イメージの威力
今朝のTBSラジオの日曜天国のゲストは俳優の黒木華さん。
映画やドラマの撮影期間は髪型を変えてはいけないのは業界の常識なのだが、黒木さんは気づかれない程度にちょくちょくハサミを入れるらしい。その理由は、
「身体の一部を切り落とすことで、気分も入れ替えられる。」
と言うことらしい。(書き起こしではないので正確ではない。)
その話ぶりから、この人は頭髪さえも身体の一部なのだと、ごく自然に認識しているのだと驚かされた。
髪は身体から出てきたものではあるけれど、気づけばふっと抜け落ちていたりするし、気温や湿度ですぐに暴れるし、そもそも切ろうが何しようが血も出なければ痛みも感じない。
自分の身体の一部でありながら、自力で制御できないもの、身体に属さないもの、という認識がどこか当たり前になっていた自分がいる。(恥ずかしいくらい髪に気を使っていない自分だからなおさら。)
ここまで書いてきて、そもそも身体の部位としての”頭髪”が持つ特殊性、神秘性そのものに興味が湧いてきてそちらに話を掘り下げたくなってきたが、それは長くなりそうなので堪えよう。
とかく僕が感じたのは、髪の毛一本にまで血を通わすレベルで芝居にかける俳優の凄みであった。「登場人物の感情になりきるためには、髪の毛一本一本さえ動かせなければならない」という気概がそこには感じられる。そしてそのイメージの力は、実際に黒木さんの静謐な演技の質に表れているに違いない。
それで髪の毛が本当に動くとは思わない。しかし、イメージの仕方で実際に身体の使い方は明確に変化する。優れた指導者たちは、そうしたイメージを使いこなすことに卓越している。
皆さん、試しに髪の毛に血が流れていると想像してみて欲しい。そして、”怒髪天をつく”さながらにグッと髪の毛を立ち上げるイメージを浮かべて欲しい。そうすると自然と顎が引き締まり、瞼がカッと見開いてはいないだろうか。
ここで日本語を見渡してみると、背筋を伸ばす、腰を入れる、腹から声を出す、などの身体の使い方にまつわる独特の言い回しが多いことに気づく。これらはよくよく紐解けばすべてイメージの表現である。
言葉通りにとってしまえば、背中の筋肉を伸ばすには逆に背中を丸めなければならないし、そもそも背骨は緩やかにカーブしているのでまっすぐにはならない。いくら腹筋を鍛えようとも声を出すのは声帯であるし、腰を入れるに関してはもはやどんな動作なのかもわからない。
しかし、これらの言い回しを単に精神論として全く切り捨てることはできないはずである。それは私たちの経験が確かに知っている。
科学の力が人間の身体の仕組みを日々解き明かしていこうとも、そのあまりに複雑な身体構造をいかに使うか、どう活かすかという点において、人間は依然として目に見えない精神論というモデルを設定せざるを得ないし、おそらくその価値は当分失われることはない。
黒木華さんは、「身体の一部」ということに加えて、「頭髪には変な気が溜まりやすい」とも言っていた。目に見えないイメージを感知する鋭敏な感覚と、目に見える身体との深い結びつき。それを黒木さんは、ごく自然に体現できる境地にいらっしゃるのだろう。感銘を受け、鳥肌の立つ勢いそのままに書き散らした。
ところで、2022年は一度も更新せずに放置してしまいました。こんな感じで固っ苦しい話ばかりになりそうですが、2023年はちょいちょい
更新していこうと思います。
次回もお楽しみに!
ゴー・ジャニ・ゴー!
※ちなみに写真は本件とは何も関係ない、正月帰省の際に撮影した地元の夕日です。なんとなく新年ぽさを込めて。
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