【鬼滅の刃】急に「童磨×琴葉のどこが面白いか」を話したくなったので話します。
*「鬼滅の刃」の13巻以降のネタバレが含まれています。注意してください。
刀の鍛冶里編が開幕するので、久しぶりに「鬼滅の刃」を12巻から読み返したらめっさ面白かった。特に童磨戦が初読以上に面白く感じられた。
童磨×琴葉に関しては、以前書いた通り「普通に両想いだったが、『鬼滅の刃』というストーリーの超文脈によってああいう描写になっているのだろう」と思っている。
なぜどこでそう思うかは↓の記事で書いているので、興味がある人は読んでもらえると嬉しい。
◆「童磨×琴葉」の面白さは、自分の行動に対する童磨の解釈が無理やりすぎるところ。
この二人のエピソードが面白いと感じるのは、琴葉への行動に対する童磨自身の解釈が無理やりすぎるところだ。
端から見ると「好きなんだろうな」と思う行為を、愛情という概念を地雷のように避けて解釈するとああいう語りになるのか、というのが面白い。
「好きだとは意地でも認めない」という執念すら感じる。
「卑劣で残酷」「感情がわからない」という童磨の特性を考えると、「童磨の心には、愛情という概念が存在しなかった。だから自分の琴葉に対する感情の意味がわからなかったのでは」と思う。
童磨は琴葉の人生をこう言っているが、その5ページくらい前に
こういう絵が入っているので「あなたと一緒にいた時では?」というツッコミ待ちか?と思ってしまう。
この回想は童磨の記憶の中だけのものなので、カナヲや伊之助にはわからない。だから二人は「童磨が語る解釈」を鵜呑みにして(特に疑う理由もないので)激怒する。
読者から見ても、童磨の言動の不一致をどう考えるかは難しい。
童磨は普段は「話す内容そのままの卑劣で残酷なキャラ」だ。
だが、
①琴葉のことを語る時だけ「信頼の出来ない語り手」になる。
②それが何故かが、ストーリー的にほったらかされている。
こういう二重の捻じれがあるために、童磨と琴葉の関係が本当はどういうものだったか、というのが凄くわかりにくくなっている。
こんなちぐはぐな造りの話は、普通はただただ訳がわからないだけだ。
だが童琴×琴葉のエピソードは、むしろ
「童磨が自分の行動について謎の解釈をしている(そういう解釈しか出来ない)。他のキャラは、そういう童磨の特性がわからず鵜呑みにしている。そのまま誰も(童磨本人も)関心を持たずに、ほったらかしのまま終わる」
という造りだからこそ面白いものになっている。
◆琴葉という「無力な女性」が、「力の論理」を全否定するところが「鬼滅の刃」の真骨頂。
このカップルが好きなもうひとつの点は、琴葉が「鬼である童磨の論理」をはっきりと拒絶しているところだ。
以前、ブログで「『自分を受け入れ愛してくれるが、他人に対しては受け入れがたい振る舞いをする相手をどう考えるか』は、恋愛モノにおいて鬼門だ」という話を書いたことがある。
「ヒロインの特別感を際立たせるために、周りに対しては冷酷(非道)」という設定にすると、そういう相手を許容するヒロインが読者にとって「人あらざる者」になってしまう。
「自分にだけ優しい人」は、恋愛モノにおいて禁断の果実だ。
「他人に対して受け入れがたい振る舞いをする相手を、自分を大切にしてくれるという理由で受け入れてしまう」
これは「保護してもらうことと引き換えに愛する」という「男社会の論理」だ。(*個人の男ではなく『男社会の』。女性側から見ると「強い男に守られることで女性は安寧を得る(それが女性の幸せである)」男側から見ると「愛されるためには、強者でいなければならない→男は強くなければ価値が無い」という構図のこと。)
この構図を無批判に受け入れてしまう女性キャラは、自分の中でだいぶ残念な部類に入る。
琴葉は自分を助けて保護してくれようが、怪我を治してくれようが、自分を食べないで一生そばにいてくれようが、「人間を食べる鬼である童磨」を全否定して拒絶している。
「鬼滅の刃」は、こういうところが凄く好感が持てる。
(ジェンダーという観点で見るなら、服装とかではなくこういうところを見て欲しい)
◆サブキャラのひとつのエピソードだけでも、語れる面白さがある。
おばみつもそうだけど、童琴も細かく見て行くとそれひとつで何記事もかける面白さがある。
ポテンシャルが半端ないと読み返すたびに思うのだ。
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