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「私説三国志 天の華・地の風」感想5 孔明の中身が入れ替わっていて、「お前、誰だよ」と思う。

「私説三国志 天の華・地の風」の7巻まで読んだ感想。

5巻の南蛮行編は「プリンセス孔明」による主人公教になっていて、読むのを止めようかと思ったが、4巻までの面白さを信じて読み続けてみた。

6巻からは孔明の終盤までのライバル・司馬懿と最後の弟子・姜維が出てきて、北伐が開始される。

続けて読んで良かった……と思うくらい滅茶苦茶面白い。
ただ……。

孔明の中身が入れ替わっていないか???


急にどうした?

これまでさんざん冷酷、打算的、人の気持ちを操る悪辣な悪魔、自分が倒すべき強い人間だけを求めていて、弱い人間は例え身内でも興味の対象にならない、利用するだけと言ってきた。

実際、弟の諸葛均は(裏切っていたから報復は当然とはいえ)その家族が殺されるのも構わず利用しつくしたし、一度は見捨てた棐妹を自分への好意を利用して、孟獲への間者にした。棐妹は孔明に見捨てられて舌を抜かれて一年間監禁され、今度は指を全部ひきちぎられた。

孔明も暗い過去があるから食うか食われるかの人間観になるのは仕方ないし、そもそも戦国の世は孔明に限らず皆、非情だ。(魏延なんて自分が孔明にしたことを忘れて?、孔明が棐妹にしたことを責めている。ビビる)

それなのに孔明だけが「孤独で冷酷、それなのにみんな惹かれてしまう」と崇められるところ、しかも少し不本意な目に遭うと(劉備が龐統に夢中になるなど)「孔明可哀想」という雰囲気になるところが、主人公教ここに極まれりと思っていた。

「天華」の孔明は、関羽も張飛も劉備も劉封も龐統も謀略で殺している。

孔明が蜀の主要人物を皆殺しにする展開自体は、斬新で面白い。
自分を力で抑えつけるもの、縛りつけるものを潜在的に憎んでいて、自分の力を思う存分発揮したいという欲求を抑えられなくなった。

その解釈自体は面白いのに、いちいち受け身姿勢で被害者面されると苛立つ。

ストーリー自体は面白いのだが、どの登場人物も自分の所業は忘れて、何かされると被害者ポジを取りたがるところだけがどうも合わない。

そう思っていたが、6巻からいきなりそういう面が少なくなった。

自分と境遇が似ている汝秀を必ず守ろうと思ったり、不始末をしでかした養子の諸葛喬の様子を見守るよう趙雲に頼んだり、家に引き取った朝薫と仲良く親子をしたり、姜維には自分が死んだらもう自分のことは忘れろと言ったり、姜維をひいきしすぎている自分に気付いてその埋め合わせとして馬謖を用いるという判断の誤りを犯したりする。

自分を慕う棐妹をわざと冷たくあしらって龐統暗殺に走らせたり、諸葛均に妻子は死んだと言って蜀にずっといさせたり、劉封に関羽が悪口を言っていたことをばらして関羽と劉封を死に追いやった孔明は、どこに行ったんだ?

お前誰だ?感が半端ない。
年をとって丸くなったのか? それにしても変わりすぎだろう。

孔明もそうだが、魏延、お前もどうしたんだよ。

「丞相はなにもお判りになっていない。その頭のなかはご自分のことでいっぱい。それがしのことも、ほかの誰のことも、お考えになろうとしない。いつも……いつでも、ご自分の気がすめば満足なのだ。この世に、ご自分にかかわりがないことなど起こらぬと思っておいでなのだ。……反吐が出る。もう飽き飽きだ!」

(引用元:「私説三国志 天の華・地の風7」 江森備 復刊ドットコム/太字は引用者)

なに突然、「お前のことが大好きなのに、何で俺のことをわかってくれないんだ。わかってくれよ、俺のこと」みたいなことを言い出しているんだ?

何で誰も孔明の「プリンセスぶり」に突っ込まないのかな、とはずっと思っていたが、よりにもよって魏延がこんな形で突っ込むとは思わなかった。

この二人はいつの間にか「お互い素直になれないところもあるが、長年連れ添ってきた愛し合う夫婦」みたいな雰囲気を醸し出しているが、魏延が孔明の弱みを握って脅して関係が始まったんだよな?

孔明も法正派の中に内通者が欲しいからその要求を呑んだ。
そこから、表向きは関係性は変わっていないはずだよな?

関係が続くうちに内面が変化していることは分かっているけれど、いくら何でも「表向きの設定」と元々の性格をスルーしすぎではないだろうか?

