ジャズを聞きはじめた頃  マルとの遭遇

中学 高校と 映画音楽好きがこじれて 映画音楽を作家で追いかけるようになった
その結果 ヘンリー・マンシーニ ニーノ・ロータは当然のこと バーナード・ハーマンや 果ては武満徹に行き着いた
高校生で 映画を観てもいないのに 武満徹の『愛の亡霊』のサントラを持っている奴って あまりいなかったんじゃないか?
大学に入って それらの映画作家の多くが ジャズなる音楽を使っているので そういった興味で 1番多く出ているコルトレーンのLPレコードを買った
当時はまだ CDなんてない時代で レコード針による摩滅に 異常なまでに神経を使っていた 当時のわたしみたいな奴にとって CDは夢のメディアだった
で コルトレーンの話だが 聞いてみて まず思った
曲が長い
5分 7分は短い方で 長いのになると20分以上ある
最初に買ったLPでも 27分ぐらいある曲があった
それで萎えたか というと そうでもなかった
知っている曲だったからだ 
『マイ・フェバリット・シング』
これ サウンド・オブ・ミュージックの中の『わたしのお気に入り』やん
とサントラマニアのわたしは すぐわかったわけね
サウンド・オブ・ミュージックというと エーデルワイスとかドレミの歌とか 音楽の教科書に載るような定番の曲があるのに なんで わたしのお気に入り? と思ったが コルトレーンのソロの次に出てきた エリック・ドルフィーのフルートのソロがすごく良くて のちにわたしはエリックを追いかけて フルートを衝動買いしてしまう
LPでもエリックを追いかけているうちに その共演者にも関心が向かう その中のひとりが マル・ウォルドロンというピアニストである
マル・ウォルドロンは レフト・アローン  というヒット曲を持っていたが わたしは マルの あっ これマルだ!
という独特のフレーズと のたうちまわりながら飛翔していき マル どこ行きまんねん! と呼びかけたくなる情念溢れる演奏が好きだ
そんなわけで 『ファイブスポットのエリック・ドルフィー』より ステータス・シーキングをお聴き下さい

大学時代 わたしは 午前中にスイミングの婦人クラスに入り 昼から幼児クラスを2本入り それから 大阪天六の関西大学2部に通うという生活を送っていた
わたしから言わせると 関西大学のスピリットは天六学舎にあったと思う
今や二部は 千里山に移転したらしいが
当時の教授たちから よく聞かされたのは なぜ関西大学が天六みたいな街中にあるか というと 商売人の子弟が 仕事の後に学問をする懐徳堂の精神を引き継いだのだ
という話である
そう考えたら 千里山なんて 話になりまへんなあ
天六から商店街を通って 天五中崎通商店街を抜けて梅田方面に行ける
紀伊國屋 朝日屋 梅田古書街 と 散々ほっつき回ったが レコードもよく漁りに行った
そんなある日 梅田の阪急32番街という 要は32階建てのビルの 31階に(確か)レコード屋があるので 寄ってみようと思った 
わたしは 今から根を詰めて何かをやる という時には まず おしっこを済ませておく という習性がある
レコード屋でエサ箱を漁る前には トイレを済ませておきたいものだ
そんなわけで トイレに行くと 手洗い場に 黒人がいた
トイレから出てきたばかりなんだろう
その黒人は どこか見覚えがあった
『マル?』

その後レコード屋に行くと やってました マル・ウォルドロンのサイン会
やはりマルだったのだ
トイレに行くタイミングが少し早ければ マルと連れション という 人生に大きな足跡を残したのだが 惜しい
『レフト・アローン』を買ってサインをもらいたいところなんだが すでに持っていたので 『クワイエット・テンプル』という 地味なレコードを買った
握手をしてもらったマルの指には 大きな宝石がついた指輪がはめられていた
そして レコードにサインをしてもらった
そこには カクカクっとした漢字で こう書いてあった 
『愛と平和』


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