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ジャズにハマる前 染みついていたブラジル音楽

テレビで カルロス・ジョビンが (たぶん家族で) ボサノバを演っているのを見た 
1980年代の中頃だ
知っている曲もあり 知らない曲も既聴感があるような感じがした
その後 アート・リンゼイがプロデュースした ブラジルのミュージシャンにも 興味が広がった
ガル・コスタ カルリーニョス・ブラウン ヴェニシウス・カントリア そしてカエターノ・ヴェローゾ
カエターノ・ヴェローゾは 甘い声で
『恋は盲目 レイ・チャールズもスティービー・ワンダーも盲目』
とシレッと歌ったりする
それらの流れで ボサ・ノヴァの原点 ジョアン・ジルベルト(本人はボサ・ノヴァと言うな と言っていたらしい)の 短い曲が30曲ほど入ったCDや マルコス・ヴァーリの『サンバ68』とかを聴くと やはり 強い既聴感があるのだ
マルコス・ヴァーリの『サンバ68』は テイ・トーワがカバーしている曲もあったが 他の曲も ほとんど知っているか 知っているような気がする 
1968年というと わたしはまだ 小学低学年である
意図的に こうした音楽に興味を持ったことはない
前年に コルトレーンが死んでいるが リアルタイムにジャズを聞いていなかったので 相倉久人が言うように コルトレーンが死んで ジャズが死んだ のかどうかは 意識すらしていない
街には 歌謡曲や演歌が溢れ 日曜日の昼下がりには ラジオから 時折 浪曲が流れていた
そんな時代だったが ボサ・ノヴァやラテン音楽 タンゴやマンボなんかも テレビなんかで流れていたような気がする
父親は 京都の日本海側 丹後半島の出身だからかどうかはわからないが タンゴが好きで わたしも後年 一時期 アストラ・ピアソラなんかを好んで聴いていたのだが そうしたラテン音楽への興味も 子どもの時期に 刷り込まれていた さり気なく聞いていた音楽に醸成されてきたものなのではないか
と今思うのだ
しかし そうした音楽が どういうルートで体内に蓄積していったのか どうも自覚がない
確かに『黒猫のタンゴ』『おもちゃのチャチャチャ』など(チャチャチャが ラテン音楽の1ジャンルだと 気づいたのは最近だ)周りにラテンフレーバーの音楽が 溢れていたのは間違いないが
そこで 記憶を辿ってみると 高度成長時代のムードとして 遊園地やら リゾート施設やら 昨今次々と 老朽化とか 採算の問題で閉鎖されている物件が その時代に造られたような記憶があり 大阪万博 エキスポ70は それらの集大成だったような気がする
そして そうしたリゾートBGMとして ボサ・ノヴァとかが ヘビーローテションしたんじゃないか と そんな気がするのだが 実はそのへんの記憶が全然ない
しかし そうしたシチュエーションに相応しいのは ジャズでも演歌でもロックでもなく マーチン・デニーの勘違いエキゾチック音楽や ブラジル音楽 ラテン音楽の類のような気がする
勘違いだったらごめんなさい
 





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