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VRコンテンツ消費者として

VRコンテンツ消費者が
VRの価値観を語ったり
VRにいる人の価値を語ります。

VRは人間の能力を拡張する、という事では?

VRの技術というのは人間のどういった感性に注目するのか?という命題に向き合う技術だと思うんですよ。

もっと言うと人の感覚にフォーカスした技術なんだろうと思う。
例えば直接会う事。触れ合う事。会話する事。歌を歌う事。ダンスを踊る事。山を登る事。旅をする事。まさに体験するコンテンツであります。

様々な技術がVRにありますが結局の所、人間の能力を拡張して強化したところで人間の範疇なんですよね。革新的であるようで実は使う人の能力依存です。VRだから出来る事というのも当然有りますし便利な技術だとは思いますが基本的にリアルで出来る事の延長の技術。素晴らしいと思う反面「この程度か」と思うわけです。

例えばシステム的に腕をや目増やして空を飛べる様にしてもそれを適応するには相応の訓練が必要となりますしもっというとゲームが上手くなる様なものです。それに全ての人が適応できるわけではありません。誰もが素晴らしい体験を出来るわけでは無いし世界をさらりと救うわけでもない。少し残念ではある。

少し個別のアプリに目を移してみましょう

アプリケーションチェックという名のゲーム評価とVRとRについて

「Beat Saber」は音ゲーです。
SF的な雰囲気にSF民歓喜。飛んでくるノーツをリズムに合わせて斬り飛ばしすゲームです。ただし難易度が上がるとノーツを切るというよりノーツを叩くとかノーツに通す感じになるのでそこは悲しい。私は最初は難しいものをフルコンでやる事に意識を持って言っていましたがそれだと試行回数が多くなって面白く無くなったのでノーマルをメインに身体のキレとかいかにどうやって斬るかというのに着目してやりました。ちなみに始めた初日に三時間連続してやったし、いくつかの曲でゲーム内ランキング10位内になるぐらいハマりました。


「Creed: Rise to Glory™」はボクシングのゲームです。
スローモーションやエフェクトが多用されてて後述したボクシングゲームよりかなりゲーム寄り。ロッキーも出てくる。結構打たれ弱くてストレスを感じます。ゲーム内スタミナがすぐ無くなるのも不満。練習モードは楽しかった。因みにボクシングは未経験。ただ映像はかなり良いので相手の顔つきが凄くリアリティ有りました。体格差も結構プレッシャーに感じた。


「The Thrill of the Fight - VR Boxing」もボクシングのゲームです。
時間無制限の練習モードと実際に殴り合う試合モードがある。「マイクタイソンパンチアウト」の主人公の不甲斐なさも自分でやってみると彼の素晴らしさを感じられる。不満点はカウンター気味に入れてもそのまま打ってくる所と叩いても反動が無いのでコンビネーションがしづらい。VRにおいて作用反作用の法則がないというのは一つのポイントになるでしょうね。ストレートが有効打になりにくいのでフック多用するようになった。このゲームで左ボディーからの左フックのコンビネーションを覚えました。非常にストイックなゲームです。

「VRChat」は人とコミュニケーションするゲームです。自分の見た目やマップを自分で作成する事も出来るのでこのゲームを機会にユニティを学ぶ人多数。リアルだと何百万とする物が時間をかければ自分一人で作れたりリアルではなれない自分や、やりたい事を出来るようになった喜びの声を聞きます。私は一人で観光しましたが今の所、画素数が少ないので現実には及ばないですね。そういう意味でもコミュニケーションするのがメインの要素。簡単に色々みれて会えるのは面白い所。

「RUSH」は人間モモンガのように空中を飛びながら順位を競うフライングレースゲームです。最初は地面に結構ぶつかって事故死しました。ただしスピード感をを味わうのなら地面に近い程いい。待機画面で物を投げて遊べるのが面白かったけです。


「Gun Club VR」は銃をぶっ放すゲームです。ストレス解消に良いですね。過去に銃を撃った事経験から言うと反動が欲しい。好みの問題かもしれませんが硝煙の匂いが付着しないのも撃ち終わるたびに掃除しなくていいのも良いですね。


HMDは高いが実はコスパはいい

手のひらクルクルで申し訳ないですけど、いや~VRゲームって面白いですよ!行ってしまえばゲームセンターのガンシューティングゲームを自宅で体験出来るような感じです。そう思えばコスパはかなり良い。ああいった筐体は安くて数万~数10万。高いと数百万もする。そういった最新機種をハードで数万ソフトだけで数千円ぐらいで購入できると思えば……まぁ有りかなと。下記の記事でも3億円ぐらいする物が20万円で済むというのがありますね。同等品を安価で購入できるというのは売り文句としてはかなり強い。医療xXRだとインフォームドコンセントとかプレパレーションには使えそうだけど医療行為に直結しないとマネタイズしにくいと思ってたんですが記事の中ではCTスキャンのデータをXR活用出来るというのがありました。面白いですね。書きながら思い出したんですがARで使用する薬を知識が無くても正しく選定するガイド表示するっていうのを昔TVで見た事が有りました。これは直感ですがXRの強みとして「リアルとほぼ同質の物を大幅に低コストで」という認識も有りだけど「XRは独自のもの」っていう考えを併せて持つ必要がある気がします。


