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「虎に翼」第69話感想 寅子は穂高先生に「お前を見損なった」と言ったのだと思った。

 明日の第70話のあらすじを見るともう一度、二人で話すようだ。
「和解して終わりかな?」とも思うが、とりあえず第70話を見ていない時点での感想。

 自分は第69話の穂高先生と寅子のやり取りは、

 この話をしているのではと思った。

「社会的な見地」で見れば、寅子の態度は桂場が言うように大人気ない。
 社会に適応するのが「大人」だからだ。

 だが寅子は穂高先生を「社会的要素」である「退官する恩師」「法曹界の重鎮」「自分より年上の先達」ではない、「同じ志を持つ仲間」として見ていた。
 よねや梅子や、香淑たちと同じ「法の力を信じ世の中を変える」という志を持った仲間だ。
 だからあれほど激烈に怒ったのだ。

 第69話の穂高と寅子の会話は、寅子が妊娠して弁護士事務所を去る時のよねとの会話のリフレインである。
 あの時、寅子は今回の穂高と同じように「では、私はどうすれば良かったの?」と聞き、よねは今回の寅子と同じように「そんなこと知るか」と返した。

「どうすればいいか」など誰にもわからない。
 現場では「理想と現実」ではなく、「理想と理想」がぶつかっている。
 寅子はその中で家庭を後回しにし、休日返上して働き、男にはない月経に耐え、そういう日常(現実)を背負いながら戦っている。
 梅子もそうだった。
 母として妻として嫁としての現実を背負いながら、その枠組みの中で女性の権利を勝ち取る戦いをしていた。
 だが「負けた」
 現実か理想か、どちらかを取るしかない。だから現実(母であり妻であり嫁であること)を捨てたのだ。
 同志たちは、現実を背負いながら「理想と理想」の狭間で「どうすればいいのかわからない」中で戦ってきたし、今も戦っている。
「雨だれの一滴」だなんて一言でまとめて逃げようとするな、年齢は理由にならない、死ぬまで悩め、葛藤しろ、人生のすべてをかけて戦えと言っているのだと思う。

 一般的に(社会的な要素を)見れば寅子と穂高が同志ということは考えられない(少なくともその関係のほうが優先されるとは考えにくい)
 にも関わらず穂高も寅子を同志として見ている。
 だから「場をわきまえたまえ」とか「(桂場など)他の人の立場も考えろ」という社会的な要素を踏まえた返答ではなく、
「謝ってもだめ、反省してもだめ、じゃあ私はどうすればいい」
個人として返答したのだと思う。
「岩を穿つ雨だれの一滴でいい」という「社会的な(綺麗にまとめられた)言葉」の裏には、個人としての「どうすればいいのかわからない」という葛藤がある。
 よねに詰められた時の寅子とまったく同じだ。
 寅子がよねに「もう戻って来るな」とまで言われたように(そして未だに和解していないように)寅子も穂高に「許さない」と言う。

 このシーンは寅子と穂高先生が年齢や立場や性別や実績など社会的な要素はすべて超えて、お互いを同志だと思っていたという視点で見ないとよくわからないのでは、というのが自分の感想だ。

 自分は寅子が余り好きではないが、ドラマとしては寅子の人物像に無理に共感させようとしないところに好感を持っている。
 やるのであれば周り(含視聴者)からどれほど白眼視されようと、とことん寅子の理屈を貫いて欲しい。
 明日あっさり和解……は、よねと寅子の関係を見てもないと思うが。
 どうかな?

※7月5日・追記
 
想像の五十倍ひどかった……orz
 実は「虎に翼」は疑問が多く、これまでも何度か脱落しかかっている。
 期待をこめて↑の記事を書いたが、期待しすぎだったのだろう。
 頭に来るのを通り越して脱力しているが、気が向いたら何か書こうと思う。
 とりあえず「旧来の女性向け作品のガワを変えただけのもの」を「フェミニズム的作品」「思想をこめた」といわれる現状は何とかならないものか。
 言っている人たちは「新しい価値観」と思っているのだから、どうにもならないのだろうが。

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