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【「銀河英雄伝説」キャラ語り】ロイエンタールと母親の関係について考えたこと。

ブログの記事を書いている時に、突然ロイエンタールの言動の意味について考えたくなったので、長年不思議だった「ロイエンタールはなぜ、エルフリーデを襲ったのか」について考えたことを書きたい。

*原作のネタバレが含まれます。
*「ロイエンタールは、なぜエルフリーデと無理矢理関係を持ったのか」を母親との関係を軸に考えています。苦手な人はブラウザバックをお願いします。

◆ロイエンタールがなぜ、エルフリーデと関係を持ったのかが不思議だった。

「女性と無理矢理関係を持つ」行為は(エルフリーデがロイエンタールを殺そうとしたとしても)明確に悪だ。
「銀英伝」という話の価値観からもロイエンタールというキャラの美学からも、このエピソードは完全に浮いている。
全体のストーリーを見ても、この「浮いた」エピソードをあえて入れるほどの必然性を感じない。

ロイエンタールは、「刺されそうになった意趣返し」をする(ましてやああいう方法で)タイプではないし、女性に不自由しているわけでもない。
「女性が憎いから」であれば、今までも同じ行為を繰り返していそうだがそんなこともない。

エルフリーデが無個性な上に(ロイエンタールも名前ではなく、『リヒテンラーデ侯の一族の娘』としか覚えていない)その後ほとんど登場しないため、エルフリーデとロイエンタールの関係性を書きたかったようにも見えない。

ロイエンタールがエルフリーデを強姦した理由は、ストーリー内ではまったくわからない。(根拠となる手がかりもほぼない)
他のキャラたちもその行為の善悪是非を判断しない。(ロイエンタールが、普段であればそんなことをしない人間であることは知っているにも関わらず)なぜそんな振る舞いに及んだか、理由に興味を持たない。

「ストーリー的には興味も必要もなさそうなのに、ロイエンタールというキャラを根底から覆しかねないほどの強烈さを持つ、このエピソードをなぜ入れたのか」ということが不思議だった。

上記のように考えてみると、答えはひとつしか思い付かない。
ロイエンタールというキャラを描くにあたって、「女性と無理矢理関係を持つ」というエピソードはそれまでの人物像を否定するものではなく、必要不可欠なのだ。
だからストーリーにとっては必然性も興味もなく、価値観に合わないにも関わらず、このエピソードが入っているのだ。

「女性と無理矢理関係を持つエピソード」で何を描こうとしたのか。
「ロイエンタールの母親に対する思い」だ。


◆前提:ロイエンタールにとって、女性は全て「母親の代替」である。


ロイエンタールについては以前、ミッターマイヤーと合わせてひと記事書いた。

受け入れる→離れる、ということを繰り返している。
二股をかけない、というのは、ロイエンタールにとって付き合っているときの女性というのは、「女性」ではなく「母親」の代わりだからだ。(上記の会話で示されているように、ロイエンタールは「母親」とは正面から向き合えないために、対象を「女性」と一般化して向き合っている。)
対象を「女性」と考えると「女性と付き合っては捨てるを繰り返している。最低な男だ」となるけれど、実はロイエンタールの内面世界では全員「母親」という一人なのだと思う。
つまり、「母親」を受け入れたい、しかし距離が近づくと怖いので離れる、これを延々と繰り返している。

簡単に説明すると「ロイエンタールにとって、女性は全て母親(の代替)だから、女性嫌いなのに(と示唆されているのに)付き合うのではないか」ということを書いている。

ロイエンタールは「女性(母親)」を無理に襲わなくとも、普段から関係を持つことが出来ている。
それにも関わらず、なぜエルフリーデを襲ったのか。


◆エルフリーデはロイエンタールを「嫌悪し傷つけようとしたこと」によって、瞬間的に「母親そのもの」になった。

ロイエンタールにとって女性は全て母親の代替であるが、その上に「刺されそうになった」という事象が重なることで、エルフリーデはロイエンタールの中で瞬間的に母親と強烈にリンクしたのではないか。(*確か「俺の母親も手が綺麗だった」というセリフがあったような)
「刺そう」という母親と同じ行為をしたことで、エルフリーデはロイエンタールにとって「母親の代替度が高くなった」(刺されそうになった瞬間は、母親そのものに)なったのだ。

