考えてみれば、ロシアについて何も知らない。

昼の番組でロシアの現状とプーチン大統領について気になる話を見たので、自分用のメモ。

プーチンが側近にもほぼ相談せずウクライナ侵攻を始め、現在も側近たちはプーチンを恐れて正しい情報を伝えられない、プーチンに逆らえば更迭されるという情報が多い。
だからプーチンという個人が強権を握っていると考えられ、色々な展望でも「プーチン失脚のシナリオ」が取り上げられ(プーチンが失脚すれば事態が変わる)、「FSBの内部でクーデターの動きがある」という情報も比較的希望的観測として語られる。

ただこの番組内での話は違った。

ロシアは軍部とFSBの対立の歴史があり、この二つの組織を抑えられるということが、プーチンの権力の基盤である。
軍部やFSBがクーデターを起こしプーチンを権力の座から追い落したとしても、恐らくもっと強権的なリーダーが出てくるだけだろう。何故なら、「強い軍部」は、ロシアの強力なアイデンティティだからだ。

今まで見聞きした情報のイメージだと、プーチンが強い権力を持ちロシアという国に君臨しており、その意向が国家の方向性を決めているのだろうと思っていた。
だがそうではなく、強力な軍部がロシアの権力の本態であり、その軍部と対立しうる権力を持っているのがFSB、この二つの組織は従来から仲が悪く、今回のウクライナ侵攻でも責任を押し付け合っている。
プーチンはこの二組織の上層部を一方的に更迭や粛清できる立場ではなく、現在の状況だとこの二組織からプーチンに侵攻の責任の追及が向けられる可能性があり、それも焦りのひとつになっているのではないか。

そういう話だった。

仮に本当にそうだとすると

ウクライナ国防省情報総局は公式フェイスブックで、政財界エリートの間で反プーチンの動きがあり、FSBのアレクサンドル・ボルトニコフ長官を「プーチンの後継者と考えている」と発信する。

(上記記事より引用)

ということや、更迭されたのではないかと噂されているショイグ国防相がプーチンの失脚に動いて成功したとしても、現状はそれほど変わらないのではないか、むしろもっとひどくなるかもしれない。

ロシアの政治体制のバランスは、本当はどうなっているのだろう?
「軍部がかなり強い力を持っている」ということが本当ならば、ショイグ国防相を更迭なんて出来るのか?と不思議ではある。

国防相が重要なのは「核のボタン」の管理に関係するからだ。英調査報道機関のジャーナリストは「政府専用機が防空壕(ごう)があるとされる中部ウファに行き来しており、ショイグ氏はそこにいる可能性がある」と分析した。

(上記記事より)

一方で、米欧やウクライナの情報機関がロシアの内部事情を知らずに、プーチン体制の内部からの崩壊の可能性を語っているとは思えない。
結局のところ、この話の妥当性を判断できるほどロシアのことを知らないのだ。


「『強い軍部』がロシアという国の強力なアイデンティティであり、プーチンはそれに積極的にのることで権力を維持してきた」「軍部こそがロシアという国の(少なくとも権力構造においては)本態」という話に興味を惹かれたのは、ミャンマーのクーデターを思い出したからだ。

現代日本で見ていると、いくら抗議活動をしているとはいえ、自国民を火器や戦車を用いて弾圧するなど信じがたい、「国(民)のための軍隊」という自らの存在意義を否定していると思ったが、そもそもミャンマー軍は「国(民)のための軍隊」ではなく、「軍隊のために国が存在する」という意識を持っている、と知って驚いた。

なぜ軍がこれほど過酷に自国民を弾圧できるのか。
軍の内部でも何か疑問は出て来ないのか。
軍部のほうが選挙で選ばれた政治家よりも圧倒的に力が強いように見えるが、どうしてこんなパワーバランスになっているのか。
こんな風に弾圧をしたあと国をどうするか、何か展望があるのか。
など疑問が山のようにあったが、そもそも前提が違うのだと言うことに気付いた。

