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1. 雨の日、街は眠る


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複数の甲高い銃声が雨音と共に夜へ呑み込まれていく。

「任務完了しましたよ、首領ボス

まだ熱を帯びている銃をだらんとおろし、彼は言った。

『お疲れ様。さちには簡単すぎる相手だったかな』

傍を浮遊していた紙切れから狼牙と呼ばれた男の曇った声がした。蝶をかたどったその紙切れは、雨が降っているのにも関わらず優雅に翅を羽ばたかせている。

「御冗談を。身なりに気を遣う余裕がなくてすっかり濡れてしまいましたよ」
『はは、そんなに濡れても笑ってられる君が羨ましいよ』
「ほんとに、何故俺は平気なんでしょうね」

軽い談笑を交えたのも束の間、狼牙は仕事の声色に変えて話を続ける。

『次の仕事の話がある。今から本部の方に来てくれないか』

蝶はそう言い残すと空高く舞い上がり、見えなくなった。

「了解」

まだ二十歳を迎えていないだろう顔をした青年は、何食わぬ様子で地面に転がる亡き骸の間を縫って帰路についた。

今日も相変わらずの雨だ。

更けた夜のように寝静まる商店街。あたりはただ雨が地を叩く音だけが飽和していた。そこへ青年がひとり、水溜まりを踏む音を交えてやって来た。他に誰もいないのは、雨はふつう、人に害があるからだ。少しでも触れれば火傷を負ったような痛みに襲われ皮膚がただれる。そよ風でも吹けば、傘を差したところでその意味は成さないだろう。刺すような痛みから、人々はそれを刺雨しうと呼んだ。
 そんな理由わけで、雨の日は店の暖簾を下ろし家族と静かに一日を過ごすのが一般的だ。

しかし、彼は"ふつう"ではなかった。




あずさおまたせー!」
「…遅い」

誰もいないはずの商店街の軒下に、別の青年がいた。目元しか見えない程、全身を黒で包んだ青年は待ちくたびれたらしく、こくりこくりと頭を揺らしていた。

「ごめんごめん、少し手こずっちゃって」
「はやく行こ」

そう言うと、梓と呼ばれた黒ずくめの青年は彼の隣を歩きはじめた。雨粒の地で弾ける音が、ふたりの足音をまるでいないかのように掻き消してゆく。

「そういえばどこに行くの、幸」
「あれ、言ってなかったっけ」
「言ってない」

幸と呼ばれた彼は不敵な笑みを浮かべ、「お墓参り」と言った。

「…行くって言ってないのに」
「だって梓を誘っても『別に』とか言うでしょ」
「……」
「だから強制的に外に連れ出しましたっ」

満面の笑みにピースサインを掲げられると、見事に釣られてしまった梓は眉間にしわを寄せて黙ることしかできなかった。

先の任務中より雨足はかなり弱まり、黒雲の隙間の所々から光の筋が見えてきた。水溜りに落ちる葉雫の心地よい音が、雨の止む時を知らせてくれているようだ。

「今日は寒いね」

一番厚着をしているはずの梓は肩を震わせ言った。

「一日中雨だったからなあ、昨日も、一昨日も」

外套のポケットに両手を入れながら幸は答えた。
 年中雨季であるここでは、夏でも涼しい日は珍しくない。むしろ、皮膚が焼けるようなカラッとした日はほとんどない。

「外套が乾かないと困るからそろそろ晴れてくれないかな」
「そんな無茶な」

閑散とした商店街の通りの中央をふたりぽっちで歩く。
そんな特権は彼らのように裏の世界で生きる者にしかない。




ここらへんで墓参りといえばひとつに絞られるほど大きな墓地が街外れの平原にある。

「"アイツ"が死んでもう一年経つのか」
「うん」

規則正しく並べられた墓石の間を通っていく。長い間手を付けられず苔むしっている墓もあれば、古くてもきちんと手入れされている墓まで様々だ。

「"スイ姉"のお墓って一番奥だっけ」
「うん。ちょっと前にもここに来たんだけど、もうダメになってるだろうなあ、お花」

目的の墓の前でふたりは足を止めた。案の定、幸が供えた花々はすべて溶け、枝茎しけいだけが惨めに束ねられた"花束だったもの"になってしまっていた。
墓石には凛とした字で「翠|《スイ》」と彫られていて、まるで彼女の生前の生き様のようだと幸は思った。この名前を聞くとありふれた思い出が昨日のことのように脳裏を駆け抜けていく。

