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わたしの自由の街:おおがきなこ『今日のてんちょと。』

下北沢が好きだ。

何がとかどこがとか、というよりも街として好きだ。今は少し離れたところに住んでいて頻繁には行けなくなってしまったけれど、1人暮らしの頃は「下北沢から近い」ことを条件にアパートを選んでいたくらい、好きだった。

よく通っていた頃の下北沢は、今みたいに駅が新しくなる前で、駅前ももっとごちゃごちゃとしていて、踏切はいつまでも開かなくて、ヴィレヴァンはもっと本が目立つ場所に配置されていた。とはいえあとは今とそんなに変わらない感じで、高い建物が少なくて、いろんな店があっていろんな人がいて、でも駅から少し歩けば住宅街で。そんなところが私にとって心地よく、なんとなく「ここは私の居ていい場所だ」と感じていた。

高校卒業のタイミングで田舎から出てきて大学に行った。いろんなことをやってみたしいろんな場所にも行ってみたけど、いつも「なろうとしてる感」が自分の中で拭えなかった。この場所にふさわしい人間、能力をもっている人間、たくさんの人に必要とされる人間。きっと周りが羨むような「誰か」になりたかったのだろう。とはいえそんなのなろうとしてできるものではない。大学を出て就職する頃、私はもう完全に疲れていた。

仕事の関係で小田急線沿線に住んでいたのがきっかけで、ある日観光気分で下りてみたのが初めてだった。それからは演劇を観に行ったり、古着を探して歩き回ったり、古本屋のワゴンだけをハシゴしたり。ただなんとなく歩き回ってみたり。別にオシャレではないし、音楽も演劇もやっていない。本と映画は好きだけど、そこまで詳しいわけではない。友達も少ないしお金もない。私が抱えているのは「ない」ものばかりだったけれど、それでも下北沢にいると「それでもいいや」と思えた。忙しくてなかなか行けなくても、そういう場所がある、というだけでも心が落ち着いた。

自分でトリミングした自分の姿に巻き込まれちゃダメ。ちゃんとした苦労ってなに。歳相応ってなに。友達ってどこから。美人とかコミュニケーションとか仕事とか。服装とか外見とか自分とか。

人と関わらずに生きていられたら、受けなくていい傷も剥がさなくてすんだかさぶたもないのかな、と思うことがある。そして逆に、あー言わなければよかったなと思う言葉だってこれまでの人生を思い返せば少なくない。でも、社会生活と人間関係はどうしても切り離せないから、私たちはモヤモヤといつだって隣り合わせだ。

このコミックは、感情を否定しない。自分の感じた黒い気持ちも、それを目撃してしまった時の辛さも、嫉妬も羨望も無神経も、「そう思った」ことを受け止めてほんの少しヒントをくれる。そして読み終わる頃には、またちょっとがんばってみようかなと思える。

下北沢のこはぜ珈琲をモデルにしたこのコミックが5月に絶版になるというから、急いで本屋に行って買った。モヤモヤしたら、いつだって本棚から取り出して開くんだ。




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