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「ダンジョン・インベーダーズ」のデザイン過程ノート

 ここでは、ゲームマーケット2023春で発売予定の「ダンジョン・インベーダーズ」のゲームデザインの過程を振り返る。これにより、ご購入前にゲーム内容を判断しようという方の助けになったり、何かゲームをデザインする際の参考になれば、幸いだ。

 本ゲームの概要、特徴は以下の記事に詳しい。


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過程

1.フィードバックがあまり長くないゲーム

 元々、このゲムマに合わせて製作する予定のゲームは、デッキ構築(解体)に近いメカニクスを持っていた。しかし、色々と技術的な課題があり、成立するのが難しそうということになり、他のことを検討し始めた。

 そこで一番最初に思ったのは、ある程度短いスパンでフィードバックが得られて、選択の良し悪しを判断できるゲームにしたい、ということだった。なんというか、そういうゲームが好きなのだ。

 「メギド72」は、編成をどのようにするのか、という別軸の遊び(そっちが主軸ではある)があるものの、始まってしまえば、結局のところ、今選択しうる範囲(フォトンという資源がターンごとに沸き、その分配によって行動が決まる)で、どのように選ぶのかがベストかを考えるゲームだ。

 「Into the Breach」も、最初に決まるロボットの編成や能力の組み合わせなどが一応はあるが、基本的には各ターンにおける位置関係をどのように変化させ、どれを優先するのかを考えるゲームになっている。

 アナログゲームでも、「Grand Austria Hotel」や「マグニフィセント」などはそれに近いものがあると考えている。

 もちろん、好きなゲームの構成を使う必要はないのだが、自分にとって好きなものであると、製作したゲームに対する判別がしやすい。元々、あまり好きでないゲームをつくってしまうと、自身でプレイしても、判断がしにくくなってしまう。

 そのため、これらのような大枠に近いゲームにしたい、と考えた。



2.一人用ゲームのスペースと物理的な制限

 そこで、何をやるゲームにすべきか、ということを考えた時、位置関係を取り入れる必要があるだろう、ということを真っ先に考えた。

 他の記事でも触れているので、簡単な説明に留めるが、フィードバックを短くし、拡大再生産要素が薄い構成であると、位置関係を使う必要があるという結論になった。

 ここで考えたのは、アナログゲーム、特にカード主体の構成である場合に表現できる位置関係の幅である。

 どうしてカード主体で考える必要があるのかというと、ソロダンProjectという企画ではカードが主体になっているというのもそうなのだが、「アンダー・フォーリング・スカイ」という一人用ボードゲームを遊んだ時に思ったこととして、一人用ボードゲームは(ボードなどで)場所を取ると遊びにくいというものがあった。

 複数人でボードゲームを遊ぶ時は、友人を呼んだり、家族と共に行うわけで、机の整理などもしっかりとやり、テーブルいっぱいに広げられるわけだが、一人用のボードゲームを遊ぶ時というのは、たとえば、家族が出掛けてていない時とか、平日の夜だとか、そういう時に遊ぶことになりがちだ。

 そんな時、机の上は綺麗だろうか?

 筆者だけかもしれない(そうでないと思いたい)が、まあ、散らかっている。一人用の食事スペースぐらいを確保することは容易だが、大きなボードを置けるようにするには、それなりの整理が必要であることも多い。

 そうなると、そのゲームをやるために、机を片付けて、大きなボードを取り出して、ということをしなければならない。そういう、腰の重くなる要素を取り除きたい、というように考えた。

 そのため、カードが主体で、それが10枚も横に並べられるようなことにはならない範囲で表現したい、という物理的な制限が生まれる。

 ここから、カードのみで表現できる位置関係について考えてみた。



3.カート主体の位置関係の表現

 すると、まず思い当たったのは、空白を表現しにくいということだ。

 1枚分のカードを置けるスペースがある、ということは表現できる。ただ、それが2枚、3枚となった場合、それがどれぐらいであるのか、ということを表現し、記録しておくことができるだろうか?

 「ディメンション・ゼロ」などのようにボード的な位置関係を活用するTCGは、そのほとんどが3×3で行うことが多いと考えている。(尤もマットを使用する前提であれば、「遊☆戯☆王オフィシャルカードゲーム」のような、もっと多様な位置関係を表現したTCGも多い)

 それは、2枚以上空白があるような関係にならないからだ。2枚のカードの間に、距離という数値があるというより、離れているか離れていないかの真偽値で判断するという形になる、と言えばよいかもしれない。

 本作も、たとえば、5×5のフィールドにカードで表現されたユニットを配置して~というような形にはしにくいだろう、と考えた。そもそも、カードはそれなりに大きいので、要素数を大きくしてしまうと、比較的小スペースを目指すという本来の目的もクリアできなくなってしまう。

 また、3×3のフィールドだとしても、そのままシンプルに実装することは難しいだろう。左上と右下にしかカードがない場合、事実上は2枚以上の距離が生まれてしまう。中央にカードを置くなど、基準となるものがあるとわかりやすい。

