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子供の不可思議

子供のことを真剣に悩んでいる方の記事を見つけて少し考えて自分なりの答え方があるかと、探してみる。

自分との距離の置き方の上手い自立されて幸せに暮らされてる方だなと第一印象を受けた。

自分が子供を設けたときに、一番先に考えてたことはその子と何をして遊ぼうかな?ということだった。

今子供が巣立つ直前に、さまざまな経験をしてきた自分が18年前に帰ると途端に子供染みた考えで命を扱おうとしたなと思う。

子供といると、1人の男性、もしくは女性は、父親又、母親になる。子供を作る仕組み上人間の本能に組み込まれたごく自然な体の変化とも取れる考え方ではあるけど、当然自分との距離は遠くなる。

怒りや悲しみ、想像以上の喜びや、感動。さまざまな感情と経験のMIXされた人として生きている中での醍醐味、big event 子育て。
これを経験しないで生きてきて本当によかったのかー?と自分自身の偏った考え方は自分にそう問いかけるだろうと思う。

その時々で難易度も違う、その時々で結果も違う。もっと言えば生まれることですらごく限りない天文学的数字からやってきてくれる子供。
社会、自分の経験や年齢、世界の環境や状態、パートナー、助けてくれるメンバー、近親者の状況、住む環境。

全てを含めて、1人に対して一つの可能性を頼りに大人へと導く種の保存としては義務になっていると言っても過言ではない人生の一大事業。ぜひやってほしい。自分が見え社会が見えるから。

ただ損失を、耐えられるか分からない状況ではすこし離れてみていることもとても賢い考え方。知らないこともまた一つの幸せではあるから。

今、3歳と、1歳の子を育てる親友も、発達障害だろう子を抱えた幼馴染も、その天文学的数字で巡り合った子供と一緒に暮らしている。その天文学的数字で巡り合った息子は今週親元を離れ一人暮らしをする。

そう、触れ合える一瞬一瞬が奇跡の連続なのだ。

もしもてあまして、時間を帳尻合わせするためにマネーゲームをする若者がいたら一つ関わってほしい事業がある。一日一日が奇跡の連続のようなそんな事業必ずあなたのためになる。

と今も昔も振り返るとそう思う。ほら、何も変わらなかった。治ってきたなー!そろそろ動き出す時期。

やっぱりひと段落するとただの普通に戻る。
今回もありがとう身体と心。無理し過ぎないように今後も気をつける。

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