「ねえ、幸」
「…わかってる」

墓石の前で手を合わせていると、梓は何かを警戒するように幸の裾を引っ張った。ここへ来る道中、何者かの気配を背後に感じていた。墓地に着けばでてくるかと思ったが、隠す気のない気配を漂わせているだけで一向に姿を現さない。

「いつまでそこにいるつもりだ、千秋ちあき

よりによって翠の命日にコイツと会うなんて。

「なあんだ、バレてたのか」

嘘だ。隠す気もなかった癖に。千秋と呼ばれた男が墓石の裏からひょこっと顔を出した。彼が「やあ」と手を振ると、梓は幸の後ろに隠れてしまった。型にはめ込んだような腹の立つ笑顔は相変わらずだが、彼の身体に巻かれた包帯は明らかに増えているし、姿を消したあの日からかなり痩せているように幸は思った。妙な空気がその場に漂う。

「突然消えたと思ったらこんな所に現れて、挨拶が『やあ』?」

「ふざけるな」と幸は吐き捨てるように言った。穏やかだった雨足が再び勢いを取り戻し、梓は更に縮こまってしまった。自身でも理解できないほどの憤りが、幸のなかに溢れてくる。

「お前こそ、久しぶりなんだから挨拶ぐらいしてくれたっていいと思うんだけど」

「ヒドイなあ」と彼が浅いため息をつくと、梓が幸の後ろから顔を覗かせ「久しぶり」、と挨拶した。
 "翠が死んだあの日"から丁度一年。幸のこころにぽっかりと空いた穴が埋まらないまま時間だけが経った。それは梓も同じだった。

「…何しに来たんだ」
「お前らと同じだよ」

そう言って千秋は懐に手を伸ばし、何かを取り出そうとした。嫌な予感を感じ取ったふたりは千秋に急接近し、幸は銃を、梓はナイフを彼につきつけた。

「おいおい、銃なんか持ってるわけねえだろ?」

そう言って彼が懐から取り出したのは鐘のような形をした一輪の紫色の花だった。ナイフと銃を突きつけられているにもかかわらず、千秋はそれらを無視して枝茎だけになったガラス瓶に花を挿そうとした。
高ぶった感情を落ち着かせる前に幸の身体は勝手に動き、気づいた時には千秋の手を払い胸ぐらを掴んでいた。美しい花がぬかるんだ地面にぽとっと落ちる。

「これで懺悔のつもりか?」
「そこに咲いていたのを摘んできただけさ」
「知らないのか?この花は雨の下では育たない」

見え透いた嘘をつくなんてコイツも相変わらずだ、と幸は思った。千秋のさっきまでの調子はすっかり消え失せ、胸ぐらを掴まれたまま黙ってしまった。

「チッ」

千秋を突き離すと、彼はトッと手をついてバック転をしてみせた。シュウ、と彼の地面についた方の手から僅かに煙のようなものがたち、彼は手首をさすって痛めた時のような仕草をした。

「いってて…お前のせいで濡れちゃったじゃんか」

またさっきの調子に戻った。どうやら千秋は嘘をつくのが下手らしい。

「痛みを感じないクセによく言う」

千秋は幸と同じように刺雨に濡れても痛みを感じない。しかし決定的な違いは、彼は痛みを感じることができないだけで身体は皆と同じようにダメージを負うことだ。彼の包帯の数がその違いを明らかにしているが、彼自身は身体なんてお構いなしに、痛みを感じないことを強みに幸と同じように裏の世界で名を馳せている。

「俺だって、供えようとした花を払い落されると心が痛むさ」

「"翠を殺した時よりか?"」

千秋の笑みが一瞬ひきつる。が、一呼吸挟むと「イタいところを突くなぁ」と笑って誤魔化された。ぱっぱっと服についた泥をはらい、彼は続ける。

「用は済んだことだし、俺はそろそろ帰るよ」

千秋はまたな、と手を振ると背を向けて去って行った。梓は幸の後ろから小さく手を振り返したが、幸は相変わらず千秋のことを睨んだまま、何も返さなかった。彼の言動とは裏腹に、彼の背中はもの寂しいように幸には映った。

ふと視線を落とすと、花弁の端から変色し始めている紫色の花が目に入り、釈然としない妙な感情を抱いた幸は仕方なくそれをガラス瓶に挿してやった。淡い紫が奇しくも幸の胸をきゅっと締め付ける。

「俺らも帰ろう」

数刻手を合わせたのち、ふたりはその場を後にした。

「またね、スイ姉」

【続】


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