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愛は、人間の実存という問題への、唯一の健全で満足のいく答えである。

Love is the only sane and satisfactory answer to the problem of human existence.


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 ラジオから、規則的な音が聞こえてくる。
 午前4時、決まって流れる音だった。なんとなく、たまたま合わせた周波数で数年前から。

 それを聞くのが朝の日課となっていた。何と言っているのかは分からない。この国では既に使われていない言語なのかもしれなかった。ただ、本当になんとなくこのリズムが心地よくて、忘れられなくて。
 音が鳴り終わったのを確認して、起き上がる。覚ましようがない意識と、天気予報の真偽を確かめられない一日が始まった。
 心地よい微睡をあなたに、との触れ込みで売られていた合成羽毛布団も、盲目の自分にはただ変わらないくらやみを与えるのみの代物。暖かさは、そこにあるかもしれないけれど。それは”特別”ではない。

 量販店に行けば誰でも買える程度の値段のぬくもりだ。244ユーロ。全人類に対して十分な額の補助金が配られるこの世界では、ほんのちっぽけな金額。汎用で、凡庸で、寛容で、受容されて、揚々たる、如何様にもなる、そんな世界に私たちは暮らしているのだ。

 先の大戦の後に統一した世界は、百年間一度も争いを起こしていない。それは小さな盗みだったり、振り上げられたこぶしだったり、そういったものは確かにあった。……あった筈だったのだが。
 それも、数年前からは、——あのラジオが始まったのと同じくらい、私が視力を失ったのと同じくらい――からは、無くなったらしい。与えられた平和はあまりにもつまらない毎日。ニュースなんて必要がない程代り映えがない。
「つまらなそうですね」
 頭上から声が振ってきた。scottの声だ。
「つまらないから」
 私はただ、そう返す。それ以上に言うこともなかった。
「外出はしませんか?」
「まだ、いい」
scott――我が家ではエリと呼ばれている存在。私の恋人でも家族でも、人型のアンドロイドでもない。
 人類の世話や手伝いをする用の人型アンドロイドは、これもまた数年前に共通憲法で禁止された。理由は、メンテナンスに費用がかかるだとか、感情を持たせてはいけないから汎用性がないだとか、大体そんな理由だった気がする。その代わりに、と生まれたのがscottと呼ばれるものだった。

 正式名称は、汎用有機生命体。scottは、新世界の言語でつまらないものという意味を持っている。scottは人間と変わらない構造、肉体、感情を持ち合わせていながら人権を与えられていない。どのようにしても、良いのだ。
 彼らは悲しんだり、痛がったり、叫んだり、泣いたりもする。だが、権利だけがないから、どのようにしても構わない。一部のレストランでは、食用にscottが提供されているという。その肉はとろりと柔らかく絶品なのだとか。それだけの汎用性を持っているのだ。

 一時、犯罪者に非人道的な手術を施し作り変えているのではないか?と言われていたが、そんな反論も一瞬で消えていった。どのような力が作用したかは分からない。ただ、いつの間にかそこに生まれ、そして、受け入れられていったのだ。
 これは作り物だからいいんですよ、と差し出され、それが、私の家にも居る。—―素晴らしいことだった。私は、その一点において特別なのだから。
 全人類がscottを従える事が出来るわけではないのだ。政府に選ばれた”病人”と”思想犯を含む犯罪者ないし予備軍”のみが彼らを自由にする権利を手にすることが出来る。
 私は病人だ。目が見えない。だから、選ばれた。——のだと、思う。詳しい基準は明かされていないから。ただ、私は特別になった。平凡で凡庸で凡人で凡才の自分から。それだけで、幸福だった。

 私の返事を待つエリの頭を撫でる。彼はむずがるように目を伏せた。scottはうつくしい。言うことを聞く道具はいつでもきれいで、やさしくて、ああ、反論もしてくれるんだった。そこが、良かった。
「今日は貼れていますよ、買い物に行きましょうか?」
 外の天気も、いつもカリンが教えてくれるのだ。私は、それを聞いてああそうだねと、晴れているのだなと、扉を開けずとも信じることが出来る。

「うん、行こうかな」
「着替えを準備しますね」
 私が是と答えれば、エリからも素直な言葉が返ってくる。きっと、私が突然彼に手を上げたとしても、ずっと、変わらない。
 世界は今日もきっと平穏なまま一日を終えるだろう。エリが私の分の着替えを取ってくる為に立ち上がる音がした。

 戻ってくる足音が聞こえても、じっと名前を呼ばれるのを待った。彼が呼ぶ自分の名前が好きだから。

「素子」

 ああ、私は今日も特別であれるのだ。


1話 終



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