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新聞は「自分が興味がないこと」を受け取るために読んでいる。

年末年始にかけて「紙の新聞の発行部数減」の話題が上がっていたので、その話。
自分が紙の新聞を読むのは、自分にとっていくつかネットメディアでは代替が効かない要素があるからだ。

①全体の情報量や関連ニュースがパッと一目で入ってくる
②文章の量や見出しの大きさも情報になっている
③その日のニュースが「自分というバイアス」なしに入ってくる
④目が疲れにくい 

新聞は、紙と電子の違いが大きい。
紙媒体のほうは、ひと目でたくさんの情報が把握できるように紙面が構成されている。
紙の新聞は内容以外に、見出しがの活字の組み方、それぞれの記事の文字の量(どれくらい紙面を割いているか)、どの記事とどの記事が関連が深いかという配置。
その日のその媒体の情報の総量(全体像)が、ページ数で確認できる。
ひと目でその日の情報の概要を把握できる
自分は全体像を把握しないと部分が把握しづらいタイプなので、これが凄く助かる。
ネットメディアで一番困るのは、全体像が把握しづらいことだ。
どこがゴールか知らされていないで走ると、ペース配分が出来ない感覚に似ている。

また教科書の電子化の議論の時にたびたび言及されるが、電子媒体は紙媒体に比べて記憶の定着率が悪いというデータで出ている。
自分も紙で読んだほうが頭に残りやすい。

「教科書の電子化の議論」も特に興味はないので、新聞を読まなかったら視界に入る可能性がほぼなかった。
そういう自分に興味がない情報や日々自分の日常を送るだけだとその情報があるかどうかすら知らない(ゆえに調べようがない)情報も「自分というバイアス」にはじかれることなく定期的に入ってくる。

自分が興味があり定期的に追っている情報、もしくはもっと専門的な情報を知りたいほど興味がある場合は、言われなくともネットで色々な媒体を調べる。

自分が新聞に期待しているのは、自分が普通に生きていたら調べようとは特に思わない、そこまで興味が持てない、むしろそんなことがあったとすら知らなかったことを、とりあえず「こんなことがありました」とサラッと教えてもらうことだ。
趣味の情報なら「自分に興味がないこと」には価値はないが、現実の情報は「自分の興味の有無」は情報の価値を左右しない。

例えば今日の読売新聞の7面には、「ロシアが進めようとしている紅海西岸スーダン領の海軍基地建設計画を進めないように、アメリカがスーダンに警告を出した」ニュースが載っている。
元スーダン軍関係者が取材に対して「スーダン軍内部では、長く経済制裁を科した米国への不信感が根強い。軍内部で露軍の基地計画は今も生き続けている」こう答えていると紹介している。

スーダン領の紅海の基地建設の状況は、自分の生活にすぐに直結するわけではない。
だから、ネットで「スーダンは今、どういう状況か」と日々調べたりしない。そもそも「調べよう」という発想がない。
ただこういう情報の集積が、アフリカが今どういう状況なのか、「以前、欧州は天然ガスの輸入先としてロシアの代わりにアルジェリアを模索していたが、アルジェリアはロシア寄りの姿勢を示していたニュースがあった」とか、「マクロン大統領が植民地時代に奪った美術品をベナンに返却したが、現地の人は反発していたというニュースがあった」ということにつながる。

欧米も日本も中国も、資源があったり地政学的に重要な国々の取り込みに必死になっている。
そういう興味がわくと、グローバルサウス出身でアメリカで学位を取った人が見る、今後の世界情勢がどうなるのかという意見を読んでみようかとつながっていく。

自分が新聞で一番いいと思うところは、主体的に調べなくともそれなりに網羅的な情報が入ってくる点だ。
「主体的に調べなくとも」というのは「楽だ」ということもあるけれど、一番は重要なのは「自分というバイアス」が外れていることだ。

大手メディアもそれぞれの性質によってバイアスはかかっているけれど、自分は今の時代に一番危険なのは「自分というアルゴリズムを外す場面がないこと」だと思っている。よく言われる、エコーチェンバーも自分の嗜好によって形成されるものだ。
「自分以外のもの(他人)のバイアス」を気にするのは、その次の段階だと思う。

自分はこういう考え方をしているので
①「自分」という装置が働く余地がなく、情報のほうからやって来る。
②ひと目でその日の情報の全体量や概要が掴める
③目が疲れない

こういう特性がある情報が毎日ポストを開ければ入っている紙の新聞を重宝している。

自分にとっては、ネットメディアと紙の新聞はまったく違う特性を持っている。比べるものでもないし、片方があるから片方がなくなっていいとも思わない。
むしろネットがあるからこそ、まったく違う特性を持つ紙の新聞が重宝している。
まあなくなるなら、それはそれで仕方がない(どうしようもない)が、出来れば続いてくれると助かる。

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