#note限定
子供のころ「自分の正しさを声高に主張しながら、自分が興味がないことや都合が悪いことは前提をすり替えたり矮小化したりする大人の言動」に怒りを抱いていた。
最近「不適切にもほどがある」の批判記事が目につくようになったあと思ったら、名前を見たら両方同じ人が書いていた。 前者のFRAUの記事のタイトルは「視聴を脱落する若者がいる理由」となっており、その根拠としてこういうことをあげている。 「そうなのか」と思って少し調べてみたら、 目が点になった。 「FURAU」の記事は2月23日付、デイリー新潮のほうが3月8日付の記事だ。 「自分の観測範囲=社会」と思ってそれを「正しい根拠」にして「社会としての意見」として発信する人は