映画「ドライブ・マイ・カー」感想(裏面)。正直なことを言えば腹を立てている。

余り感情的に書くのもどうかなと思い、「原作が描いていることと何もかも真逆で、『ドライブ・マイ・カー』ではない何か別の物だが、まあ少なくとも三時間の映画にするくらいは心惹かれたのだろうし」というピンボケした感想で終わらせた。
だがどうも納得がいかないので、こちらではガチで書きたい。

*タイトル通りの内容です。
*映画のネタバレがあるので、未視聴のかたは注意してください。

映画版「ドライブ・マイ・カー」のストーリーを要約すれば、妻の死に罪悪感を背負う男が、妻の愛人だった男や若い女性ドライバーとの交流を通して、生前は向き合うことが出来なかった妻の心の内や、自分自身の心の内と向き合い乗り越えるというものだ。

何ということのない、ありがちな話だ。
「ありがちな話であること」自体は別にいいのだ。(ラスト近くのみさきの実家のシーンはどうかと思うが)ストーリーが平凡でも面白い話はいくらでもある。

ただ原作「ドライブ・マイ・カー」とは、まったく別物……どころか、わざとか? と思うくらいかけ離れたことを描いていることが解せないのだ。
それは「お話のテーマが~」「物語の深層に眠るものが~」など暗示されているものについて言っているのではなく、文章で書かれていることとも、ことごとく反対のことをしている。(繰り返しだが、アレンジとかそういうレベルではない。)
どの箇所でそう思ったのかはブログ記事で長々と書いたので、興味のある人はそちらを見てもらいたい。

「ドライブ・マイ・カー」は20数ページの短編だ。
その短編の中で、出てくる主要登場人物の性格が真逆、関係性も真逆、テーマも真逆、原作で家福が「それほど簡単に一般論にして欲しくないな」と語っていることを全て「ありがちな」一般論に落とし込んでくる。

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