
部署や組織全体を巻き込んで研究をしたり、
部署の業務の一環としてプログラムを作ったり、
いろんなことをしていると、組織の中で、いつの間にか認知行動療法の人、という位置付けになっていった。
教科書を書くようになったり、
外部の講師を頼まれるようになったり、
どんどん同じところにいながら、活動が広がっていったのだ。
けど、やっていることはいつも軸は同じだった。
患者さんにとって何が良いのか、そればかりを考え、
かつ、スタッフも疲弊しないようにするにはどうするといいのか、
それを形にすることを、楽しみながら、やっていた気がする。
かなりかたい組織だったが、組織の中で自由に働けていた時期だった。
書いていて気づいたが、この働き方は、祖母の働き方に、よく似ている気がする↓↓
そんなこんなで、組織内では、すごく自由に、楽しく働いていたのです。
楽しくて10年間も働いていました。
自分を知って、組織を知ってをしていくことで、やり方次第で、組織でも自分のやりたいこと、自分らしく働くことができると思っているのは、この経験があるからです。
組織で仕事をしている人の相談にもよく乗りますが、
どうやって、その組織の中で自分らしく働いていくかを、
相談相手と一緒に模索していき、その人が形にしていくのはそばで見ているのは、
その人自身が自由になっていく感覚がものすごく伝わってくるので、僕のすごく好きな仕事の一つです。
最後までお読みいただきありがとうございました。
そこから、また転機があり、組織から離れる選択をします。
それは次のお話です。
ではまたー
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