 このようなことを考えた結果、落ちモノパズルのようなことができないか、ということに思い至った。



4.アナログゲームの落ちモノ風パズル

 色々と考えてみた結果、(それが正しかったのかはわからないが)常に上揃いになっていて、それを撃退していく、というパズルがメインになった。

 上揃いという制限があることによって、カード同士に距離が生まれることはないし、盤面に変化を与えることもできる。フィールドは最大でも3×3になっていて、スペースもあまり圧迫しない。(実際には、こちら側のカードも置かれるので、3×4という方が正しいが)

 また、落ちモノパズル(「テトリス」など)にはリアルタイムという資源が導入できるが、アナログゲームで導入するには色々と制限がある。

 この瞬間的な判断を迫れる、というのはデジタルゲームのあまりにも大きい軸の一つで、数多くのゲームで採用されているが、アナログゲームではなかなか採用しにくい。

 結果として、本作では、ダイスを用いた別軸のパズルを用意した。

 また、単に撃退していく、というのではパズルとして成立しないので、複数体の敵を同時に倒す、ということを求めることにした。



5.ダイスの性質

 ダイスに関するパズルだが、色々な方向性を検討した。

 ただ、ネックとなったのは、6面もあるということだ。

 6という数はなかなか多く、それぞれの面に意味を持たせると、それが大きな負荷になってしまい、複数のダイスを用いた時に問題が生じる。

 そこで発想を変え、2つに分けられる区分でダイスの出目を判別するようにすることを考えた。1つの要素だけでみれば、2通りしかないのだ。また出目を変更するようなこともなくし、煩雑性を抑えた。

 2区分で真っ先に思い当たったのは、奇数/偶数と、大/小という区分でこれはすぐに理解できる。この区分をそのまま使った場合、1と3、4と6がそれぞれ、事実上は同じ出目になってしまうことになる。よって、ここに区別を与えるために、3の倍数であるかという差を付けた。

 これをソートして一次元配列として取り扱い、位置に意味を持たせることでパズルとして機能するようにした。



6.ハイスコア型とクリア型

 一人用ボードゲームにおけるゲームの勝敗は大きく分けると、ハイスコア型とクリア型になると考えている。

 ハイスコア型は、スコアが高ければ高いほど良いということになり、クリア型は、一定の条件を満たせばクリアということになる。つまり、これはゲームとしての出力が、スコアという整数値なのか、クリアという真偽値なのかと捉えることができる。

 ここで考えたのは、ランダム性が介在するゲームで、スコアを競うことの意味合いだ。

 デジタルゲームでも、一人用で純粋にスコアを追い求めるゲームは音楽ゲームやレーシングゲーム、シューティングゲームなど、その実行に対する技術が求められることになるものが多い。

 つまり、課題は(ほとんど)固定であり、そこを如何に上手く実行できるかを試すものだ。課題が固定されているからこそ、自身の腕の上達がはっきりと自覚しやすく、ハイスコアを追い求めやすい。

 一方で、本作のようにランダム性が強く介在するゲームで、ハイスコア型を採用するのは、少し疑義がある。筆者が感じる限りでは、結局、それは技術よりも運の結果を反映しているのではないか、という想いが消えない。そのスコアが何を指しているのかがわからない。

 また、ハイスコア型であれば、ある意味では、高いスコア以外のゲームの意味が薄くなる、という点がある。たとえば、本作のように一定のランダム性を使用する場合、その偏りというものは明確に存在する。都合の悪い結果になった時に、リプレイを無限に繰り返したという体で、都合の良い結果にするのはどのような問題があるだろうか? あるいは、最初から運が悪く、以前のスコアを超えられないことが明確になった時のゲームプレイは、どのようなモチベーションによって保たれるのだろうか?

 また、スコア表と比較するような形態も良く見受けられる。それ自体には利点もあるが、いくつかのゲームにおいて、いきなり最高のスコアを取るようなことも経験している。その時、自分はとても上手くやったという気持ちになれるだろうか? 少なくとも筆者の感想では、スコア表が事実を示していない、という気持ちにしかならなかった。

 ゲームの調整は難しく、正直に言って、一部のコストが多分にかけられる作品や、何らかの工夫があったり、サイズが小さいゲーム以外、ほぼ完全に調整することは難しいと考えられる。ボードゲームは特に市場が小さくコストがかけにくいし、デジタルゲームのように後で調整することが難しい。運営型のタイトルでないのなら、ほとんどサポートはしきれないだろう。

 そんな中、スコア表のようなものを用意すること自体が、かなりの難度であるように思う。少なくとも、筆者の技量では、手に余ることは目に見えていた。何せ、あらゆるゲーム(プレイ)がその一つの表を参照することになるのだから。あらゆるゲームがデザイナーによって把握され、それが点数付けられるとしたら、それは――

 結果として、クリア型を採用した。もちろん、クリア型であっても、ランダム性による各ゲームの差は存在する。クリアしやすいゲームは確実に存在するし、その逆もしかりだ。しかし、それらのゲームは、あくまでそれらのゲームで完結していて、今回は易しかった、難しかったというものでしかない。ゲーム間の連なりが存在しなくても済む。

 本作は大枠として、このようなデザインの過程によって、制作された。


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