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【「銀河英雄伝説」キャラ語り】「オーベルシュタインは意外と前向きなのでは」という話を急にしたくなったので話します。

昨日も面白かったなあ、「鎌倉殿の13人」。
次回は「梶原景時の乱」か……。「鎌倉殿」の景時が凄く好きだったので寂しい限りだ。

景時は未だに腹の中が見えきっていないが、最期で思う存分、見せてくれるだろう。
自分の中では、

「天命」に強い信仰を抱いている、そこから逃れることは出来ない、逃れる気もない人物に見える。そしてその強い信仰とはまったく別に、「自分の気持ち」が存在している人物だと思っている。(略)
「人から何を考えているかわからないと思われて損をしてしまうが、本人はそれは仕方ないと割り切っていて、特に何も対処しない。その態度が悟り澄ましている(スカしている)と思われますます誤解される」雰囲気が、よく出ていた。
みんなとやっていることは大して変わらないのにパフォーマンス下手で、一人だけ「陰湿」とか「いけ好かない」とか言われる。そういう役目を引き受けているからそう思われるのは仕方がない、と誰よりも本人が思っている感じが好きだった。

こういう人物像だ。
演じている中村獅童が「品があることを意識している」と語っていたが、本人の性格プラスなまじ教養があるために、坂東武者たちの間ではちょっと浮いてしまう。

景時のように
「理性で感情を抑えつけているために、端から見ると『冷たい』『気取っている』とか思われやすく大して好かれない。では何故『理性で感情を抑えつける』のか、というとそのモチベーションが実は他の誰よりも熱く感情的
「底に秘めたすさまじい情熱のために、浅層の日常的な感情を抑えつけているので、普段はとても冷たく理性的、もしくは嫌な奴に見える」
キャラが昔から好きだ。

「銀河英雄伝説」のオーベルシュタインも基本的にはこの型だが、オーベルシュタインは深層の感情が「ゴールデンバウム王朝に対する憎悪」(負の感情)なので、ドストライクな好みではない。(と言いつつ、帝国では一番好きだが)

負の感情がモチベーションだと類型としてはルサンチマンキャラに当てはまりそうだが、「そう言えば、オーベルシュタインはルサンチマンキャラではないな。何故だろう?」といま気づいた。

オーベルシュタイン個人の物語を追っていくと、
「生まれた時から囚われていた『ゴールデンバウム王朝への憎悪』という妄執から解き放たれて、『ローエングラム王朝を支える』という新たな生きる希望を見出した脱ルサンチマン文学」だ。
「草刈り」としたり、ラングのような男を使ったりと、「新たな生きる希望を見出した」という語感にまったくそぐわない生き方をしているところが、らしいと言えばらしいが、具体的な内実はともかく、外形的にはそういう負→正への転換のカタルシスがある。
本人がそのカタルシスをまったく表現しないので、気づかなかった。

ミッターマイヤーが、ロイエンタールとオーベルシュタインは「理想の像」を巡ってラインハルトを争っている、と考えたように、ロイエンタールとオーベルシュタインは根っこのところが似ている。
この二人がお互いを嫌い合っているのは、近親憎悪だと感じる。

オーベルシュタインは(オーベルシュタインなりに)ミッターマイヤーには個人的に好意を持っていて、ロイエンタールのことは個人的にも嫌いだったのではないかと思う。
薄弱だが一応根拠を上げると、ロイエンタールは「ジャッカルだ」と評したのに対して、ミッターマイヤーがなぜロイエンタールを討とうとしたかについての洞察は、ミッターマイヤーの心境をかなり慮っているからだ。
オーベルシュタインのような人間は、仮に好意があったとしてもその好意がまったく実際的に機能しないので、好かれようが嫌われようが意味はないが、「特に必要がないのに心境を洞察すること」が好意の表れだと感じる。

オーベルシュタインとロイエンタールが似ていると感じる点は、強烈な負の感情が深くアイデンティティに関わっているところだ。
そこに自分という存在が集中しているので、日常的な感情は抑制気味になる、もしくは抑制の反動で言動が露悪的になる。

大きく違う点は、オーベルシュタインが自分はその負の感情に支配されている人間だ、と認められるのに対して、ロイエンタールが認められない点だ。
オーベルシュタインは認められたから、負の感情を昇華する方向へ邁進でき、ゴールデンバウム王朝が滅亡した後は自分の感情を払拭して、生き方を正の方向へ転換することが出来た。(*ゴールデンバウム王朝の滅亡後もルサンチマンが払しょくできなかった場合、対象を選ばず破壊する方向に向かったと思う)
ロイエンタールは「自分が負の感情に支配されている」と認めることが出来ないから、いつまで経ってもそこに囚われ続ける。

ロイエンタールが女性を強烈に惹きつけるのは、恐らくこの「囚われ具合」にあるのではないかと思う。
サルトルが「縛られている女が一番エロい」と言ったように、何かに縛られている人(物理に限らず)はとてもエロく見えるのだ。

オーベルシュタインは「ゴールデンバウム王朝への憎悪」が強烈な負のモチベになっていたが、それは対象が消滅すればなくなるものであり、「ローエングラム王朝を育てたい」という正のモチベに生き方を転換できる心性を持っていた。
人を恐れさせつつも惹きつける要素でもある「負のモチベ」や「暗い心性」を境遇によって与えられたにも関わらず、意外に本人の生来の「健全さ」によってそれをかき消せるような人間なのだ。

オーベルシュタインは「冷酷非情なことも平気で提案し、薄暗いこともやるから嫌われる」という風に見えるけれど、どうも逆に見える。
「そもそも人から好かれないから、そういう役回りを引き受けている」と、作中でも何回か指摘されている。
ビッテンフェルトが「私心がないことは認めるが、俺が奴を気に喰わないのは私心がないことを武器にしているところだ」と指摘していたが、鋭いなと思った。
「私心がないこと」を拠り所にしているのかと思いきや、それすら利用してしまう。
骨の髄まで可愛くない(「人に愛させる隙を与えない」と言う意味)のだ。

オーベルシュタインは陰謀家の例に洩れず、「人そのもの」が基本的に好きなのだと思う。
精神が外向きなので、強烈なルサンチマンに囚われていても前向きに昇華して、その後は希望を見つけた生き方が出来る。
明るい外向きな心性を持っているにも関わらず、それを外に一切出さずに自己完結しているので、誰からもまったく好かれない。

冷酷非情で手段を選ばないところなど、表層的な部分は一見、「グインサーガ」のアリに似ているが、オーベルシュタインとアリは直観的にほとんど似ているように感じない。むしろロイエンタールとアリのほうが似ているように感じるのは、「ルサンチマンを昇華出来ないがゆえの囚われ具合」が似ているからではと思うのだ。

「明るく前向きにローエングラム王朝を支える」(子育て)に目覚めた後も、ラインハルトから「あいつはローエングラム王朝の皇帝にふさわしくないと判断したら、自分のことも除くのではないか(たぶん除くだろう)」と思われるところもらしいと言えばらしいが、オーベルシュタインが「私も口数が多くなったな」と笑ったのは、そういう生き方の転換というカタルシスがあったからではないかなと思うのだ。


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