見出し画像

「Santa Maria」の感想

 以下の文章は全て個人的な見解です。権利者の方々による指摘や、個人的な気付きによって、予告なく変更・削除する可能性があります。
 また、視界が狭い人間なので、色々とご指摘いただければ幸いです。


無題


◆0.前提

2人プレイ

標準ルールのみ。



◆1.概要

ゲームの流れ
 各プレイヤーが手番を順番に行っていき、資源がなくなるか、それ以上アクションをしたくなくなったらハードパスをするというタイプの構造だ。

 アクションはパスを除くと3種類存在する。

 一つは、タイルを獲得することだ。コストを支払うことによって、自分の手元のボードにタイルを配置することができる。タイルには、資源を生産したり、各トラックを上昇したりする効果があり、建物の役割を担っている。

 一つは、ダイスを使ってタイルの効果を発揮することだ。手元のタイルを配置するボードは、6×6のマスになっており、上部には白ダイスで1~6が、左部には青ダイスで1~6のアイコンが書かれている。それらに対応したダイスを使用することによって、その列か行のマスの効果が続けて発動することになる。白ダイスはプレイヤー共通で振られ、早取りとなるため、ここの駆け引きがある。また、金銭の支払いで、出目を動かすことができる。

 一つは、金銭を支払うことで、マス一つの効果を発揮することだ。これでマスの効果を発動すると、そのラウンドではもう起動することはなくなってしまう他、回数を増すごとにコストが上昇していく。

 こういうことをやっていき、3ラウンドが経過するとゲームが終了になり、勝利点が最も高いプレイヤーが勝つ。

 マスの効果や、トラックを上げることによるボーナスの効果などのルールや効果はあるが、基本的にはシンプルで、どこかでみたことのあるメカニクスを多く使っているため、とっつきやすい。



◆2.考察

ダイスの用いたアクションの実装
 ダイス・ワーカープレイスメントというメカニクスがあるように、ダイスを使用したアクションの実装はそれなりに多い。それらと比較することで、本作の特徴を見ていきたい。なお、ダイスをランタマイザとして使用しているゲームに限り、表示装置として使用している場合は除く。


 まず、ダイス目の扱いについて考える。筆者はダイス目の扱いには、大きく分けて3種類のものが存在すると考えている。ゲームによっては、これらを組み合わせて使用されている。

 第一に、上下。高い出目か低い出目か、どちらが優勢というのはゲームによって異なるが、ある出目より、それより高い/低い出目の方が単純に良いというものだ。出目の数が高いほどアクションが強くなったり、選択肢が増えたり、という形だ。単純であるが、それゆえにゲーム的な深みを生み出しにくく、工夫がいる。「ロレンツォ・イル・マニーフィコ」など。

 第二に、隣接。本作がこれに当たる。それぞれのダイス目に良し悪しは基本的になく、1の出目と、4の出目の違いは、1であるか4であるか、という違いでしかない。そういった同列の関係がありながら、何かしらのコストなどを支払うことによって、ダイス目を上下(あるいは反転)できる場合、これに該当する。各出目が隣接しているのだ。1と4の出目自体に差はないのだが、3との距離という違いがある。また、同時に1と6の目は循環しないというルールが付いていることが多い。これは、中央に近い値ほど、他の出目から近くなりやすく、極端な値ほど遠くなりやすい、ということを表現するためである。一般的に、これらの出目は競りにかけられることになるので、競争相手が多い中央か、競争相手は少ないがリスクがある端か、という住み分けが発生する。出目を循環させてしまうと、差が生じず、それこそただの運になってしまうため、基本的にはそのようなルールにならない。

 第三に、独立。各出目の効果が独立していて、目を操作することもできない。固有のダイスを使っていて、それぞれにアイコンが書かれているようなものもこれだ。単純なランダム性を表現するのに使用される。そのため、振り直しや出目のロック機構などと組み合わされることが多い。「グランドオーストリアホテル」など。


 「Rajas of Ganges」はアクションにダイスを使用するため、事実上のダイス・ワーカープレイスメントとしての側面があるが、上記の要素を上手く使用している。単純にコストとして払う場合には、大きい出目の方が良いが、大きすぎるとコストとして使用できない場所もあり、コストを支払うことで反転もでき、特定の出目のみで実行できる場所もある。



資源を使い切ってパス
 そのラウンドでは、大きな収入はなく、各アクションは必ず資源を消費するので、次第に資源がなくなり、最終的には皆がパスするまで実行する。そして、ラウンドの終わりに収入が入る。これを繰り返す。こういった構造はあらゆるゲームで見受けられ、固定手番でないゲームでは最も一般的な構造の一つと言ってもよいだろう。

 しかし、筆者個人としては、この構造にはいくつか問題があると感じる。


 最も大きいのは、上手くいっているプレイヤーがずっとアクションができてしまうという問題だ。この構造を取るゲームのほぼ全てが拡大再生産の要素を持ち、その投資が上手くいっているプレイヤーほど、資源が多く得られる。そして、その資源を使ってまた多くのアクションをする、という雪だるま式になりやすい。

 もちろん、多くのアクションをして、多くの資源を得られるからと言って勝利点への変換が上手くいかなければ、勝てるわけではない。しかし、他のプレイヤーがパスをして暇になっている中、上手くいっている(ようにみえる)プレイヤーだけが延々とアクションを行っているのを眺める、という構造があまり良い体験に結びつかないと感じる。新規参入者に優しくない。

 似たような点に、牛歩になりやすい、というものが挙げられる。他のプレイヤーがパスをした後なら、インタラクションを気にせずに好き勝手できるため、後にアクションをした方がその点で有利だ。もちろん、それを勘案して、早取りの要素があるのが一般的ではあるが、早取りになっているところだけをしっかりと抑えて、後はなるべく展開を遅くした方が有利になりやすい。ここでは詳しく述べないが、このような、ゲームの展開を否定する方向、遅くする方向にすると有利になる場合、ゲームを勝つためにプレイすると楽しくなくなる、という現象が発生しやすく、悪い印象が残りやすい。


 本作の場合、3ラウンドしかないため、これらの問題がそこまで大きく表れていないと感じる。事実上、10ラウンドもあるようなゲームだと、上記のような問題が発生しやすく、この構造を取ることは避けるべきだろう。

 また、これの発展系として、「マウンテンキング」や「タペストリー」などで採用されている個別決算/収入式がある。こちらの場合、プレイヤーが暇になる時間が少ない他、資源の使い切りパズルを残しながらも、ゲーム終了フラグに対する駆け引きも発生させることができるため、そちらを採用することを検討すると良いかもしれない。



◆関連記事


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?