「まがなりにも国家に所属する軍隊が、権力を握るためにクーデターを起こした」と考えていたが、そもそもミャンマー軍は政治からは……というより国家(国民)から完全に切り離された組織のようだ。
「国の軍隊」というより、「国の内部に存在する、国家とはまったく利害の方向性が違い外部とは隔絶した独立した集団」というほうが感覚としては近い。

「国(民)を守る」という意識は、建前としてさえ共有していない。
現代日本で生きている感覚だと「軍」としてもかなり異常な成り立ちで、こういう組織が何故、「国の軍隊」として国の内部に存在するのか理解できない。

加えてミャンマー軍の場合は、ゲリラとの闘争の歴史があるため、軍隊はその家族も含めて隔離された組織となっており、軍内の兵士は「国民は敵だ」と洗脳されているらしい。

「軍隊」とひと言で言っても、国によってその組織の成り立ちや存在意義、国や国民に対する立ち位置がまるで違うので、自分たち外の国の人間が「軍隊」と聞いて思い浮かべるものとまるで違う、前提がそもそも違うことがある、ということが分かった。

読売新聞で、ドストエフスキーの新訳(光文社版)を行った亀山郁夫が語ったロシアの国民性を見ても、「『強い軍部』がロシアという国の強力なアイデンティティのひとつになっている」という状況はあるかもしれないとも思う。

ロシアには古来、個人の自由は社会全体の安定があってようやく保たれるという考えがある。(略)
絶対的な権力が失われれば、社会の無秩序が制御不能な形で現れるのではないかと恐れるロシア人は、グローバリズムに対抗するだけでなく、自らを統制するためにも強大な権力を求める。プーチン氏の側近が、これほど異常な決定に誰も異を唱えないのは、このためだ。(略)
ロシア人の心性には、永遠の「神の王国」は歴史の終わりに現れるという黙示録的な願望があり、それが政治の現状に対する無関心を助長している。(略)
この国民性をロシアの作家グロスマンは「千年の奴隷」と呼んだ。

(引用元:2022年2月26日読売新聞朝刊14面「視点」亀山郁夫/太字は引用者)

中国も何度も「国が崩壊するかもしれない」という政治的危機を経験しているので、「どんな国家でもないよりはマシ」という発想が国民にはある、と読んだ。

「ミャンマーの軍部の在り方」「ロシアや中国の国民がなぜ、自分たちも外国も抑圧する強権的な体制を支持するのか」は、その問題だけを取ると日本で生まれ育った自分の視点や認識では理解することは難しい。
だがその国の成り立ちや歴史、その国の人たちが目にして経験してきたことから培った国民性を踏まえて、その視点で説明されると、賛否はともかく理解できないと思うことはない。

その国そのものを形成する歴史や精神性、国民性を「現代日本で生きた自分」の視点をなるべく外して見るようにしないと、本当の意味で理解することはかなり難しいのかなと、どの国も……特に価値観を共有していない国を見ると思う。

プーチンのウクライナ侵攻の理由は、野望よりも不信や恐怖の方が大きいのではないかと、「プーチン大統領演説要旨」を読んで思った。

ウクライナ侵攻に踏み切った理由は、プーチン個人の考え方、恐らくはチェチェンやクリミア半島併合の成功体験が大きいのではと思う。
ただ根底にある「西側世界への猜疑と不信」「NATOの東方拡大の恐怖」は、ロシア国内でそこまで極端ではない(特にプーチンと同じ世代の人の中では)価値観なのかもしれない。

驚いたことにゴルバチョフ氏は「クリミア住民がロシアを選んだのだから、その正当性は一概に否定できない」と語った。
「当時、NATOの東方不拡大について文書で約束しなかったことを悔やんでいる」とも話した。
欧米との関係改善を図り、冷戦を終わらせた立役者である彼ですら、そのような考えを持っていたのである。

