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朝霧JAM2023

先週末、キャンプをしながらアーティストのライブを鑑賞する「フェス」を消費しに富士山麓に足を運んだ。

その楽しさから20代前半の頃は毎年行くことを決意し、人生とセットにしたはずだったのだが、最後に行ったのが10年前だったことすら忘れていたほどに朝霧JAMは私の中で薄くなっていた。

だからといって、ド忘れしていたわけではなく毎年その開催告知を見るたびに、マイ核家族の家計と我が子の生命力を低く見積もることで「行かない」自分を肯定してきた。それどころか、人が歳を重ねるのはそんなものなのだと、自然の摂理として私自身のその欲求が失せる「フェス・インポテンツ」として受け入れて生きてきた。立たなくても困らなかったのだ。それでも個人的な事情を抜きにしても、朝霧JAMは2019年を台風で、2020,2021年を流行病で開催を中止していた。無事に開催する今年が友達の「スロットで勝った金で遊びに行きたい」イヤーと重なり、思いがけず「立った」のだった。

そうと決まってからは、最新のピッチフォーク高得点のやつの代わりに、来たるアーティストを適当にYoutubeMusicで聞き流し、キャンプに持っていくものを集めた。オートキャンプをいいことに、鉄のフライパン、コーヒー用の細口ケトル、着たい服を適当に車に放り込んだ。

静岡県に近い私の家に前泊したこの旅のスポンサーである年上の大学の同級生と二人きりの車内は、ほとんどの休日を家族と一緒に過ごしてきた私にとって新鮮だった。

「ふもとっぱらキャンプ場」入場開始時刻10分後くらいですでに多くのテントが並んでいたが、ガラ空きだった当初から目指していた端っこのエリアに無事に車を停めると、晴天の富士を眺めることもせずに20年前のコールマンのドームテントにキャプテンスタッグのタープという、色気のないギアを黙々と設営した。

効率の悪い動きでセッティングを完了すると、お互い椅子に深く座ったが、私にはまだ一仕事あった。

テントと同期のシングルバーナーを使いかけの振ると若干の残量を確認できる錆びたOD缶に装着し、ケトルをスケールの上に乗せ二杯分のコーヒー抽出量の水を計りバーナーの火にかけると、ようやく富士山を眺めたが、コーヒー豆を20グラム削る腕は忙しかった。以前キャンプで使っていたV60をこきおろすコーヒー玄人のブログの影響で、メリタ式のドリッパー(一つ穴)を新調したのだが、蒸らしのあとでお湯を一気にそそぐ方法はこのような外気温の低い環境、そして「もう疲れた」という状況下でとても良い選択だった。ステンレスマグに150ccずつ注いで連れに提供を終えると、月に1本吸うか吸わないかのアメスピをジップロックから取り出した。そう、この程度の頻度で吸う奴はタバコをジップロックに入れているのだ。

視界に入る様々なキャンパーのギアや車に「スノーピーク」「レンタカー」という意味のないAI画像認識を強制的に強いられながら、会場行きのシャトルバス乗り場へ歩いた。

会場ではウイスキーを入れたダイソーのスキットルで少しずつアルコールを摂取し、気が向いたらステージ近くで体をリズムに合わせた。

キャンプサイトに戻り、焚き火と星空を十分に堪能してから寝袋に入った。尋常じゃない足先の冷えのせいで寝付けなかった。
朝、太陽が暖かかった。

そんな二日間だった。

メインである会場内の描写が書けないのは、事実として私が無心でいたせいかもしれない。無心の記憶は取り出せないが、少なくとも今年の朝霧JAMの経験の断片を出目にしたサイコロをいつでも振れるようにしておきたいと思う。

「BADBADNOTGOOD良かった」
「ホットケーキ美味かった」
「焚き火」
「星がきれい」
「足先の冷え」
「夜中にうるせえキャンパー」

日本は社会保険料を、家族は豊かな暮らしのための予算を、みらいを見据えて勤労者から際限なく吸い上げている。そいつが今、枯渇してしまわないように騙し騙しで働かせ続けるための必要経費としてこのようなレクリエーションは有効だ。





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