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いわゆる「テンプレなろう系」を読んでみたら「火山島」似てい(る部分があっ)た&自分にとって「チーレム」がいかにnot for meか。

 なろうで書籍化している作家さんがあげている「否定的な感想にどう対処すべきか」という動画が面白かった。
 結論は「自分たちは作品を書くが一番の仕事。ネガティブな感想を読んでも気持ちをすぐに切り替える。切り替えられないなら読まない」だった。
 これはほんとにそうだなと思った。

 自分は「なろう系」という概念が出てくる前から「チートキャラによる無双」が苦手だった。チート主人公に女の子が意味もなく群がる「チーレム」も、結局現実の価値観の肯定ではないかと思う。
「能力のある者が総取りして勝者になる構造」に疑問を持つのではなく、自分がその構造の中の勝者になりたいだけのところが好きになれない。(女性向けのざまあものなどは、広告を見るだけでうんざりする)
 もちろんそれはただの自分の好みで、そういう創作があること自体は特に気にならない。(当たり前だけど)

 そんな「そもそもそのジャンルに興味がわかない」自分から見ると、感想を書く人は何だかんだ言ってしっかり読んでいる(と感想を読んで思った)
「こんなにたくさんの人に読まれて、書籍化している作品はどんな作品なんだろう」と試しに「異世界で孤児院を開いたけど、なぜか誰一人巣立とうとしない件」を読んでみた。

 自分は前述した通り、こういうジャンル自体が好きではない上に、第一話でヒロインの女の子が虐げられている(主人公が治してあげるのだが)描写が駄目だった。
「人が傷つくということ(内面も含めたこれまで生きてきた経緯)を、赤の他人が一瞬でどうにか出来る」
 チートもののこういう発想が鼻持ちならない。自分以外の他人を軽く見すぎだろ。
とぶつぶつ文句を言ってしまう。
 自分向きのジャンルではないと改めて思った。
 ただこのジャンルが好きな人は楽しく読めると思う。挿絵を見ると女の子のキャラが可愛い。

 この話を読んでいる時、今読んでいる「火山島」に似ているという感覚がわいてきた。
 さすがにジャンルが違いすぎるので「穿ちすぎか?」とも思ったけれど、考えてそう思っているのではなくそういう感覚がどこからか湧いてくるのだ。

 何でかなと思って少し考えてみて「欲望の所在が同じなんだ」と思いついた。

「火山島」の第一巻の後半は、主人公の一人李芳根(イ・バングン)を中心に話が展開する。
 芳根は済州島の資産家の跡継ぎだが、かつて日本で反政府運動に参加して挫折したために、故郷に戻ってからは厭世的な生活を送っている。
 芳根には容姿にも才能にも恵まれた有媛(ユウオン)という「兄さん大好き」な妹がいる。
 芳根は有媛に、もう一人の主人公である南承之(ナム・スンジ)のことが好きなんだろう(意訳)と言って、有媛に「ひどい」と言われている←いまココ。 

 本人は目立ちたくないと思っているのに、能力的に優れているために周りから「あなたはこんなところにいる人じゃない」と担ぎ出されて、仕方なくその能力を発揮する。自然体にしているだけなのに、女性が勝手に自分の魅力を見出して寄ってきて、くっつくまでの道筋も動機づけも用意してくれる。自分を羨望したり嫉妬したりする男は卑怯な小者で、大口を叩いていたが勝手に自滅していく。

 田中芳樹の作品もこの型が含まれているものが多い。(ファンの人には申し訳ないが、自分はヤン、ナルサス、リドワーン、ジュスラン、竜堂始といったこの型のキャラは全員好きではない)
 田中芳樹の作品が面白いのは(別のタイプがもう一人の主人公として出てくるなど)無双できないようになっているからだ。
 例えば「マヴァール年代記」では、リドワーンが大局に絡まず、能力はあっても性格は平凡な(だから間違いを犯す)カルマーンと野心家のヴェンツェルの対立が本筋になっている。逆に竜堂兄弟の無双状態とアゲ状態が続く「創竜伝」は読むのが苦痛で読まなくなった。
 よく考えたら「グインサーガ」のナリスもこの型だ。(ただナリスはそういうナリスの『性格の悪さ』に物語全体が自覚的なところがいい。あとリンダとの仲がうまくいかなかったりと、都合の悪いことも起こっている)

 では「銀英伝」や「グインサーガ」も「火山島」に似ているかというと似ていると感じない。
 なぜ「銀英伝」や「グインサーガ」ではなく、「火山島」が「異世界孤児院」に似ていると感じるのか。
「家庭」や「学校のクラス」という範囲で欲望が充足しているところが共通しているのだと思う。「自分を中心とした小世界の中でその欲望の形が具現化しており、それで満足」という心性や視野が似ている
「火山島」は、現在の芳根が挫折して家に引きこもっているからそういう世界観であり、島全体が武装蜂起に飲み込まれたら変わるのかもしれないが。

「異世界孤児院」と「火山島」が似ていると感じたことから、思ったことがある。
 ひとつは「なろう系」と呼ばれるものの型自体は、ずっと前から創作では多くの読者のニーズを満たす鉄板の型だということ。「なろう系」のテンプレである「無双チーレム」は、それを捻りなしの極端な形で用いているにすぎない。(捻りなく用いているところが新しいのだ、と言われればそうかもしれないが)
 ふたつめは「隠蔽された暗い歴史を背景として描く」という意義を持つ「火山島」にも、その型はほぼ原型のままで用いられている。「火山島」がエンタメ小説としても優れていると感じるのはそのためではないか。(物語として凄く読みやすい)
 みっつめは「火山島」を読んでいて、李芳根のこじらせぶりにも芳根に構う周りの人間にもイライラする自分には、この型は徹頭徹尾not for meだということだ。

「火山島」には、承之には鼻持ちならない嫌な奴と言われ、芳根には胡散臭い小者と思われている柳達鉱(ユ・タルヒョン)という嫌味なインテリが出てくる。
「火山島」の中ではこの柳達鉱が一番気になるのだが、最後は仲間を裏切って吊られて死ぬらしい。(ひでえ)
 自分が好きになるタイプは、なろう系でいう何の救済もない「ざまあされ要員」になりやすいのでとことん趣味に合わない。
 イドリスやアリなど、読んでいて扱いの余りのひどさに泣きそうになる。

 この型で話が進んでいくのは読んでいてちょっとしんどいので、先に武装蜂起が始まる6巻と7巻を読もうかなと思う。
 この辺りは実際に島にいた人の証言を元にして書かれたようなので、別の意味で読むのに覚悟がいるとは思うけど。

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