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【「葬送のフリーレン」キャラ語り】「黄金郷のマハト」は、「自分が凄く好きなことにまったく才能がない人」だから共感してしまうのだ。

*既刊11巻までのネタバレが含まれます。未読のかたはご注意ください。

(これまでのあらすじ)

 これまでブログやnoteで、「葬送のフリーレン」は主要キャラは人間関係の機微を察知し対応する能力が異様に高く、その能力を標準としてコミュニケーションをとっている。
 そしてそういうハイレベルなコミュケーションを行うキャラの内面は直接的にはほとんど描写されない。そのため、その内面もそこから派生するストーリーのコンテクストも読み手が率先して読み取りにいかなければならない作りをしている、という話をした。

 ブログの記事で書いたが、第29話「理想の大人」の会話で、なぜザインが「フェルンは自分に相談しに来た」とわかったのか、あの会話で「ザインがフェルンの相談にのっていること」になるかが自分にはわからない。
 しかし「葬送のフリーレン」では、あの描写で「フェルンがザインに相談しに来て、ザインは大人としてきちんと相談にのった」という前提を、全キャラが当たり前のように共有している。

 物語であれば何回か読み返してゆっくり考える時間があるのでまだしもわかるが、自分がこの話の登場人物だったらキャラたちのコミュニケーションにまったくついていけないと思う。(*人間関係やコミュケーションを難しさのひとつは、リアルタイムで進行するからということもある。何でも一緒だが、プレイすることと解説することはまったく違う)
 自分が少しかじった分野でも、専門家(プロ)同士が全力で話したら何を話しているか、何をしているかよくわからないみたいなことがあるが、自分が「葬送のフリーレン」のキャラのやり取りを見る時の感覚はそれが近い。
 

 自分がそういう感覚を持って「葬送のフリーレン」を読んでいたと気付いたのは、10巻を読んだ時だ。
 10巻で初めて「自分と同じくらいのレベルだ」と思うキャラが出てきたからだ。

(引用元:「葬送のフリーレン」11巻 山田鐘人/アベツカサ 小学館)

「黄金郷のマハト」である。

「葬送のフリーレン」では、魔族はまったく人間の倫理の感覚を持ち合わせていない。「魔族と人間はまったく別種の存在であること」が作内ルールになっている。
 実際魔族は、「なぜその状況ではその言葉を発するのか」という背景や理路などの(それこそ)コンテクストは理解せずに、ただ人間を観察した経験則からその言葉を発する(殺されそうになったら「お母さん」と呟けば良い、など)
 マハトは、人同士のコミュニケーションにおいて機能しているコンテクストを理解したいと望んだ、魔王以外では唯一の魔族だった。

 マハトは七崩賢の一人である強大な力を持つ魔族である。
 だからこそ「コミュニケーションのコンテクストを理解する」という分野においては、才能がゼロなのだ。これは作内ルールでそう決まっており、何度も「魔族と人間が理解しあうことはない」と繰り返されている。

 だがマハトは、才能ゼロの地点から涙ぐましい努力をする。(その努力はフリーレンが指摘した通り、人間にとっては大迷惑である)
 観察と推論の力を駆使して、「何十年と付き合った親しい人間が相手ならば、失った時の悲しみや殺した時の罪悪感がわくのではないか」という仮説にたどり着く。

 自分は魔族ではないので、マハトのやったこと自体には嫌悪は抱く。だがそれとはまったく別の次元で、マハトの視点や感じていることが、少なくとも他の主要キャラたちよりは遥かに実感しやすかった。

「葬送のフリーレン」は、原作ももちろん素晴らしいけれど、作画のアベツカサ先生の力も凄い。
「葬送のフリーレン」が物語として成立するのは、言葉による表現が抑制されていても、作画で登場人物の内面を読み取ることができるからだ。

(引用元:「葬送のフリーレン」10巻 山田鐘人/アベツカサ 小学館)

 マハトのこの表情を見ると、「人間の感情の機微を読み取りたいけれどどれだけやってもわからず、人生がつまらないのだろう」と伝わってくる。
 やってもやってもわからない、何がわからないのかすらもはやわからないと思っているのではないか。