検証すべき要素*価格差と価値観の関係について*

例1 質を下げてコストを抑えた物として広まった物と言えば音楽だと思います。CDやラジカセなどの音楽プレーヤーと管弦楽団やコンサートを比べると前者はコストが安く多くの人に広く重宝されています。音楽プレイヤーは当初随分と非難されましたが今の時代なくてはならないモノになりましたよね。
例2 キュービックジルコニアという物があります。これは人工的に作られた人工石です。屈折率がダイヤモンドに非常に近いためダイヤモンドの特徴的な姿にするブリリアントカット加工をすると一見ダイヤモンドの様に見えます。ですが市場価値は100〜500倍の差があります。一見して分からないためこれまた重宝されています。

とにかく安い物を選ぶ人もいれば高価で高品質な物を選ぶ人もいます。外見があまり変わらなければ安い方を選ぶけど、ここぞという時は高価な物を選ぶ人もいるでしょう。価値観の個人差というのは大きいものでそこも一つ難しい課題ではあります。質が下がってもコストが下がる物はそれなりに有用性があるという気がします。しかしダイヤモンドの様に本物志向を刺激しやすい物もあります。一概にコストが同質で安くても本物を選択する人はいるでしょう。どういう機能を求めるかそしてその機能にどれほど重きをおいているかということでしょう。


価値観の共有ってなんだろうか?

結局はどういう切り口で物を評価するかという事です。
どこまで模造品を受けいられるのか、とか“本物”にどれ程の価値があるのか、とか“本物”の価値は誰が決めるのか、という話になってきます。人の価値も物の価値も人の認識によって変わってくるので絶対的な価値はない。例えば生きる上で必要不可欠な水も、蛇口をひねるだけで出てきます。水は生理学的には価値が高くても経済的には価値が低いという事です。ついつい絶対的な価値観があると考えてしまうのは何故でしょうか?コミュニティによっても価値観は変わりますし社会の最小単位の家族でも一人一人で考え方は異なります。会社単位でも社是・社訓はそれぞれ別々ですし国家単位では法律も違います。そういった様々物のコミュニティを「社会」と呼んで一律に考えています。認識を一致させる為に都度互いの認識のすり合わせるコストを考えると大枠である程度の合意出来る価値を共有しているという前提で進めた方が社会参画のコストが抑えられるというのがあるからではないでしょうか。なら今後社会合意はどうやって形成していくべきでしょうか?そのカギは科学にあると思います。科学的な根拠を共通認識として社会形成すれば多くの同意を得やすいでしょう。昔は信仰心でまとめていたりしたんですが今後は科学的見地を一つの信仰としてまとまっていくように思います。

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VRで何もできない人がその世界に貢献したい時はどうすればいいのか

V界隈で今年色々ありましたがまた来年も似たようなことが有るはずです。どれほどスピード感がある界隈といってもまだ盛り上がってるのは数年。来る人も有れば去る人もいる。若い世代が多い界隈です。文化が根付くというにはまだまだ程遠い。来年も再来年も良い事と悪い事がある。本当にこの文化を根付かせ広め世界の一つとしたいなら私の提案はただ一つです。

ただこの界隈に居る事。それだけです。

何も出来なくてもいいし、何かしてもいい。過疎ったゲームを楽しむのは難しい。誰もいない世界には勝ちも負けもない。価値すらない。ただ居ることは「枯れ木も山の賑わい」とも思うけど活気の無い所で活動したがる人はいない。お金も少ないと価値はないけど溜まると価値が出てくる。何もしないただコンテンツを消費する一人の人間の価値ってそれと同じであまり価値はないと思う。でも「塵も積もれば山となる」とも「愚公山を移す」とも言う。何も出来なくてもただそこにいるだけで世界が変わっていく事に貢献できる。それでも何かしたくなったらそれをやればいい。

こちらの配信で動く城のフィオさんがアバター文化で感じている問題点の一つとして「アバターの供給過多」について話していました。

https://www.youtube.com/watch?v=Tzo6hMmbmS8

まさに需要者が求められているという事であります。
この界隈を救うためにもここに居よう。消費者として。
私はそうする。

(文/ねんりきそうすいーさじん@nenrikisousui)

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