しきりに魏延について「穏やかな街に五年も住んだから性格が変わった」とか「年をとった」とか言っているが、それくらいで口封じに利用し終えた燕郎をいきなり殺す性格がここまで変わるとは思えないけどな。

自分の記憶がおかしいのか、と混乱してしまう。


こちらの設定のほうが好きなので、六巻から始まったと思うことにしよう。

と、まあ五巻からの続きと考えると、頭の中が「?????」となるのだが、六巻からこの話は始まっていると思えば特に不満なくとても面白い。

子供のころに人としての尊厳を粉々に砕かれることで植え付けられた恐怖からくる、無価値感と無力感に苦しめられている。
正しくないとわかっていることを時にはしても、幼いころに自分の尊厳を踏みにじったものに抗い、自分の能力や存在を証明するために権勢を握り戦い続ける孔明。

過去の経験から、孔明は自分を苛み壊し罰する行為しか愛と感じられない、だから自分を苛む行為をする者としてのみ孔明から必要とされていることは分かっているが、愛しているからそういう存在として側にいる。
それを認めるほどは素直になれない魏延。

六巻以降はだいたいこういう人物像と関係性でまとまっている。これだったらまったく文句なく楽しんで読める。

魏延の孔明に対する反抗的な態度も、「天華」では、長年の恋人同士の遠慮のない言動と馴れ合いの雰囲気がたまに漏れ出てしまい、それを二人がそういう関係にあると夢にも思わない周りが、「魏延の増長」「孔明に対する悪感情」と取る、というつなげ方も上手い。


孔明の過去の描写がキツイ。

董卓の孔明に対する虐待の内容も出てきたが……キツイな。

夢のなかの激痛と恐怖に、孔明は叫び声をあげ、その声の異様さに、己で驚き、目を覚ました。(略)
孔明は自分の顔に触れ、夜着に包まれた肩を抱き、その固い感触で、やっと、自分が、夢の中のおさなごではなく、現実の、五十歳を目前にした漢丞相であることを確かめた。

(引用元:「私説三国志 天の華・地の風6」 江森備 復刊ドットコム)

孔明が過去の悪夢から覚めて、「自分は今はあの時の無力な子供ではなく、もう五十歳になった蜀漢の丞相なのだ」と確認するシーンは、孔明に色々と思うところがある自分でさえ同情してしまった。

不信と猜疑心に凝り固まった人間観を持ち、加虐と自罰の両極端で揺れ続けるのも無理はない。
その傷が、四十年以上経ってもまったく癒えていないところが辛い。

こういう目に合って、自分という存在を価値のないものとして破壊された人間がどう生きていくか、それが自分の傷をそのままなぞるような「間違った」生き方だとしてもそれを描く、ことを期待してしまう。


孔明の能力は、将軍に向いていない説があったような。

「街亭の戦い」も演義だと山上に布陣した馬謖に対して、孔明がすぐに激怒するけれど、「天華」だと首を捻りながらも馬謖は何か策があってそうしたのだろうと信じている。

「空城の計」は司馬懿がやって来るのではなく、魏延が孔明の下へ来るために自分の「魏」の字と役職名の「司馬」の字を魏軍に勘違いさせるためにわざと押し立ててきた、など戦の展開も通説と違う部分があり面白い。

これまで丞相の挙げてこられた勝ち戦を並べてみられよ。(略)
すべて局地戦だ。
大軍を率いて、それを戦略によって動かす、国家の戦ではないのだ。(略)
大局にたった国家の戦は、戦術のみで勝てるものではない。
そういう、戦略の戦は、あの方の才を越えているのではないか。


(引用元:「私説三国志 天の華・地の風7」 江森備 復刊ドットコム/太字は引用者)

孔明は、軍師・戦略家としてよりも行政官や政治家としての能力に本領があった、という説は他でも読んだことがあるけれど、どこで読んだか思い出せない。

北伐がこの時点で蜀漢が取る方針としてどこまで妥当だったかは調べないと分からないけれど、単純に国力だけを考えるとちょっと無理がないかと思う。北伐にこだわって失敗したところを見ても、将軍としての才はそこまでなかったのかなと思える。

仮に「行政に本領があった」説が正しいとすると、蕭何が韓信の役割をしているようなものなのか。
それは上手くいかないだろうな。


何だかんだ言っても面白くて、先が楽しみだ。

「人には、一人に一つ、その者を生涯にわたって守護する星がある。天に一星あれば、地に一人あり。そのようにして、天地は対応している。だがまれに……二人の人間が、一つの星を共有することがある。それを星の双子という」

(引用元:「私説三国志 天の華・地の風7」 江森備 復刊ドットコム/太字は引用者)

タイトルを回収するこの話が出てきたときは、背筋がゾワッとした。

思わず献帝と孔明の生年月日を調べてしまった。董卓が孔明を献帝の身代わりにしていたこと、孔明が自分を「生け贄」と言っていることを考え合わせると、この先の展開が楽しみだ。

徐庶の正体はあの人っぽいし、どうなるのか期待が高まる。


八巻も半分読み終えたが面白い。
六巻以降は濡れ場が少なくなって読みやすい。単体なら「エロくていいね」と思うけど、特に六巻以降は他の部分と比べると濃厚すぎてちょっと浮いて見えるので、少ないほうがいい。

小林さんの孔明は相変わらず美しいな。


読み終わったので全10巻の感想。


全10巻の感想の続き。「裏面」



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