BL小説における女性キャラの、存在の耐えらない軽さ。


*タイトル通りの内容です。苦手な人は回避するようお願いします。

最初に断っておくと、主に自分が読んだ同じ作者さんの商業BL二作品「てけてけぽん!(仮称)」と「みらくるくる(仮称)」についての話だ。
「BL小説」は主語デカすぎである。(すみません)

ただ、自分が読んだBLは、他の作家さんの作品でもこういう傾向があったので、一応「BL小説の女性キャラについて自分が感じたこと」として話したい。


元々、恋愛ものは異性愛のものにしか興味がなかったのだが、最近同性愛(BL、百合)にも興味を持つようになった。

BLに興味を持つようになったのは、奥泉光の「滝」の影響が大きいのでは、と自分では思っている。

*色々な要素が詰め込まれた傑作なのだが、BL小説としても読める。松尾のせいで男の娘にも目覚めてしまった。どうしてくれるんだ。


というわけで、最近BL小説を読み始めたのだが、読んだ作品の女性キャラの扱いがどうも気になる。

扱いがひどい、というわけではない。
扱いは、ヒロイン(男)のほうがよほどひどい。こんなにひどくていいのかと思うくらい、境遇も運命もひどい。

バランスが悪いのでチョイ役として出しているだけ、というのとも違う。
重要な役どころを担っているし出番もそれなりにある。

ステレオタイプ、テンプレ的というのとも違う。
キャラとしての特性は、それなりに描きこまれている、心情もちゃんとわかる、どういう人間なのかも伝わってくる。

だが……読んでいて、そのキャラに何ひとつ興味が持てない。
大げさに言えば「魂が入っていない」。
「好きです」と告白しようが、「憎んでいます」と怨嗟を叫ぼうが、「もうおやめください」と涙ながらに訴えようが、物語内の他キャラに何の影響も感銘も与えられていないことが明白なのだ。

その物語の中の世界では生きていない人のように思える。どこか別次元で叫んでいて、だから他の登場人物に何の影響も与えられないのではないかと感じてしまう。
主要男性キャラが全員すさまじい存在感を放っているので、余計に落差が目立つ。

女性キャラが主要男性キャラに強い関わりを持っても(例えば「一生、恨みます」と言っていても)三行後には忘れてしまう。それくらい言葉にも行動にも重みがない。
実際に女性キャラの「一生の恨み」は、物語に何の影響も与えない。

正確には展開には影響を与えるのだが、その感情自体が何かを引き起こしている感じがしない。

自分が読んだ感じ方だと、

その女性キャラが一生恨んでいるから→物語の展開が引き起こされた(普通はこちら)
ではなく、
物語の展開をこうしたいから→その女性キャラは主要男性キャラを恨んでいる。

つまり「その女性キャラが主要男性キャラを恨んでいること」自体は、物語としてまったく重要ではない。
三行後に忘れても、何の支障もなく読める。

不思議なのは、興味がないなら出さなけれないいのでは(男キャラに代替するとか)、もしくは興味がないのだから描くのが苦痛なのではないのか、と思うのだが、出番はしっかりある。意外と出てくる。

例えば「てけてけポン!(仮称)」は、NTR要素があるのだが、最初は女性キャラが寝取り役だ。
ヒロイン(男)を一応寝取る。(関係を持つ)
しかし本当にただ「関係を持つ」(という事務的な語感がしっくりくる。)だけで、ヒロイン(男)の心境にもその恋人の心境にも何ひとつ影響を与えない。
驚くくらいに影響力がないのだ。

その後、第二の寝取り役として、この女性キャラの父親(!)が登場する。
父親にはヒロイン(男)はなびくし、恋人も意識して嫉妬する。

女性キャラ……娘はただでさえ存在感が薄いのに、寝取り役として父親と比較されるので、さらに存在が小さく見える。
恋心を叫んだり、ヒロインに対して嫉妬や加虐的な欲望を燃やしたりそれなりに頑張っている(?)のだが、まったく存在感が発揮されない。
読んでいて「この人は一体、何のためにこの世界(物語)に存在しているのだろう?」という哲学的な疑問すら湧いてくる。

「てけてけぽん!(仮称)」と「みらくるくる(仮称)」の女性キャラはほぼ全員、どの感情もこういう造りになっている。
こんな不思議なキャラ設定は初めてだ。
この事象はどういうことなのか考えてしまう。

読んでみて感じたのは、「同性愛」それ自体がテーマであるというより、ある特定の属性をはじくことによって生じる世界の閉じ具合……「どこにも行けなさ」「とどまり具合」が重要なのかなと思った。

ちょっと穿った見方をすると、「(例えば妊娠出産などの)結果が生じる可能性がないゆえに、性行為にその瞬間だけの意味しかないこと」がポイントなのではないか。

あとは「ひとつの属性(この場合は男)しか存在しないこと」が重要なのではなく、「他の属性が存在(影響力や干渉力)を失うこと」がより重要なのかなと思った。

・その瞬間だけしか意味がない。(その瞬間以外の意味を排除する)
・関係のないものの存在感(影響力、干渉力)をなくす

ことが、世界観を際立たせるための手法になっているのでは、と感じた。

「何かを排除することによって、純粋で極端な世界観が出来上がる」
というのは一般論として、そうだなと思う。

「てけてけぽん!(仮)」も「みらくるくる(仮)」も(話はドロドロだが)世界観とヒロイン(男)がとてつもなく美しいのは、様々なものを極限まで切り詰めているからなのかもしれない。

その中で最も存在が消えているのが「女性」であるところが、なかなか業が深いと思う。

ということが、BLの素養がまったくない自分が読み始めて感じたことだ。

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