(引用元:2022年2月26日読売新聞朝刊14面「視点」亀山郁夫/太字は引用者)

実際にクリミア併合については、ロシア国内でも支持する人が多く、「クリミアはロシア領」という考えも珍しくないようだ。

そう考えると「ロシアの親世代はなぜプーチンを支持するのか」についても、「情報統制されていて国営テレビしか見ないから」という理由だけではなく、ロシアという国でロシアの人間として生きてきた人の考え方や価値観を知ることでもっと別の事情が見えてくるのでは思うのだ。
身近にいる自分たちの子供は、プーチンに対して疑問を感じ、戦争に反対しているのに(情報は身近な信頼できる人間から入ってきているのに)それでもプーチンを支持するのは何故なのか。

反戦を訴える自分たちの子供がプーチンから「裏切者、クズ」と言われても、子世代の言葉を受け入れず、プーチンを支持するのは何故なのか。
ということは、聞いてみたい。親世代の多くがそうであるということは、ロシアの中で世代間で価値観がだいぶ違う、それは情報統制を影響もあるかもしれないが、同じくらい歴史が深く関わっているのではないかと思う。

国家が巨大な権力を持つ時代が長く、それが当たり前だという意識が強いのか。
プーチン体制が壊れて、自分たちにとってもっと厄介な体制になってしまう、もしくは国家が維持出来ないような混乱が起こることを恐れているのか。
西側諸国への猜疑や不信、反発が強く、それに対抗出来る政府でなければ困ると思っているのか。

「米国の軍事力に守られて、国が崩壊するかもしれないという危機を味わったことがない人間にはわからない」と言われればそうかもしれない。

ただロシアの子世代の人たちは話を聞いても比較的、感覚が近く感じるので、ロシアの人たちが自由に指導者を選べれば、少なくともいきなり侵攻したり、国内を強硬に弾圧するようなリーダーは選ばれないのではないか。
「強い軍部こそがロシアという国のアイデンティティ」だとしても、その価値観は徐々に共有されなくなり、プーチン後に米欧と宥和的、まではいかなくとも比較的穏当なリーダーが出てくる可能性も十分あるのでは、と期待してしまう。

2022年3月31日(木)の読売新聞朝刊「論壇キーワード」に、国際政治学が専門の東大教授鈴木一人氏が寄稿していた。

制裁は(略)戦争を続けることが難しくさせることが目的である。
その結果として、もう戦争がつづけられなくなるか、もしくは国家経済が破綻しても戦争を続けるかはプーチン大統領の判断次第である。
また、ロシア国民の生活を苦しくすることで、政権交代を求めるか、弾圧を恐れて政権を維持するかはロシア国民が決めることである。

(2022年3月31日(木)読売新聞朝刊「論壇キーワード」/
鈴木一人)

色々な意味で厳しい言葉だと思うけれど、その通りだとも思う。
先日バイデン大統領が、プーチンに対して「権力の座にいてはいけない」と言及して批判された。
気持ちは凄くよく分かるし、自分もプーチンが失脚することでこの戦争が終わるならとよく考えたが、それも含めて決めるのはロシア国民だ。
その前提を無視してしまっては、プーチンがウクライナに対して行ったことと同じになってしまう。

こうやって、ロシアで生まれ育った人が何を考えているか、ロシアという国はどういう構造になっていて、それはなぜそうなったのかなど色々と考えると、この国について何も知らないなと思う。
他の国についてももちろんそうだけれど、現在はそのよく知らない国の状況が、自分たちの日常生活に直接的に多大な影響を与え、今後も与え続けていく。ウクライナの人たちも大変な思いをしている。
クーデターの憶測が出ているがそれは本当に物事をいい方向へ展開させるのか、それとも事態は変化しない、むしろより悪化することもありうるのか、それを考えるとっかかりもない。

プーチンが失脚しても、代わりにもっと強権的な人間がとって代わるのでは意味がない。
どうなんだろう、ほんと。

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