「オリハルコン」の感想
以下の文章は全て個人的な見解です。権利者の方々による指摘や、個人的な気付きによって、予告なく変更・削除する可能性があります。
また、視界が狭い人間なので、色々とご指摘いただければ幸いです。
前提
2人プレイのみ。
感想
タイル配置+アクションのレースゲーム
タイル配置をした後、関連したアクションを行う、ということを繰り返し、最終的に一定の勝利点を得ることを目指すゲームだ。
レースゲームというのは、別にレーシングをしているというわけではなく、一定の勝利点を早く取ることを目指すゲームである、ということだ。一定のラウンドをプレイした後、その勝利点を比べるのではなく、一定の勝利点を確保した時点で、そのプレイヤーが勝者となり、ゲームが終了する。つまり、「カタン」などと同じ形式になっている。
プレイの仕方は比較的シンプルで、各プレイヤーは共通の場にあるアクションカードのうち、1つを選択する。アクションカードの部分はダッチオークション式になっていて、捲れてすぐのカードを選ぶには、追加のコストがかかるようになっている。
各カードには、ヘクスタイル(厳密には、コンポーネント的には円状のタイルなのだが、ボード上のタイルを置く枠はヘクス的な配置になっているため、ゲーム数理的にはヘクスタイルと言える)を置く場所と、アクションが書かれている。
この選んだタイルを自身のボードに配置して、その後でアクションの方を行う、ということを繰り返していく。
ヘクスタイルは、1~3個の直線的なマスの連なりを持っていて、カードによって何マス分のタイルがそこに置かれるのかが決められる。
また、マスには、5種類の色が書かれており、4種類は通常の色だが、1種類だけワイルドが存在する。ただし、ワイルドには怪物が付いてきており、この怪物がいると、その周辺のマスに建物を建てられない他、勝利点を一定以上貯めても、勝利できなくなる、という効果がある。
通常の4色のうちの、どれか3つを連続して配置できれば、それに対応した神のタイルを得ることができる。これは、一度限りで特殊効果が使える(大抵、通常のアクションの効果を倍にする能力)他、1勝利点にもなる。ただし、基本的には1プレイヤーは1つの神しか所有できない他、他のプレイヤーが同じ条件を満たすと、その神はそちらに行ってしまう。これが「カタン」における街路や騎士のボーナスに近い役割を持つ、という感じだ。
アクションに関しては、タイルに応じてリソースを産出したり、上述の怪物を倒したり、タイルの上に建物を建てたり、リソースを消費して勝利点を得たりすることができる。
特に異なる4種類のマスが一定のパターンで配置されていた時に建てられる神殿は1勝利点を齎すことになるので重要だ。(また、神の条件と相反するように設計されている)
また、1ターンに(基本的には)一度のみ、リソースを(基本的には)2個消費することで、追加のアクションをすることができる。
この配置+アクション(+アクション)を繰り返していき、各プレイヤーが完了すると、ラウンドが終了する。
これを繰り返し、前述の通り、一定の勝利点を得て、そのボードに怪物がいなければ、そのプレイヤーが即時勝利する。
怪物確保のダイスの仕様
怪物を確保すると、それぞれに設定された利益を得ることができるし、その確保したタイル自体を追加アクションのリソースにすることができる。合わせて、勝利条件の一つでもあるし、そのマス目はワイルドになるため、神殿の建設にも繋がりやすい。重要な要素の一つだ。
そして、怪物を確保するためには、ダイスを振り、その目の合計が怪物に設定された数値以上になるのか、を試す。通常では1個で、特定のリソースを消費するごとに対応してダイスを増やすことができる。
このダイスは特殊なダイスで、1~5の目は通常と同じなのだが、6の目がドクロになっている。そして、その6の目さえ出れば、数値に関わらず、倒すことができるようになっているのだ。
いわば、TRPGやミニチュアゲームなどで採用されるクリティカルに近いメカニクスを持っている、ということになる。
これはいい仕様であるように感じた。
後々に少し詳細を語るが、本作はサドンデス的にゲームが終わるもので、いざ、ゲームが終了に近づいた時、何もできないと感じることもある。そんな時に、一縷の望みが残されているように思いやすい。
実際に自身がプレイした時も、ダイスの出目が良ければ相手が勝利する、というような状況になった。ある意味ではシビアなゲームではあるし、実力が拮抗した時には、このような状況になることも多いと考えられる。
このような時に、ランダム性によって、勝敗が決められてしまった、という感情になるかと言えば、あまりそうはならなかった。
強いランダム性と拡大再生産を取り入れた構造のゲームが稀によくあるが、この場合、筆者が問題だと思う一つの要因は、そのランダム性によって、自身がプレイするゲーム全体が支配されてしまう、ということだ。
それはもちろん、勝敗についてもそうだが、どのようなカードをプレイするのか、どのような戦略を取るのか、すらもランダム性によって決められ、自身が選択する裁量がなく、結果に辿り着いた、そのゲームの経過や結果は自身の選択によるものだった、という感覚が薄くなりがちだと感じる。
一方、ゲームによるやり取りを得て、最終的な結果がランダム性に(部分的に)委ねられるというのは、それまでのプレイを否定するものでもなく、むしろ、その確率を最大化するために選択を続けたわけであり、それがゲームの面白さを毀損していると、個人的には感じない。
ある程度不利なプレイヤーも、めちゃくちゃ運が良ければ勝利できるか、というように感じられる状況が残っている利益の方が大きいように思う。