(引用元:「葬送のフリーレン」10巻 山田鐘人/アベツカサ 小学館)

 シュラハトとの会話を見ても「もう構わないで欲しい」という嫌気と諦念が痛いほど伝わってくる。

(引用元:「葬送のフリーレン」10巻 山田鐘人/アベツカサ 小学館)

 これも普通であれば、よくある「悪役の煽り」だ。
 だけどマハトはこれが本心なのだ。
 本当につまらないし、本当に答えて(わかって)欲しいのだ。
 こんなことをして何が面白いのかよくわからない。つまらないから嫌いなのだ。

 グリュックと出会ったあとのマハトは、嫌気と諦念に満ちたつまらそうなころが嘘のようだ。

(引用元:「葬送のフリーレン」10巻 山田鐘人/アベツカサ 小学館)
(引用元:「葬送のフリーレン」10巻 山田鐘人/アベツカサ 小学館)

「楽しいか?」「下らないことに俺を巻き込むな」と言っていた時とまったく違う。
 本当に楽しくてたまらないんだろうと伝わってくる。

(引用元:「葬送のフリーレン」10巻 山田鐘人/アベツカサ 小学館)

 このシーン見たとき、鼻水をふきそうになった。
 すごく得意そうだなと思ったのだ。
 得意満面、鼻高々で「言っただろ、ほーら、言っただろ。わかっていたから。俺はわかっていたから!」と地獄のミサワのごとく内心で連呼しているんだろうと想像してしまう。

 この場面でグリュックが「覚えていないな」と言った理由は、いくつか想像できる。
①マハトが得意そうなので負け惜しみ。
②他人であるマハトと違って、実の娘の恋愛感情に父親であるグリュックは感じづらい、もしくはわざとセンサーを鈍らせている可能性もある。
③十年以上前のちょっとした会話など本当に覚えていない。
④そもそもこの場面で重要なのは、デンケンとレクテューレが結婚するという結果であり、レクテューレが子供のころからデンケンを好きだったかどうかをこの場で追及することは、グリュックとマハトにとっては意味がない。

 こういう要素をくみ取りつつ、相手(グリュック)の認識を想像して「この場で言うほどのことでもないな」と思うことが人間関係の機微を読み取るということだ。
「あの時(十年以上前)、私が言ったことは間違っていませんでしたね」など得意満面でグリュックに言ってしまう時点で、未だにマハトは人間の心の機微について何もわかっていない。

 自分はこういうことを人生で何度もやらかしているので(リアタイでやらかして、後で気付くのでマハトとは違う。←プライド)読んだ瞬間に「違う、マハト、そういうことじゃない」とツッコミたくなった。
 このあとの特大級のやらかしについては言わずもがなである……。(あのシーンは読み返すのがキツい)

 マハトは魔族であり、魔族はグリュックが指摘している通り「人間関係の立ち回りが異常に上手い」。
 経験則で一般化できること、表面上の人間関係はそつなくこなせる。
 だが法則に従ってこなしているだけなので、個々の文脈はわかっていない。だから少しひねられたり突っ込んだ状況になると応用がまるで効かない。
 そういう状況が異様なほどリアルに描かれている。

 この状況が残酷なのは、マハト自身は「自分が出来ている」と思っているところだ。
 やっとわかってきた。
 そう思っている。だからグリュックがいう「何だ? その顔は」になっているのだ。
 自分がマハトに共感するのは、「人間関係のコンテクストを理解できない」ということに対してある程度苦労した思いがある上に「自分が好きで真剣にやっていることにおいて、才能がまったくないと感じた経験」があるからだ。
 マハトが何かやらかしたり筋違いのことを喋るたびに、死んだ魚の目になる。

 マハトとグリュックの関係は、本人たちが認識している通り、お互いを利用し合うろくでもない関係だ。
 グリュックがマハトを利用しているから、人間関係におけるマハトの頓珍漢さをグリュックが一方的に受け入れていても公平だと言える。

