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ヒップなエディトリアルシンキング⑥

第6回 話題の店に行こう

はるか昔、我々の先祖がサバンナで狩猟採集生活をしていたころ、情報は命に直結するものだった。どこに行けば食べられる実が成っているか、腐った肉の味がどういうものだったか、あるいは他のグループの一員が森の中で猛獣に襲われたなんてニュースを知ると知らないとでは、生存率に大きな違いがでただろう。

そうしたことを知ることは自分と家族、そして所属するグループを守ることにつながる、何にも増して大切なことだった。

情報やニュースは、人から人へ、ときには間違ったり歪められて伝わり、それがさらなる災いを引き起こした可能性もあった。そのため何世代にも渡り、言語やコミュニケーションが発達してきたのである。

今日でも情報不足だと不幸な目に遭うことも少なくない。クルマを運転する人なら道交法の改定を知らないと、それまで合法だった行為が違反になり検挙されることもある。会計士は毎年改正される税制改正に目を皿にし、運動選手は新しいルールをシーズン前に確認する。

知らなかったでは済まないのだ。

『スマホ脳』の著者アンダース・ハンセンはその中で、人が情報を欲するのはそれが生存に関わると脳に刻まれてきたからだと記述している。何万年もかけてそれが脳へのご褒美となったのだ。なぜ人がひっきりなしにスマホに手を伸ばし、SNSを利用するのか。それは脳が喜ぶから。人がうわさ話やゴシップに興じるのも、正常な進化の成せる技なのだという。

情報やニュースは、人間同士の雑談にも役立つ。むしろ今日では、ニュースをはじめ、あらゆる情報収集というのはそのためにあるといってもいい。

昨夜のあの番組観た? あそこ行った? あの人知ってる? あの噂知ってる?

人の会話のおおよそは、こんな感じだ。

それが真実かどうかはたいした問題ではない。

母が存命の頃、お正月とお盆はいつも帰省していた。久しぶりに会い、近況を話し合った後の会話はいつもテレビの話であった。ココアは癌に効く。ヨーグルトは完全食。あのタレントさんは頭がいい。そういうのが延々と続く。

テレビはすごい。実際に行ってなくても、会ってなくても、読んでなくてもすべて知った気にさせる。そしてそこで話されていること、行われていることはすべてが正しいと受けとめられる。これが長年にわたり娯楽の王様に君臨していた理由だろう。

老いた母の話が面白かったわけではなかったが、ただ曖昧に頷きながら聞いていた。テレビのバラエティを普段見ない自分にとっては「へえ」と膝を打つような話も時々あり、それはそれで楽しい時間だった。興味のある人にとっては格好のネタだが、こちらの反応が薄いのを気づいているのかいないのか、ともかく一晩中でも話ができそうだった。

コミュニケーションとは情報の伝達だ。面白い、役に立つ情報ならつい身を乗り出して聞きたくなるが、そうでないと上の空になる。老いた母だから話し相手にもなれるが、同世代の友人だとどうすればいいのだろう。テレビで聞いた二次情報を延々と語られても閉口するばかりである。

新しいことに触れることが大事なのだ

ニュースとはNews、つまり「新しいこと」の複数形である。初めて知ること。知って驚き、喜ぶこと。

人それぞれに趣味嗜好は違えど、共通して知りたい何より大切なことは、上で述べたような生存に関わる情報である。いま、コロナのニュースに無関心な人はいない。

逆に趣味に偏った情報は、一定の人々にしか響かない。チェスの面白さについて熱く語っても、ルールを知らない人にとっては雑音でしかない。

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コミュニケーションのために好きではないことを学んだりする必要はないが、知っていると話題が広がる。

自分で言うのもなんだが、ぼくは好奇心が強い。だから何でも知りたい。クリケットのルールだろうが、新世界のビオワインだろうが、気になったらなんでも調べる。そしてなるべく一次情報にあたる。この場合、さすがにクリケットはプレーしないが、ワインは飲んでみる。話題のためではない。純粋にどんなものか知りたいからだ。

一次情報にあたれない対象であれば、最近亡くなった立花隆氏が推奨する通り、関連書籍を片っ端から読んでみる。氏のモットーは最低10冊は読め、だ。それだけ読めば専門家レベルには到達しないものの、おおまかな対象についてのアウトラインがわかる。

こうして知った情報を友人知人たちも伝えると会話が弾むこともある。それは趣味や嗜好が合っているからだ。この延長が雑誌の編集である。

新しい情報を「集」めてきて「編」んで、広く伝える。

自分がこんな知りたがり屋だったなんて、なんで子供の頃知らなかったんだろう。知っていたらもっと勉強していたはずだ。あんなに歴史に興味なかったのに、時代小説を狂ったように読んだり、それ以上に興味のなかった地理についても、フランスとチリは南北は違えど緯度が似ているから、同じようなワインができると嘯く自分を想像できなかった。逆に得意だった数学、物理はいままったく役に立ってない。

学校教育は子供の知的好奇心をくすぐるようなカリキュラムになってない、なんて話になりそうだが、本題から逸脱するので、やめておく。

さて。編集仕事に限らず、なにか物を作ったり売ったりすることに従事している人たちが知りたいのは、何が消費者にウケているかである。どんなジャンルの音楽か。どんな味のスナック菓子か。スポーツカーかRVか。マーケターの仕事でなくても、何が喜ばれるかを日々意識するしないに関わらず、リサーチしている。コンビニの棚の一番目のつくところにある売れ筋を潜在意識にすり込んでいるし、新しい飲料のテレビコマーシャルでいまの消費者の向いているテイストを確認している。高速道路の渋滞では、ベージュ色のクルマが増えたなどと気づいている。

こういうことの積み重ねが、新製品や新サービスを生む原動力だ。

普段の生活と違う刺激は、脳に好影響だそうだ。旅行はその最たるもので、いろんな刺激を脳に与える。特に海外旅行は、そこでの価値観などあらゆるものが我々のそれとは違うという点で気づきがあり、脳が活性化するという。

とにかく新しいものに触れる。新しいことにチャレンジすることが大事なのだ。

ニューオープン、あるいは話題の店には行ってみる。ニューオープンは、関係者の最大努力のマーケティングの集積であるし、話題の店はユーザー側の支持の結晶だ。何かやるにあたりそこにはヒントしかない。それを無視できるのはよほどの変わり者か、あるいは世界を変えることができるメシアか。

まずは話題のメシ屋に行こう。

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