テレビの中に見る希望
4回も見てしまった。「MIU404」の第9話を、たった二日の間で4回も。リアルタイム視聴はできず土曜の早朝に録画していたのを見たのが一回目。号泣。そのままもう一度リピートして再号泣。同じ日の午後にやっていた再放送を見てまた涙がじわり。そして日曜日の朝にもう一度。やっぱ泣く。計4回。いつだってハードディスクの容量はギリギリで、観たい映画も見なければいけないテレビ番組も山ほどあるのに、同じドラマの放送回を何度も見てしまった。正直時間は惜しいけれど、悔いはない。むしろ時間さえ許せば何度でも見たい、とすら考えている。そのくらい、そのくらいの凄まじい内容だった。
生まれて初めてドラマの円盤を買ったのが「アンナチュラル」のブルーレイだった。不条理な現実と社会の中でなにができるのか。誰かを、誰かの人生を救うことができるのか。「死」と向き合いながら、生きていく人の未来を少しでも明るい方に変えることができたら。どうか、闇の暗さに飲み込まれないで。どうか、この世は絶望ばかりではないと信じさせて。そう両手をきつく握りしめながら約3ヶ月間、祈るようにテレビに張り付いていた。テレビがつまらない。ドラマの視聴率は伸びない。そんな風に言われていても、まだこんなにおもしろいものがあると思うには充分だった。この作品と、それが放送されていたことと、それをリアルタイムで見ていたこと。それを忘れたくなくて思い切って円盤を買った。自分にとっては驚くような金額だったけれどいい買い物だったと思う。
それから2年。私は再びテレビの前で祈っている。「アンナチュラル」と同じ世界線の「MIU404」の見ながら、彼らが「間に合う」ことをひたすらに願っている。誰かが罪をこれ以上重ねないように。命がこれ以上失われることのないように。希望が完全に消えてしまわないように。伊吹と志摩のこれまでがすべてぶつけられたような第9話は、脚本も編集もすべてが最高潮だった。かつての相棒を助けられなかった志摩。恩師の異変に気付くことのできなかった伊吹。一生抱えるであろうその悔しさを繰り返さないために、全力で駆け抜けた。自分が逮捕できなかった成川がこれ以上闇に落ちないために九重も全力。陣馬も多くは語らないが彼らを優しく確実に見守っている。そして個人的には、桔梗がエトリの車のナンバーを無線で伝えるシーンがたまらなかった。ここまでハムちゃんと戦ってきた時間と、共に抱えた苦しさが表情と声に詰まっているような気がするし、震える声を必死に押さえているようなところに「機捜初の女隊長」としての苦悩も滲み出ているように見えた。「アンナチュラル」の神倉所長の「アイハブアドリーム!」が頭の中にこだまし続けた。
あと一歩、あと少し、あの時こうなっていたら。あとほんの少しタイミングが合っていたら、あるいは合わなかったら。私たちの人生はその一つ一つのタイミングと「スイッチ」によって形作られているのだと、「MIU404」を見て思うようになった。そして4機捜と彼らに関わった人たちがどんなスイッチに直面してそれがどう転がるのか、気になって仕方ない。どうか、彼ら彼女らが少しでも希望を感じられる方へ、明るい方へ進みますように、と願わずにはいられない。
「沢口靖子」と「相棒の右京さん」が出てきた「アンナチュラル」と同じ世界線上にある「MIU404」は、自分の生きる世界と繋がっているのかもしれないという心地良い錯覚に陥りながら、第10話の放送を待ち続けている。