ロイエンタールがエルフリーデと無理に関係を持ったのは「自分を殺そうとした母親とコミュニケーションを取ろうとした」のだ。(現実的な事象としての善悪や是非はとりあえず外においた、ロイエンタールというキャラの内面に限っての推測)

ロイエンタールは「母親(女性)」に対して、近づきたいけれど近づくと離れるということを繰り返している。
だがそれだけでは、ロイエンタールという人物のコアにある「母親に対する思いと関係性」を描くには不十分だ。
何故なら、母親は「ロイエンタールを求める女性」ではなく、「傷つけようとする女性」だからだ。
だからロイエンタールの母親に対する思いは、「自分に対して嫌悪感を持ち、傷つけようとする女性」により強く投影される。

「自分に対して嫌悪感を持ち、傷つけようとする女性」=母親に出会った時、ロイエンタールは自分が受け入れられることを望んだ。
しかしいざ関係を持ったら、(当たり前だが)相手は母親ではない。
そこでエルフリーデに対する興味はなくなった+「母親から受け入れられた」という感覚を得ることは不可能だ、とわかったのだと思う。
だからエルフリーデが妊娠していると聞かされた時に、「中絶させる」とはっきり言ったのだ。(生まれてくる自分に救いはないから)


◆「銀英伝」という物語には、ロイエンタールのトラウマを受け入れる余地がない。

こういう本人が自覚的ではない内面を行動の根拠に持ってくる見方は、「銀英伝」的価値観では忌避される。(他のキャラは、この時のロイエンタールの心境にほとんど興味を持たないのはこのためでは。)
だからこういう無自覚の心理を推測に組み込まないと(つまりストーリーで起こった事象だけを見ると)「ロイエンタールは女性を強姦するような人間だ」としかならないエピソードを、なぜ入れたのかが不思議だった。

・ロイエンタールというキャラを描くには、女性を無理に襲うというエピソードが不可欠である。
・しかし、物語的には「なぜ、ロイエンタールがそんなことをしたのか」にはフォーカスしたくない。

ロイエンタールを見ていてキツイなと思うのは、メタで見ると物語世界にロイエンタールが持つ「ややこしいトラウマ」を受け入れる余地がないところだ。(*この点、アンネローゼも似ている。)
ロイエンタール自身も、物語の価値観に則って、自分のトラウマに余り目を向けず皮相的に見ている。
だから「母親に傷つけられたトラウマ」を表に出さずに、起こった事象や考えを常に自分を悪とした露悪的な見方で語る。


◆「皮肉な態度を装うのに命を賭けるところ」がロイエンタールの一番の魅力であることはわかる。

ロイエンタールは「母親のトラウマ」に限らず、表現と本心が微妙にズレている。
言葉では本心を語らずに行動で発露するので、何故そんなことをするかがわからない。

自分がロイエンタールが苦手(穏当な表現)なのは、常に「本当は何が言いたいのか、何を考えているのか」を考えさせられるからだ。
しかもわざとか(わざとなんだろうな)と思うくらい引っかかる言い方をする。
例えば死ぬ間際のフェリックスに対して「お前もロイエンタール家の三代目として、手に入れられないものを求めるのか」(うろ覚え)と言うが、これも「俺みたいになるなよ」と言いたいんだと思うが(自信なし)内心の言葉にも関わらず、問いかけである。
ミッターマイヤーに「ロイエンタール家はありがたいことに俺の代で終わりだ」と言ってしまったら、エヴァに花束を持ってくる。
「悪かった」で済むことを、いちいち二周くらい捻る。「ミッターマイヤーとはそういう関係で、大真面目に花束を受け取る」らしいからいいのだが。
ヒルダに対しても「あのお嬢さんの思う通りにいくかな」と言うなど、皮肉か冷笑かポエムを入れないと喋れないのかと思ってしまう。(好きな人ごめん)

ただ自分が引っかかるこういう部分は、子供のころにつけられた傷と暗さを覆い隠すための方法で、傷の辛さをどこにも吐けない苦しみにも耐え、命がけで皮肉な態度を装うところがロイエンタールの魅力なんだろうということはわかる。

ロイエンタール家の三代目がミッターマイヤー夫妻の手で育てられることは、それくらい信頼できる友人に出会えたことは、ロイエンタールにとって最期の最期で手に入れられた救いだったのだろう。

成仏してくれ。(いつもの)

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