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【鬼滅の刃】アニメの伊黒が蜜璃に靴下をあげるシーンについてちょっと語りたい。

*原作のネタバレが含まれています。未読のかたは注意してください。

 完結してから見ようと思ったのだが、Twitterで靴下シーンがあがっているのを見て我慢できずに見てしまった。
 甘露寺さんの戦闘シーン、臨場感があって素晴らしかった。漫画ももちろんいいが、動くとさらにいい。
 あと甘露寺さんの背景が原作からかなり書き込まれていてよかった。
 鏡の前で髪の毛を黒くするシーンの悲しそうな顔にグッときた。
 マジで結婚しなくて良かったよ。

 そのあとの伊黒が蜜璃に靴下をあげるシーンだけど、原作では一コマだったが会話が追加されていた。

 あのシーンの(というより、伊黒と蜜璃の関係が)自分とは解釈がだいぶ違う。
 アニメはアニメでいいなと思ったが、せっかくなので自分の解釈と何が違うかを説明したい。(不満とかではなくて、単純に違いを説明したいだけだ)

 おばみつについては今まで五、六記事書いているが、伊黒の蜜璃に対する感情は対等ではない、というより普通の恋愛とはだいぶ違うのでは、ということを書いている。

 伊黒の蜜璃への感情や働きかけは一方的なもので自己完結している、というのが自分の中でのおばみつのポイントだ。
 なぜそう思うかはブログで書いているので、興味のある人は読んでもらえると嬉しい。

 おばみつは表層的には、「鬼滅の刃」というストーリーの中のサブキャラ同士の恋愛エピソードだが、本質的には強烈な信仰への目覚めと殉教の話だと自分は考えている。
 伊黒は蜜璃という神に出会い、信仰に目覚め、一心不乱に祈り続け、強固な意思を持って迷いなく殉教した。そういう話だ。

 自分はおばみつはこういうものだと思っているので、伊黒の蜜璃に対する態度は「遠くの世界からお祈りしている感覚」に近いと思っている。
 靴下をあげるときは、「自分と同じ『人間』に贈り物をする」よりは「神様にお供え物をする感覚」ではというのが自分の意見だ。

 なので躊躇いが出るとしたら、「こんなものでいいのだろうか」という迷いだと思う。
 アニメの伊黒は「好きな女性に物をあげることへの自意識」が前面に出ている(ように感じる)。
「ちょっとクールでツンデレ気味の男が、普通に好きな人に贈り物をするシーン」に見えるのだ。

 伊黒は「君といると自分も普通の青年になれたようで幸せだった」と言っているが、「蜜璃に普通の青年に『してもらっている』という感覚があること」が凄く重要だと思う。

(「鬼滅の刃」23巻 吾峠呼世晴 集英社)
何度見ても尊い。

 諸々を考えると、伊黒が蜜璃に「普通のツンデレ男のように靴下をあげる」というのは、自分の中ではちょっと考えづらい。
 伊黒はツンデレ属性だとは思うが、無限城内での言動を見ると、蜜璃に対してだけは「ツンデレ」よりも「気を遣っていつも通り話ができない」じゃないかなと思う。

(「鬼滅の刃」19巻 吾峠呼世晴 集英社)
どう伝えればいいか困っている感じ。
(「鬼滅の刃」21巻 吾峠呼世晴 集英社)

 炭治郎など他の人間に対しての態度は「ツンデレ」だ。

 ただそれはそれとして、アニメはこれはこれで全然アリだなと思った。
 ツンデレと天然のやり取りはいつ見ても萌える。

 無限城編も話がもっと掘り下げられるのかな。
 今から楽しみだ。


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