 それがなければ、マハトの存在はグリュックにとって迷惑でしかない。
 レクテューレが死んだ時のように、何気ない一言でも人間は致命的に傷つくことがある。

(引用元:「葬送のフリーレン」10巻 山田鐘人/アベツカサ 小学館)

「わかり合うこと」は素晴らしいことだから、わからなければわかるまで、何度でもどのようにでも試していい。
 そういうものではない。   
 人間関係は相手がいるからだ。
「相手がいることだから」という前提が呑み込めていない時点で、「これだけ繰り返しても何もわかっていない」と言われても仕方がない。

 マハトには「相手がいることだから」の「相手」がわからない。
 物体として存在することは分かっても、「その人が成立している条件である内面のコンテクスト」が読み取れないのだから「他人」として存在していない。
 だから「相手がいることだから」という前提がいつまでたっても呑み込めない。
 無限ループである。

 ヴァイゼごとグリュックを黄金に変えても、弟子であるデンケンと殺し合っても何もわからない。
「人間関係の機微を理解する」地点に到達する見込みがゼロなのに、迷惑のかけ方が尋常ではない。
 人間同士ならそれでもお互いに共生していくしかないが、マハトは魔族である。
「いい加減しろ」
 フリーレンの言葉は、全人類の叫びである。

 ひたすら人類に迷惑をかけまくった揚げ句、マハトは最後の最後で自分を知る。

(引用元:「葬送のフリーレン」11巻 山田鐘人/アベツカサ 小学館)

 マハトが知ったことは「自分は魔族である」ということだ。
 自分は他の魔族とは違うと思っていた。他の魔族が興味を持たないようなことに興味を持ち、他の魔族が重んじることに興味がない。
 そう思っていたが、自分も結局は魔族だった。

 この瞬間に、マハトは自然と「今まで『自分が何もわかっていなかったこと』がわかった」のではないか。
 自分は魔族である。だから最初から人間のことなどわかりようがなかったことが、ようやくわかった。
 そして「自分は魔族で最初から人間のことなどわかりようがなかったこと」を理解した瞬間に、「グリュックも自分と一緒に過ごして本当に楽しいと思っていたこと」……グリュックの認識を理解したんだと思う。

 もっと言うと、自分がグリュックの認識を初めから理解していたことに突然気付いたのだと思う。
 だからグリュックに「あの言葉は私の本心だった」と言われて「存じておりました」ではなく、「存じております」と答えたのだ。

「支配の石環」がマハトの死に機能したかどうかについては、色々な読み方が出来ると思うが(それがまた凄い)、自分はマハトは「悪意」を理解したけれどグリュックには悪意は抱けずデンケンの魔法によって止めをさされたと思っている。

 マハトとグリュックの最後の会話は何度読んでも泣く。
 マハトは人類を大量に殺戮しているので、作内で何度も言及されている通り、報いを受けるのは当然だ。
 だが同時にこれも作内で言われている通り、「本当に人間の感情を理解したい」と思っていた。それが好きだという気持ち、本当に知りたい、理解したいと思う気持ちは嘘偽りなく、真剣に試行錯誤していた。
 才能がゼロで周りにとっては迷惑以外の何物でもないにしても。

(引用元:「葬送のフリーレン」11巻 山田鐘人/アベツカサ 小学館)

 マハトのその興味に付き合い続けたグリュックは「自分もマハトとの交流が楽しかった」と思っていた。一方的に迷惑をかけるだけじゃない、対等の関係が築けていたのだ。
 求めていたものは最初から知っていた。

 マハト編を読んで自分も初めて、「自分の人間関係を察知して対応する能力」は作内ではマハトにちょっと毛が生えたレベルだと客観視できた。
 その視点で「葬送のフリーレン」を読んで「凄い話だな」と改めて感じ入ることが出来たのだ。


◆余談

(引用元:「葬送のフリーレン」1巻 山田鐘人/アベツカサ 小学館)

 これ、何十年一緒にいてもわかる気がしないのだが……。「今日の気分」って……ナニ。
 フェルンと一緒に旅をしたら、一日で嫌われて、三日で脳内から存在を抹消される自信がある。

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