サドンデス式勝利点
同じ勝利点というメカニクスとして扱われていることも多いが、『規定のラウンド数を終えて、その勝利点を比較する』ゲームと、本作のような『一定の勝利点を得ると、即座にゲームが終了し、そのプレイヤーが勝利する』ゲームにおける勝利点、というのは、数理的にその役割がかなり異なる。
前者の場合、それはある意味で、そのゲームにおけるプレイの評価点のようなものに近いものであり、そのアクションの効率や、リスクマネイジメントの精度を示しているものに近くなるだろう。
一方、後者の場合、それはゲームの勝敗そのものであって、それを一定以上獲得さえすれば、どのような状況になっていても関係がない。ゲームの焦点が集まるものだ。いわば、逆のライフ(体力)と言える。
もちろん、その中間はいくらでもある。一定以上の勝利点を獲得したプレイヤーがいる場合、全プレイヤーの手番が同じなるとか、ラウンドが終了するまでとかまでプレイし、その後、勝利点を比較する、というものもある。他にも、規定ラウンド数ではなく、別のゲーム終了条件によってゲームが終了するものもあるし、それらを複数組み合わせている場合もある。
つまり、勝利点の設計によって、このような軸(即効性・評価性とでも言えばよいのか?)が存在し、その中でそれぞれのゲームが分布している、というような状況なのだろう。本作の場合、サドンデス式勝利点を採用してはいるが、怪物の有無という条件があるので、ほんの少しだけ評価性によっている、という感じだろうか。
個人的には、サドンデス式勝利点はかなり好きだ(『体力』というメカニクスが好きなことからもわかっていただけるだろうが)。
やはり、ゲームに一定の緊張感、テンションが齎される、という点は大きいと思うし、その一線を超えることさえできれば、ゲームに問答無用で勝利できる、という点は、駆け引きや選択に大きな影響を齎す。
特に、その場、その状況の問題における判断を問われやすい、と感じる。定石を最後まで貫きとおすことが難しくなるのだ。その瞬間、相手がその一線を超えれば負け、自身が超えれば勝利できるのだから。ゲームに対する選択の影響が鋭敏になりやすい、と考えられるだろう。
当然ながら、ゲームのプレイ感や、構造に強い影響を及ぼし、相性の良い悪いメカニクスが存在する。そのゲームに適した塩梅の採用が求められる。
ダブルアクションの実装
本作で、さらに選択による影響を鋭敏にしているのは、このダブルアクションの実装だ。
リソースを消費するが、2回アクションを行うことができるというものでサドンデス式勝利点と相まって、勝利を仕掛けるタイミングを考える必要が生まれ、その駆け引きがゲームを引き締めているように感じた。
タイル配置というメカニクスは、どちらかというとのんびりしているというか、緩急が付きにくく、ある程度一定であり、その選択の影響が(配置されたタイルという形で)ずっと残り続ける、というメカニクスであるが、これにこのような鋭敏なメカニクスが組み合わさることによって、急にゲームが終わりかねない、というような緊張感がある。
タイルをちまちまと配置していったら、気付いたらもう1~2手番で勝てるかも、というような状況まで行き、一気に詰みのモードとなって、各プレイヤーがアクションを選択していく様は面白い。
また、ラウンドが終わるたびに特定のリソースの多寡でスタートプレイヤーを移譲する関係で、(特に少人数プレイでは)ダブルターンが生まれる可能性もある。こうなると一気に4アクションプレイする可能性もあるわけであって、後半の詰め感を高めているように思う。
2人プレイの際の遊びやすさ
ただ、個人的には、2人プレイにおける煩わしさを感じた。
2人プレイでは、手番終了時にアクションカードの場を1枚破棄することができるため、2人でも場が流動するのはよいと感じたが、毎回、それらを準備するのが面倒であると感じることも多かった。
アクションカードを捲った後、その枠に対応したタイルをランダムで配置し、そこにワイルドマスがあったら、対応する怪物タイルも公開する。
このような手順を手番ごとに2回行わなければならない(選んだカードと破棄したカードで2枚更新されるので)というのは、馬鹿にならない手間であるように思ってしまった。
また、アクションカードの枚数自体も少な目で、デッキが尽きると、捨て札をリシャッフルしてデッキにするのだが、それも少し面倒ではあった。
色々な問題があるのもわかるのだが、個人的には『カードを多く実装し、そこにタイルのマスの形状や種類が書かれている(怪物含め)ので、選んだ時にはそれに沿った形で自身のボード上に置く』という方がプレイしやすいと思った。まあ、ただ、こちらが一方的にメリットがあるわけでは当然なく、良し悪しではあるので、仕方ないと言えば仕方がない。
加えて、アクションカードの破棄は基本的に相手のプレイヤーの妨害だけを重視してできるので、ゲームの展開が少し減速されるという点や、アクションカードは更新されやすくなっているが建物タイルの方の場は更新されにくい、というような問題も感じる。
よって、3人プレイぐらいがベストであると感じる。(4人プレイであると、スタートプレイヤーの分配と手番の順番、サドンデス式勝利点などにおける問題が大きくなると思われる)
デザイナーの一人であるブルーノ・カタラは2人用ゲームデザインの名手であり、個人的にかなりの信頼を置いている。2人プレイがメインのプレイヤーとしては、デュエル版が発表されることを期待したい。
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